時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

なぜ17世紀なのか(1)

2008年01月29日 | 雑記帳の欄外

    なぜ、17世紀ヨーロッパの画家に興味を持つのかと聞かれた。考えたことのない問いであったので、一瞬言葉に詰まった。入り口は多分、はるか昔10代の頃に遡る。それも偶然の美術や文学との出会いに始まっているので、とりわけ17世紀を意識していたわけではない。これまでの人生で携わってきた仕事も、17世紀美術や文学とはまったく関係ないものだった。

  問われてみて、少し考えてみた。確かにこの時代の画家や作家に、関心の在り処としてのピンが打たれている。なんとなく惹かれる対象が多い。 ラ・トゥールやレンブラントなどの絵画の世界ばかりではない。文学、劇作などの世界でも、この時代の作品にいつの間にかのめりこんできた。とはいっても、体系的に追いかけようと意識したこともなかった。いつの間にか次々と脳細胞の回路がつながってきた。

  他方、最近の美術や文学の世界でも、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメール、ブレヒトなど、この時代へスポットライトが当たっている。最近の映画「レンブラントの『夜警』」、30年戦争を舞台としたブレヒトの音楽劇「肝っ玉おっ母とその子供たち」の再三の上演、フェルメールやレンブラントへの人気もその一端である。フェルメールもラ・トゥールも私が関心を持ち始めた頃は、一部の人にしか人気はなく、美術館に展示された作品の前も人影が少なかった。カラヴァッジョでさえ、画家の名を知る人も少なく愛好者は限られていた。

   強いて言えば、17世紀という時代、とりわけ前半は、現代と共通する点がきわめて多いことにあるかもしれない。しかも、想像をめぐらすに適度な時空の隔たりがある。16世紀では少し遠過ぎ、18世紀ではやや生々しい感じがする。現代と程よい距離があり、客観的に対象を見ることができるような気がする(この意味で、デューラーやクラナッハは少し遠い)。といっても、まったく個人的な感じに過ぎない。

  現代と共鳴することが多いのは、17世紀のヨーロッパが危機の時代であったことも関係しているかもしれない。「17世紀の危機」という表現があるように、
時代はさまざまな苦難を抱えていた。戦争、悪疫、宗教対立、気象など、深刻な問題ばかりで先が見えない時代だった。不安が人々の心に深く宿っていた。

  誤解を恐れず、あえて整理してしまえば、危機への対応は、それぞれに異なっていたが、同じ主題を各国の劇場が異なった振り付けで上演しているような感じさえあった。政治、宗教面では、イギリスにおける国王と議会派の対立がピューリタン革命、名誉革命へとつながっていった。フランスでの国王と貴族の対立は、フロンドの乱を経て王権の確立を生み、ドイツでは皇帝と諸侯が対立し、30年戦争は農村部の荒廃をもたらした。

  ロレーヌ公国は大国の狭間にあって、30年戦争の戦場として、その争いに翻弄、蹂躙された。しかし、1620年代までは、ロレーヌは繁栄を享受し、文化が咲き競った。

  この中でオランダだけは「17世紀の危機」に巻き込まれなかった。1581年に独立宣言をしたネーデルラント共和国は、ドイツなどの荒廃と比較すると、香辛料貿易、バルト海貿易などを通して、目覚しい繁栄を享受した。まさに「黄金時代」であった。文化の中心はイタリアから北方へと移りつつあった。

  レンブラントの「夜警」の背景には、オランダの繁栄と富に、なんとか劣勢挽回の手づるを見出そうとするイギリス王室あるいは宰相リシリューに追われたフランス王妃などの動きと、それを栄達や蓄財の手段としたいオランダ国内のさまざまな利害グループの策略が渦巻いていたようだ。舞台を現代に置き換えても違和感がないほどだ。一枚の絵が時代の深奥へと見る人を誘い込む。 

 

  

コメント
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