時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(74)

2006年05月19日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

 

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの年譜
  ラ・トゥールという稀有な画家の作品と生涯に関心を抱いてから、かれこれ40年近い年月が経過した。長らく「謎の画家」といわれ、昨年の国立西洋美術館での「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」などの開催にもかかわらず、日本では依然として知名度が高い画家ではない。しかし、ひとりの愛好家としてみると、この画家についての調査、研究はこの間、著しく進んだと思っている。


  複雑なジグソーパズルを解くように、思いがけないところから新たな資料が見出されたり、今もってラ・トゥールの手になるものではないかと思われる作品が発見されたりしている。この画家の20世紀初頭の再評価から今日にいたる過程は、まさに発見の歴史であったことはよく知られている。

  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品と表裏の関係にある画家の生涯についても、輪郭はかなり見えるようになってきた。同時代には名前だけで作品も人生についても、ほとんどなにも分からない画家も多いことを考えると、ラ・トゥールは今では大変解明が進んだ画家といえるだろう。

  日本語で読むことができる文献で、しかも最新の研究成果を伝えてくれるのは、昨年東京で開催された「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」のカタログである。このカタログには、ラ・トゥール研究の専門家ディミトリ・サルモンによる「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:その生涯の略伝」が含まれている。最も詳しく、最新の研究成果を伝えてくれている。

  このサルモンの略伝は、テュイリエ (Thuillier, 1997, 242-279)が作成した、現在の段階では最も完全に近い年譜にほとんど基づいている。ちなみに、このテュイリエの著作は大判の大変美しい印刷で、読んでいても楽しい。他方、ランボルReinboldのようにラ・トゥールの作品よりは、家系や時代考証に重点を置いた研究も生まれ、着実に解明が進んできたことを示している。このブログ記事との関連で、恣意的だが注目される部分を抽出してみよう。メモ代わりに極度に簡約化しているので、より詳細にご関心の向きは、Referencesをご覧ください。

1593年 ロレーヌ、ヴィック・シュル・セイユに生まれる
1613年 パリにいたかもしれない
1616年 洗礼代父として記録に初登場
1617年 リュネヴィルの貴族階級の娘ディアヌ・ル・ネールと結婚
1618-20年 画家の父死去。第1子誕生
1620年 リュネヴィルへ移住。最初の徒弟クロード・バカラを受け入れる
1621年 エティエンヌの誕生、洗礼。エティエンヌと妹(2歳下)クロード、クリスティーヌ(5歳下)だけが両親より後に生きながらえる
1623年 ロレーヌ公アンリ2世、ラ・トゥールの作品を買い上げる。リュネヴィルの義理の両親の住居と牧場を義母から購入
1626年 徒弟シャルル・ロワネを受け入れる
1631-34年 フランスと神聖ローマ帝国との戦争がロレーヌに波及
1632年 フランス王ルイ13世ロレーヌ滞在
1634年 リュネヴィルでフランス国王への忠誠誓約書に署名
1636年 徒弟フランソワ・ナルドワイヤンを受け入れる。リュネヴィルでペスト流行。末子マリー誕生。代父はサンバ・ド・ペダモン、フランス国王の代理人、総督
1638年 フランス軍リュネヴィル略奪。作品、工房など滅失と推定
1639年 ナンシーで代父、国王付き画家の称号
1640年 パリに行った記録、ルーヴル宮の部屋を使用する特権
1641年 自作「マグダラのマリア」の代金を受け取っていない旨の訴訟
1642-43年 徴税吏と紛争。リシリュー枢機卿猊下の衣装部屋に「聖ヒエロニムス」の絵画があった旨、リシリューの死後、財産目録で発見
1643年 徒弟クレティアン・ジョルジュ受け入れ
1644年 所領をリュネヴィル市に賃貸
1645年 毎年リュネヴィル市から総督アンリ・ド・ラ・フェルテ=セヌテールへ贈るための絵画の注文
1646年 ラ・フェルテに「たばこを吸う男」を寄贈。ロレーヌ公(ルクセンブルグに一時退去)にリュネヴィル住人から嘆願書。修道僧、修道女、ラ・トゥールがあたり一帯の土地、家畜を占有していることを非難する内容
1647年 エティエンヌと商人の娘フリオの結婚。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは「国王の画家にして年金受領者」と記載されていた
1648年 画家の末娘マリー、天然痘で死亡。徒弟ジャン・ニコラ・ディドロ受け入れ
1650年 聖セバスティアヌスの絵、ラ・フェルテに寄贈。5点のロレーヌの巨匠(ラ・トゥールと推定)の作品が軍務官でコレクターのジャン=バティスト・ド・ブルターニュの死後、財産目録に発見
1651年 ラ・フェルテ「聖ペテロの否認」寄贈。ジョルジュとエティエンヌがヴィックでの結婚式に出席(ジョルジュの最後の署名)「国王付き画家」の肩書き
1652年 妻ディアヌ死亡。ジョルジュも死亡。住宅はカプチン会の神父へ寄進。エティエンヌ家は徒弟ディドロも伴い、ヴィックへ引越す
1660-70年、エティエンヌはリュネヴィル周辺メニルの自由領地を購入。シャルル4世からリュネヴィルのバイイ裁判所の代理官に任じられ、リュネヴィルに戻る。
1669年 メニルの領地はロレーヌ公によってメニル・ラ・トゥール封地に昇格された。
1670年 シャルル4世はエティエンヌに授爵状を与えた。紋章を持つ
1692年 エティエンヌ、リュネヴィルで死亡。「メニル・ラ・トゥールおよびフランの領主」と記されている。

References
Cuzin, Jean-Pierre et Salmon, Dimitri (1997) Georges de La Tour Histoire D’Une Redécouverte, Paris: Découvertes Gallimard, Réunion des Muséés Nationaux.

ジャン=ピエール・キュザン & ディミトリ・サルモン (高橋明也監修・遠藤ゆかり訳) (2005) 『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』 東京、創元社。

 

Reinbold, Anne (1991) Georges de La Tour. Librairie Artheme Fayard, 271pp

Thuillier, Jacques (2002) Georges de La Tour. Paris: Flammarion, 320pp
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Georges de La Tour ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展カタログ、2005年3月8日―5月29日、国立西洋美術館・読売新聞社

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