ロレーヌの北部は、見渡す限りなだらかな丘の起伏が続く。美しい並木が連なる間を、整備された自動車道路が抜けて行く。葡萄畑の中を小さな川が流れて行く。時々、少し雨が降るが、すぐに晴れて雲間から日が射し、森と平原を光と影に塗り分ける。葡萄畑はきれいに剪定されて、なだらかな起伏の丘に広がっている。
今回の旅ではパリからメッス経由、ナンシーを起点に、ヴィック=シュル=セイユ、マルサル、ノメニー、ポン・タ・ムッソン、リュネヴィル、エピナル、シャテル、トゥールと、ロレーヌの中心部をめぐった。フランス人でもよく知らない小さな町や村が多い。広々とした草原、農耕地、森が連なり、時には数百年も昔から続くのではないかと思われる鬱蒼とした森がこうした小さな集落を守るように覆っている。人の手が入ったものとしては、自動車道路、高圧電線の鉄塔、時々見かける風力発電の風車などである。
しかし、この地ほど幾度となく激しく戦火が交わされた地域も少ない。戦車、大砲、トーチカ、慰霊碑など、大戦の傷跡を残す村々も多い。ヴェルダンの近くのように、コンクリートで固めつくしたトーチカ、塹壕、砲台など、撤去することをあきらめたかのように、放置してある光景もかなり目につく。メッツの北東フォルト・カッソの要塞を訪れたことがあったが、戦争のためにはこんなものまで構築したのかというすさまじい要害であった。
ナンシーやメスのように、観光客も多い町を除けば、ヴィック=シュル=セイユのように、レンガ色の屋根の古い家があっても、しんと静まりかえっている村や町もある。17世紀以来、あまり変わらないのではないかと思われる光景である。町の中を歩いていると、あの絵に出てくるような顔をしたロレーヌの人々が現れてくる。サン・マリアン教会ではパイプオルガンが鳴っていた。人々は毎日、淡々とその日の日課をこなしているかのようだ。絵と現実を錯覚しかねないような光景がそこにある。今年の夏にはTGVが開通し、現在では3時間近くを要するパリ・ナンシー間の鉄道も、半分くらいに短縮されるとのこと。この忘れ去られたような地方を訪れることもずいぶん楽になるだろう。
ポン・タ・ムッソン Pont-à-Mousson も小さな町のひとつである。ここはラトゥールの時代、1572年に、カトリック宗教改革の拠点のひとつとして、ジェスイットの大学が設置された。プロテスタントからの攻勢に、理論的対抗を図るためであった。ラトゥールの理解のためには、17世紀のロレーヌにおける宗教的背景についての理解が欠かせないことは、多くの研究者によって強調されてきた。この地域も幾たびか戦火の下にあったが、破壊を免れた教会、修道院などが修復されて、残っている。