Oil on canvas, 84,5 x 66 cm
National Gallery of Art, Washington
天才を見出した人々について記したことがある。まだ原石のうちに、秘められた宝石の輝きを見出しうる能力を持った人々である。しかし、画家の場合、そうした稀有な鑑識力のある人々の目にとまって幸い世に出たとしても、時代の経過とともに忘れられてしまうことも少なくない。ドゥ・メニル(ジョルジュ)・ド・ラ・トゥールはそのひとりであった。
優れた美術史家エリー・フォールは、その壮大な「美術史」*においてこの画家について触れ、「偉大な人間というものは、自分の立場でしか物事をみないどんな者たちの視線からも逃れてしまうのだ。痛ましい悲痛なる歴史。」(p175)と記している。このブログの読者はすでにご存知のとおり、ラ・トゥールという天才画家はその死後、急速に忘れ去られ、20世紀初頭になって闇の中から再び見出されるまではほとんど知られることがなかった。
ラ・トォールについての認識度はその後急速に上昇していると思われるが、同時代の画家ではしばしばニコラ・プッサンのそれと比較されることが多い。プッサンが天才的な画家であることはいうまでもない。そして、フランスで生まれながらも、その生涯のほとんどをイタリアで過ごしたにもかかわらず、フランス人好みの画家でもある。フォールは「プッサンが存命中に体験した運命は、その才能の性質それ自体に帰せられるべきではなく、イタリアへのーーーーーその自発的な亡命、さらにまた彼をきわめて強く特徴づけている絵画とは別の力にも負っているといえよう。」(p174)といささか皮肉めいた論評を残している。
フォールはさらにラ・トゥールについて、つぎのように言っている:
「ここには同じようなものは何もない。世界に直接触れ、その視覚的感情のほかにはなんら媒介するもののない人間。彼に関しては、宗教画、あるいはむしろ《宗教的主題》、羽を欠いた天使などが語られてきた・・・・・・。それがわれわれにいったいどんな関係があるというのだろうか。どんな《主題》も、宗教をもって存在や事物に接近するものにとっては宗教的である。彼は聖人伝に人間性を感じるがゆえに、聖人伝をやすやすと人間性へ移し変える。ドゥ・メニル・ド・ラ・トゥールは、その時代にただひとりレンブラントと共に、おそらくジョット以後ただひとりレンブラントとともに、人間の心と肉体のなかに神々しさを見出したのだ。まさに奇蹟といえよう。彼は奇蹟以外のなにものでもない。《ロココ》と《バロック》、《明暗》と《現実》との和合をわれわれにもたらすのだから。現実こそは、われわれが体験し、力や愛とともに表現することのできるすべてなのだ」。(エリー・フォール邦訳、pp175-176)
レンブラントとラ・トゥールを対比させ、論じている美術史家はきわめて少ない。しかし、この二人の天才は私にとっては、時に同一の人物ではないかと錯覚しかねないほど、多くの部分で重なっている。とはいっても、二人は同じ17世紀のほとんど同じ時期に(ラ・トゥールは12歳年上)その生涯を送ったが、同じヨーロッパとはいえ、オランダとロレーヌと主たる活動の地は離れ、相互に直接的交流があったとは思われない。お互いの存在自体を知っていたかも明らかではない。しかし、レンブラントの作品は数多く、当時のヨーロッパ世界に広がっていたので、少なくもラ・トゥールはレンブラントという画家を知っていた可能性は高い。
二人の画家活動を取り囲む環境条件は大きく異なっていた。たとえば、ラ・トゥールはレンブラントが得意とした肖像画のジャンルでは、ほとんど作品を残していない。それにもかかわらず、この二人の個性的な画家の間には目に見えない血脈のようなものが感じられる。
レンブラントは、修業時代を別として、アムステルダムというヨーロッパ有数の大都市の中で、前半の成功、栄光の座から後半の零落、貧窮という波乱の人生を過ごした。しかし、彼の画家としての基本軸は大きく揺れ動くことはなかった。世俗の生活面ではすさまじい変動を経験したとはいえ、レンブラントは画家としての姿を最後まで堅持した。
他方、ラ・トゥールは戦乱、悪疫などがしばしば襲ったロレーヌの地で、画家としての環境は決して恵まれたものではなかった。その中で、画家は日常生活においては、時には傲慢とも見られかねない強い意志と対象への深い沈潜によって、激動の社会を生き抜いた。
The Quarrel of the Musicians. Detail. c. 1615. Oil on canvas. J. Paul Getty Museum, Malibu, CA, USA.
レンブラントとラ・トゥールというそれぞれに個性の強い画家を比較することは、少なくとも今の課題ではない。 しかし、二人ともに、現実を鋭く直視し、人間の肉体と心の中に神性を見出した稀有で偉大な画家である。これまでの人生の途上で、この画家たちに出会い、少しばかり?のめりこんできたことが、単なる偶然ではなかったことを喜んでいる。
*エリー・フォール(谷川握・水野千依訳)『美術史:近代美術[I]』(国書刊行会、2007