世界の移民の数や人口に占める比率は、長い時間のパースペクティブで見てみると、着実に増加している。かつて「人口爆発」といわれたほどの増加率ではなくなったが、現在67億人近い世界の人口は、国連推計では2050年に向けて87億人近くまで増加を続けると推定されている。この地球はさらに混み合ってくる。島国であることに加えて人口減少が急激に進む日本に住んでいると実感がないかもしれないが、人はさらにひしめき合って、この地球に生きることになる。とりわけ開発途上国の人口増加は、環境汚染や食料危機をさらに悪化させる原因のひとつになっている。そうした「悲惨な時代」に、幸い自分は確実に存在していないことが分かっているのだが、やはり気になる。
世界の人口に占める移民の比率も、国際的な統計が次第に整備され、ほぼ時系列で追跡できるようになった。世界の人口全体の中では3%強とさほど大きくないかに感じられるかもしれないが、移民は特定の地域に偏在するので、非常に大きなインパクトを感じる地域も多い。長期的に比率は上昇傾向を辿っている。
他方、短期の視野で見ると、国境を越える移民・外国人労働者の動きにはかなり大きな波動のような変動がみられる。いま、世界の移民の潮流はひとつの転換期にあるという指摘がなされている。要するに、これまで増加してきた移民の流れが落ち着き、反転減少の動きを見せているという*。大分眉唾ものだと思っているが、移民労働のウオッチャーとしては、見逃せない点だ。
移民の需要と供給の双方について、いくつかの点が指摘されているので、見てみよう:
(1) メキシコなどラテン・アメリカ諸国から、アメリカへの移民の数が減少している。
これについては十分信頼できる統計はないが、いくつかの観察結果から、そうではないかと推察されている。ひとつには、このところ3年続けて、アメリカ・メキシコ国境周辺での不法移民の拘束数が減っていることだ。2000年には年間164万人の拘束者があったが、その後大幅に減少、2002年かから再び増加を見せたが、最近ではおよそ半減に近いという。また、移民の母国であるラテン・アメリカ諸国への外貨送金は、2007年には240億ドルと観光収入を上回っていた。しかし、2008年については減少しているようだ。
このように、流入移民数と外貨送金の二つが減っている要因としては:
第一に、 アメリカ国内での移民、とりわけ不法移民に対する反感が高まったことが挙げられている。これについては、9.11以降の反テロリズム基調が続いていること、州レベルでの入国書類不保持者を雇用することへの規制強化、州や郡などのレベルで強化されてきた移民取締り、不法入国者についての情報を入手する科学的探索・発見などの技術的向上などがあげられている。
こうした中で、アメリカの国土安全保障省は、新年度の不法入国者(テロ対策も含む)対策予算として120億ドルを計上した。これには、国境パトロールの強化、物理的障壁の設置などが含まれている。南のボーダーは確かに物理的障壁は高くなる。
第二に、アメリカ経済の停滞の影響が指摘されている。2007年以来、経済が停滞し、新規雇用も減少している。そのため、アメリカ国内の移民労働者の雇用機会が減少し、その情報がメキシコなどへ伝わっている。こうした情報の伝達速度は、IT時代の今日ではきわめて速い。
(2)EUにおいても移民数の流入が減少している。
EUの統一的移民政策Frontexの責任者は、政策効果が上がって証拠として、北アフリカからの不法入国者を例年の倍近く送り戻したと報告している。イギリスなどでも、移民流入数は減っている。しかし、これについては、テロ対策などもあって事業所などへの臨検が拡大している影響もある。フランス、イタリアなどでも同様な動きが見られる。ブログで指摘したロマ人問題もそのひとつだ。
ヨーロッパでは東欧諸国などからイギリス、ドイツなど西を目指す移民の流れは、一時は専門家の予想を上回った。しかし、当初の高い水準が継続するわけではない。流れの逆転も起こりつつある。ポーランドからイギリス、ドイツなどへ出稼ぎに行った労働者からの外貨送金は当初増えた。しかし、バルティック諸国の経済が活況を呈するようになって賃金も上昇し、ポーランド国内の建設労働者などの賃金も上昇し、労働力不足の事態も生まれるようになった。その結果、帰国者の数も増加しているという。これも、事実として確認されているとみてよいだろう。
結果として、ヨーロッパでも、移民への需要も供給も減っているという推測である。しかし、これはアメリカ、ヨーロッパに見られている変化であり、世界の他の地域、中東諸国、オーストラリア、アフリカ、アジアの一部などでは、移民・外国人労働者の数は依然増え続けている。さらに、テロ対策その他で受入国の規制が強化されて流入が減少しているとしても、その背後にある流入圧力も軽減しているとは言い切れない。
アメリカの移民政策が連邦法レヴェルでは、新大統領が決定するまで、事実上機能不全状態にあること、オバマ、マッケインいずれの大統領になろうとも、ヒスパニック系票田確保にこれまで以上に傾斜を強めざるをえないこと、物理的障壁強化の実効性に疑問が持たれていることなど、多くの要因が不安定な状態にあることが、現在の小康状態を生んでいると見るべきではないか。
EUについても、加盟国拡大に伴い基軸国と新加盟国との人的交流は拡大しており、人的移動性が減少することは考えにくい。焦点は加盟国拡大によって前線が東へ移行しており、新たな国境問題も外延部へとシフトしていることだ。
これらの点を総合してみると、それほど簡単に移民の流れが減少の方に方向転換する兆しが見えているとは断定できない。母国が次第に競争力を身につけ、経済水準がある一定レベルに達すると、海外出稼ぎへのインセンティブは次第に低下し、送り出し数は漸減する傾向はこれまでも観察された。ポーランドやルーマニアなどでそうした動きが見られることは望ましいことだ。雇用の機会が自国内にあり、家族などと離れることなく過ごせることは、いかなる国にとっても望ましい。
ヨーロッパやアメリカへ移民しようと考える所得の閾値は、年収6000ー7000ドル(Kathleen Newland、Migration Policy Institute) くらいという推定もある。しかし、この判定ラインも経済発展とともにかなりシフトすると見るべきだろう。
総体として自国内に仕事の機会が得られるようになることは、その国にとって望ましいことだ。しかし、自国経済が十分な雇用機会を提供しえない最貧国にとっては、先進国の壁が高くなり、移民の機会が減少することは影響が大きいと見られている。 World Bankの推定では、1兆ドルが2007年には貧しい国へ流れたが、2009年には8000億ドルくらいに減少するだろうとの推定だ。外貨送金の減少が、原油や食料品の高騰と重なると打撃が大きい。そうなると、国内経済の不振で雇用機会がなく、急迫した海外出稼ぎへの圧力も高まる可能性も残されている。
地域を個別的に見ると、さほど楽観はできない。最大の問題地域は中国だ。国内労働移動の問題になるが、北京などから強制的に送り戻されている農民工たちは、五輪後どうするのだろうか。インフレ圧力の高進の下、十分な雇用機会を確保することは難しくなっている。
中国政府は、北京五輪という国民的目標が達成された後の空白に不安を抱いているという。すべてを五輪の成功のためにと、牽引してきた緊張が途切れる瞬間だ。メディアは五輪の成功に中国13億人が燃えていると形容しているが、燃えていない人の方がはるかに多いのではないか。五輪の火が消えた後の闇の暗さは大きな不安要因だ。
ヨーロッパでは自国民の人手が足りなくなっている高齢者の介護などの仕事は、次第に遠方の国から受け入れないとまかなえなくなる。たとえば、イギリスの場合、遠く、スリランカ、フィリピンなどのアジア諸国に依存する動きがある。高齢化はアジアでも明らかに拡大し、人手不足をおぎなうために、台湾、そして日本でも外国人を「家事手伝い」として雇い入れる動きが静かに浸透している。
OECDの推計によると、2000年頃の時点で、OECD諸国に占める外国生まれの人口比率は平均7.5%とされている。15歳以上の人口については、およそ9%とされる。比率が高い国はルクセンブルグ(32.6%)、オーストラリア(23%)、スイス(22.6%)などだ。他方、韓国、メキシコなどは1%以下である。日本もかろうじて1%を上回る程度である。
世界全体の移民の絶対数、人口に占める比率には大きな変化はなく、着実に増加している。今日の2億人の移民ストックは2-30年すれば、3億近くになるのは間違いない。アメリカ、EUなどに見られる一見、移民の流れが弱まっているかに見える動きは、かなり多くの要因が重なったものであり、世界の移民の流れが需給共に減少、反転に向かっているとは即断できない。大きな潮流、小さな流れの双方について、絶えずウオッチを続ける必要は依然として残っている。
Reference
"A turning tide?" The Economist June 28th 2008