時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌの春(8)

2007年03月18日 | ロレーヌ探訪


Photo Y.K.



  この絵にナンシー市立美術館の片隅で出会った時、一瞬目を疑った。作品の中の壁に掲げられているのは、あの「生誕」 である。見ている場所が他ならぬロレーヌの中心、ナンシーということもあって、しばらく考え込んでしまった。  

  ナンシーを訪れるのは、今回で2度目である。大変美しい魅力に溢れた都市である。しかし、前回訪れた時は、スタニスラス広場、エミール・ガレの作品など、その華麗さに目を奪われたこともあって、都市の歴史的背景などにはあまり興味を惹かれなかった。アール・ヌーボーの花開いた、この都市の絢爛、華美な側面に圧倒されたからかもしれない。

  今回は印象がかなり異なった。ナンシーのたどった歴史についての知識と理解が、格段に深まっていたことが大きな原因のようだ。興味を惹く対象があまりに多かった。この町を訪れる多くの人にとって、最大の目標であるアール・ヌーボー美術の印象については、ここに記すにはとても多すぎ、別の機会に触れることにしたい。

  たまたま宿泊したホテルは、スタニスラス広場に面し、かつてマリー・アントワネットがお興し入れの途中で宿泊したという。今話題となっている映画「マリー・アントワネット」のことと併せて、思わぬ因縁に不思議な気がした。スタニスラス広場に面したこのホテルは、建物自体が広場の一角を占め、1883年以来世界遺産の指定対象になっていた。ホテルはかなり老朽化しているが、当時の華麗さをしのばせるたたずまいをとどめている。内部設備は古くても十分整備されていて、問題はない。シーズンオフで宿泊客も少ないこともあって、スタッフの対応も行き届いている。なにより立地が素晴らしい。広場は夕方からイルミネーションが施され、昼とは違った美しさをみせる。それでいて、パリのホテルよりはるかに安い宿泊料であった。

 

 La Place Stanislas, Photo Y.Kuwahara

 ナンシーは現在人口約33万人の都市で、かつてはロレーヌ公国の首都であった。今日でも18世紀の都市のエレガントな雰囲気を伝えている。旧市街と新市街に分かれるが、見所が広い範囲に分散していて、計画的に歩かないとかなり疲れる。

  ロレーヌ公の宮殿は、フランス革命の折にかなり破壊され、当時の4分の1程度が残るのみである。現在は、その中心部が「ロレーヌ歴史博物館」 Muséee historique lorrain となっている。この博物館は16世紀から18世紀中頃までの美術品を中心に、タピストリーなどを含めて素晴らしい展示内容だった。東京展のポスターでおなじみの「蚤をとる女」など、ラトゥールの作品も展示されている。とりわけ、興味深かったのは中世から16世紀までのロレーヌの歴史に関する展示物であった。日本人観光客は、ほとんどエミール・ガレなどのアール・ヌーボーの作品が展示されている「ナンシー派美術館」などへ行ってしまうようである。広場の新装なった、これもなかなか素晴らしい「ナンシー市立美術館」と併せて、お勧めである。その日、館内で出会った観客はどちらも10人程度であった。

  ナンシーがたどった激動の歴史は、アルザス・ロレーヌのそれとともに、複雑きわまりないものだった。その残光ともいえるロレーヌ公国最後の王であったスタニスラス Stanislas Leszczynskiの名は、この華麗な広場の名として残っている。

* ポーランド継承戦争の戦後処理として、正確には1735年、ウイーン予備条約で領土再編が図られ、平和が回復した。スタニスラスはそれまでの王号は認められるが、以後ポーランド王位は放棄し、ロレーヌ公国とバール公国を与えられた。しかし、これらの領土はスタニスラス一代限りで、死後はフランス王に返還することになった。

コメント
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