時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

オランダの光:画家の真意は?

2008年08月29日 | 絵のある部屋

Pieter Jansz saenredam (1597, assendelft-1605, Haarlem)
Interior of the Church of St.Bavo in Harlem
oil on panel, 2 x1.4m, National Gallery of Scotland, Edingburgh  

  

    退屈だといわれた17世紀、オランダ・ジャンル画について、先入観を捨てて再度見てみたいと思ってきた。美術史家ではないアマチュアの目で見たら、別のことに気づくことがあるかもしれない。実はこんな不遜な思いを多少抱いたのはかなり以前のことだ。それまで折に触れて見たり、読んだりしてきた美術史家の著作やカタログの中などに、時々どう考えても納得できない記述に出会い、作品を見直したり、知人の専門家に尋ねることで、誤りを発見したことが少なからずあったからである。老眼も、時々妙なことに気づくことがある。

  17世紀のオランダの美術界は、「黄金時代」の繁栄をきわめた。しかし、新教カルヴィニストは偶像や絵画を礼拝の対象とすることを禁じ、個人の救済は信仰にのみよって得られるとして、教会内に聖人などの偶像を置くことを禁じてきた。16世紀、とりわけ1566年頃にはイコノクラズム(偶像破壊運動)が町や村へと波及し、数多くの教会や修道院の聖像などが破壊された。絵画や装飾に比較すると、聖像は立体的で迫力があり、人々に訴える世俗的信仰の対象となりやすいこともあって、物理的破壊の対象となりやすかったらしい。

  それにもかかわらず、17世紀のオランダ美術が繁栄の時を迎えたのは、宗教色の薄い靜物画、風景画、風俗画などのジャンル画の領域へと比重が傾斜したことが、ひとつの大きな理由といえるだろう。しかし、反面で宗教画や歴史画のような、人々の心に訴えるものを次第に失っていた。おびただしい作品数にもかかわらず、オランダ・ジャンル画が平凡で退屈だという印象を創り出したのは、このためだろう。

  17世紀、オランダの画家サーンレダム(サーレンダム) Pieter Jansz saenredam (1597, assendelft-1605, Haarlem) の描いた教会画について触れたことがある。サーンレダムが描いた教会は、建築家の設計図を思わせる精密さで描かれていた。

  この画家はなにを目指して制作にあたったのか。最初はプロテスタント新教会の刷新されたイメージを精確に描くことを目指したのかと思った。描かれた作品、とりわけ教会内部の聖像や装飾が一切取り払われたクリーンな壁面は、新教徒たちの清新さを誇示するかにも思えた。内部に描かれた人々の数も少なく、時には人影も見あたらない。わずかに目立つのは、カルヴィニストにとって最も重要な説教壇 culprit くらいなものである。長く見慣れたきたカトリック教会に溢れていた聖像や装飾は、もはやそこにない。

  しかし、作品をかなり見ている間に、少し印象が変わってきた。人物が描かれている場合でも、教会全体に比して、きわめて小さく描かれ、教会の壮大さをことさら誇張しているような作品も多い。これらの例を見ると、一見正確に対象を描いたかのようにみえる教会画も、画家の意図が働いた創作であることが分かる。

  何度も目にしたハールレムの聖バーヴォ教会の内部を描いた作品(上掲)があるが、この一見して、がらんとした印象の教会は、カトリック教会を改装し、「中立的な」教会イメージとして、教会画ジャンルで、カルヴァン派教会が認めたモデル的な作品とされてきたらしい。

  ところが、西洋文化史家のピーター・バーグが、驚くべきことを述べていることに気づいた。要約すると、サーンレダムの描いた一連の教会画は、教会自体はカルヴァン派の礼拝に用いられていたものだが、カトリック教徒のような人々も描かれているという。描かれている儀式の執行者は、プロテスタントの牧師ではなく、サープリスという短い白衣とストールを身につけたカトリックの司祭だと記している(邦訳p.129)。*

  サーンレダムは、ハールレムのカトリック教徒と親しかったことが知られている、(この点は、サーエンレダムの研究者にはかなり知られていることではあった)。注目すべきことは、バーグが次のように結論づけていることだ。「ということは、画家は絵画の中で教会をかつてのカトリックの状態に”修復”してしまったのだ。したがって、サーンレダムの絵画はオランダにおける教会の当時のありさまよりも、オランダにおけるカトリックの不屈さを物語るよい証拠だといえる。それはありのままどころか、「歴史的、宗教的な含みをもたらされている」**のである。」(バーク邦訳 P.129)

  バークは、この点を先行研究者のシュヴァルツとボックから示唆された(**の部分)ようだが、この画家の作品を最初見た時とは、別の新たな衝撃を受けた。一見、新教会を精確に描くことが画家の意図であった思っていたが、もしそうであれば画家の意図はまったく異なってくる。バーグが指摘することが正しければ、これらの作品は当時の教会の忠実な描写ではなく、画家の隠された意図を含んだ作品ということにある。

  もちろん、サーンレダムにかぎらず、教会画を描いた画家たちが現実にはないさまざまなものを描き込んだり、故意に捨象していることには十分気づいていた。しかし、この指摘が正しければ、一見客観的、実証的な絵画作品の中に封じ込まれた画家の思いを読み取らねばならない。


Pieter Jansz saenredam
Interior of the Church of St Odulphus, Assendelft (detail)
1649, Oil on panel
Rijksmuseum, Amsterdam
当時の教会内部での説教風景が推測できて、大変興味深い。


  スペインとの長年にわたる熾烈な戦争を経て独立を勝ち取った新教国オランダでは、カルヴァン派は強権をもって国内の制圧・支配に当たった。特に16世紀後半のヨーロッパのカルヴァン派の地域は、「あらゆる聖像を全面的に拒絶する」という意味での「聖像恐怖」という時期でもあった。しかし、そこにおいても、カトリック教徒やユダヤ教徒がある程度の居場所、空間を保持していたことは知られている。この「共存」の関係、きわめて興味深いところがあるのだが、最近はその実態を解明しようとの研究もかなり進んできたようだ。聖像破壊運動や聖像恐怖にしても、ヨーロッパ全域に広がっていたわけではない。カトリック、プロテスタントの教徒たちの日常の生活はいかなる状況にあったのか。
これまで疑問なく見ていた一枚の教会画も、急に見え方が変わってきた。



 バークの邦訳(下掲)に掲載されているサーンレダムの作品にみるかぎりは、カトリック司祭や教徒らしき人物は十分確認できない。他の作品も検討しているが、サーンレダムの全作品を見たことがないので、バーグの主張はまだ十分納得できないところがある。しかし、きわめて興味深い謎を含んだ指摘である。
  

** Gary Schwartz and Marten J. Bok, Peter Saenredam the Painter and his Time, 1989: English trans. London; 1990.pp.74-6.

Peter Burke. Eyewitnessing: The Unses of Images as Historical Evidence, London: Reaktion Books, 2001
. ピーター・バーク(諸川春樹訳)『時代の目撃者』中央公論美術出版、2007年

コメント (2)
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