時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

トマトが引き出す記憶

2008年07月29日 | 雑記帳の欄外

  トマトとじりじりと焼けるような夏の太陽は、記憶の中では切り離せない気がしてきた。フロリダのトマト摘み労働者の記事を書いていると、思いがけないことが脳裏に浮かんできた。これまでに食べたトマトの味や香りがすこしずつよみがえってきたような気がする。

  子供の頃はトマトはあまり好きではなかった。果物のように魅力的に輝いた赤さを裏切るような、あの青臭い香りが遠ざけさせた。昔はトマトが嫌いだったという大人はかなりいるようだ。ところが、最近はあの青臭さかったトマトを懐かしがる人もいる。大人といっても、50代以上か。

  戦後しばらく、トマトと胡瓜は、野菜の中で苦手の最たるものだった。双方とも青臭かった。食糧難の時代、野菜はこればかり?かなり食べさせられた反発もあったようだ。不思議と、同様に沢山食べたはずの南瓜、茄子、根菜の類はさほど抵抗感がない。これはきっとかなり個人差がある問題だろう。

  気づいてみたら、いつの間にかトマト嫌いではなくなっていた。胡瓜も今は好んで食べている。どこで変わったのか、あまり記憶が鮮明ではない。トマトについて、少し振り返ってみると、どうも「ケチャップの洗礼」を受けたあたりから変わってきたようだ。あのデルモンテやハインツ、そしてカゴメのせいか? 

  戦後日本にまだハンバーガー・チェーンが出店していない頃、アメリカで食べたマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンは、別世界の食べ物のようだった。週末晴れた日など、仲間と出かけたピクニックには、フライド・チキンのボックスがしばしば付きものだった。そして付け合わせのフライド・ポテト、どれにも真っ赤なトマト・ケチャップがかけられた。

  ケチャップには青臭さがなく適度に甘からく、かなり好きになった。これも、アメリカの味なのだと思った。しかし、今はバーガー、フライドチキン、どれも敬して遠ざけている。

  遠い異国の地?から来たのだからと家族のように受け入れてくれた友人の家では、トマトはあまり食卓に登場した記憶がない。それよりも衝撃的だったのは、いつも夕食後デザートに出してくれたハーゲンダッツなどのアイスクリームの山、日本の数倍はあった。喜んで平らげたのは最初の1週間くらいか。翌週からはどうやって量を極小にしてもらうか、苦労が始まった。当時、アメリカ人女性が「ダイエット中よ」というと、デザートのアイスクリームをスキップすることも知った。

  帰国後、しばらくお仕えした経済学の泰斗N先生が、戦後日本に入ってきたマクドナルトの話になると、「ああ!ファーストフードね」といわれて、苦笑され、複雑な顔をされていたのを思い出す。地下鉄は品の悪い乗り物と敬遠したというシュンペーター教授のご友人だから、むべなるかな。アメリカ経済学全盛の時代。経済学に席巻されるのはともかく、あれは一寸という感じで少し愉快だった。N先生がマクドナルドのハンバーガーを試食されたか、うっかり聞き損ねた。

  アメリカ生活でのトマトにはさらに思い出がある。しばらくアパートをシェアしたC君は、イタリア移民の息子だった。ニューヨーク州北部のエンディコットに両親が住んでいて、長い休みになると孤独な留学生を一緒に家へ招いてくれた。決して豊かな家ではなかったが、純朴なマンマ・ミーアが朝からトマトを鍋一杯に煮ていて歓迎してくれた。パスタのソース作りも半日がかりなのだ。使うトマトは、もちろん調理用のイタリアン・トマトだ。ドライ・トマトも沢山食べた。太陽のエッセンスのような感じがした。アパートで食事当番をシェアした時も、C君からケチャップなんて買うなよと言われた。イタリア人は母系社会なのを思い知らされた。
  
  休み明けにアパートへ帰る時には、袋一杯のサラミやバニーニを持たせてくれた。幸せな時代だった。トマト・アレルギー?はすっかり消えていた。パスタのソースを作るために、果肉の少ないイタリアン・トマトを、C君がアパートで朝からぐつぐつと煮ていた時代を思い出す。瓶詰めや缶詰のパスタソースなど論外だった。イリノイ大学機械工学の教授となったが、一寸音信不通、どうしているだろう。

  その後、仕事で長滞在したフランスは、さすがに野菜類も自然の味があった。トマト・サラダが好きになったのは、この国のおかげだ。ただ、切って並べ、オリーブ油をかけただけで、十分美味しい。一時期、昼にはサラダ・ニソワーズばかり食べていた時もあった。

  その後、トマトがまた苦手になってくる。イギリスで暮らした時、TESCOやセインズベリーで買うトマトは、色は完熟のように赤いのだが、とにかく皮が固い。ナイフでかなり力を入れないと切れない。そして、味もいまひとつだ。また敬遠気味になった。少し価格は高めのオランダやスペイン産のトマトはまずまずの味なのだが。親しいイギリス人の友人に聞くと、イギリス人は食べ物にあまり関心を持たないからなあとの答だ。トマトは皮を剥き、ほうれん草は原型がなくなるまで煮て食べていた。

  トマトのイメージは次々と拡大して、とめどなくなりそうだ。日本のトマトについて一言。ずいぶん品種改良がなされて、大変食べやすくなった。外観も見目麗しく芸術品のようだ。しかし、なんとなく失われたものを感じる。子供の頃のトマトは、灼熱の炎天下、野性味を持った存在だった。最近、市場を席巻?しているらしい「桃太郎」は、もはや果物だ。化粧箱に整然と収められたトマトを見て、ドイツ人の友人が驚いていた。フルーツトマトの名もあるらしい。子供たちや若い人たちに人気のあるミニトマトは、ベリーのお化けのような感がしないでもない。炎天下の夏、冷たい井戸水に浮かぶトマトやスイカの世界が懐かしい。これも1980年代生まれの方には分からない話だ。

  

  

  

コメント
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