グローバル化の進展は、当然ながら医療、健康の分野の人材移動にまで及んでいる。その一端はこのブログでも折に触れて、紹介、分析を加えてきた。国境を越えてインターネット上で情報の授受が可能なカルテの事務処理・解析、X線画像読影などは、すでにかなり前から大きなビジネス分野になっている。IT上での診断、手術指導なども行われている。
そして、これも以前からかなり注目を集めてきたのは、医師、看護師、介護士など、医療・看護スタッフの開発途上国からのリクルートである。 さらに、近年顕在化してきたのは、患者自身の国際移動である。この動き、メディアは「メディカル・トゥーリズム」medical turism と称している。治療を受けるために患者が国境を越えて、他国での治療を受けることがその内容である。
特に最近増えているのは、アメリカ人で医療保険に加入していない人(約4500万人との推定もある)あるいは保険金が低額しか期待できない人の海外治療であるようだ。他方、富裕層が海外で休暇を過ごす傍ら、美容クリニック、整形治療などを受けることも多いらしい。彼らが目指すのはシンガポール、バンコク、クアラルンプールなどのアジア、あるいはメキシコ、ハイチ、ドミニカなど、ラテン・アメリカの病院である。この頃は在外インド人などで、本国へ戻って治療を受ける者も多いという。インド国内の医療水準が顕著に向上したことも、ひとつの理由らしい。EU諸国は総じて国内の医療システムに依存しているようだが、NHS改革後も問題の多いイギリスからは、トルコ、インド、ハンガリーなどの病院で治療を求める患者の移動増加が指摘されている。
シンガポール、バンコクなどでの動きについては、以前にも記したが、最近注目される動きとしては、タイ、バンコクのブムルングラッド病院 Bumrungrad hospital が、6000人の外国人患者を受け入れる世界最大を誇示するアネックスを開設した。アメリカ、中東諸国などからの患者増加を期待しているようだ。
こうした海外の病院で受ける治療の安全性、医療の質的内容などでは問題点が指摘されているが、経済的問題を抱えた当事者にとっては残された唯一の選択肢となっていることも多い。
さまざまな形での差別化が同時進行しており、シンガポールの病院などでは、医療設備、スタッフともに世界最高水準とPRしているところもある。国際的な医療サービスの認定機関から、「お墨付き」を得て、医療につきものの治療の安全性、質的保証への不安解消に努めている。最寄り空港からの送迎サービスに始まり、高級ホテル並みの滞在サービス、そして最高の医療サービスをうたっている。最近、東南アジアに居住の場を移した友人から、現地病院で前立腺がんの治療を受けた話を聞いたが、インフォームド・コンセントの問題を含めて、医療の内容には大変満足していた。
現在の段階では、こうしたメディカル・ツーリズムを生んでいる最大の動機は、富裕層の場合は別として、おおかたは患者として医療コストの大幅軽減が見込めることにあるようだ。医療費高騰が激しいアメリカでは、同じ治療を海外で受ければ、本国の15%程度ですむとの試算すらある。企業によっては、医療費削減のために従業員の海外での治療を支援・促進する方策を導入しているところさえ出ている。
アメリカでは、2012年までに1千万人の患者が海外で治療を受けるために旅するのではないかと推定されている。それによって、アメリカ国内の病院収入は減少し、年間1600億ドルの減収が生じるとの推定もある。
開発途上国で危惧されていることは、自国の希少な医療・看護スタッフが、高い報酬が保証される外国人の患者や一部富裕層対象の病院へと移動し、自国民に対する医療システムが劣化することだ。しかし、海外へ希少な医療・看護スタッフが流出することを、こうした変化が多少なりとも抑制できるならば、頭脳流出を防ぎ、国内に高い技術を維持する医療基盤が根付くことに貢献するかもしれない。実際、中南米諸国の一部では、民間病院ではあるが、医療水準の改善に伴い、海外へ流出した医療人材がUターンしてくる事例も増えているとの変化も生まれている。
こうした一連の医療関係者、患者の国境を越える移動が、開発途上国にとって、全体として「頭脳流出」 brain drain となるのか、外国人患者増加による病院収入増などによる「ネットゲイン」 net gain となるのか、現段階では情報が不足しており、あまり明らかではない。しかし、将来を見越して、アメリカのメイヨ・クリニック、ジョンズ・ホプキンス大学などのように、中東やアジアへ拠点を築こうと動いているところもある。
開発途上国に置かれた拠点的病院から高い技術があふれ出る「スピルオーバー」効果を生めば、地域の医療水準向上という点で長期的には望ましい結果につながることも考えられる。バンコクやシンガポールの一部の病院のように、世界最先端のIT技術を導入し、加えての医療人材コストの優位性(ある推定では、病院医療コストに占める比率でみて、アメリカの55%に対して18%くらい)で、グローバル市場での優位を誇示するところも現れている。
医療の世界においてもグローバル化が、多様化とともに、さまざまな格差を拡大することは避けがたい。問題は人間として最低限必要な医療サービスを受けられない層をいかに救済するかということにある。
現状では、こうした「メディカル・ツーリズム」は、問題を抱えた国の医療システム改善に大きく寄与するとは考えられていない。医療という分野は、言語や移動に伴う問題に加えて、治療の安全性、サービスの質の保証、さらには倫理性などの点で、他の分野とはかなり異なる問題を内在しているからだ。
しかし、こうした変化の推進者たちは、彼らの試みが競争要因を世界の医療市場へ導入することになり、システム改善への促進要因となると考えているようだ。とりわけ、これまで市場要因が最も働きにくいとされ分野のひとつとされてきた医療領域での新たな動きは、グローバルな医療の世界にかなり顕著な変化を生み出すだろう。看護師・介護士問題を除くと、日本ではあまり注目を集めていないトピックスだが、不可避的に進行するグローバル化の多面的な動向からは目を離せない。
References
'Importing competition' The Economist August 16th 2008
'Operating profit' The Economist August 16th 2008
そして、これも以前からかなり注目を集めてきたのは、医師、看護師、介護士など、医療・看護スタッフの開発途上国からのリクルートである。 さらに、近年顕在化してきたのは、患者自身の国際移動である。この動き、メディアは「メディカル・トゥーリズム」medical turism と称している。治療を受けるために患者が国境を越えて、他国での治療を受けることがその内容である。
特に最近増えているのは、アメリカ人で医療保険に加入していない人(約4500万人との推定もある)あるいは保険金が低額しか期待できない人の海外治療であるようだ。他方、富裕層が海外で休暇を過ごす傍ら、美容クリニック、整形治療などを受けることも多いらしい。彼らが目指すのはシンガポール、バンコク、クアラルンプールなどのアジア、あるいはメキシコ、ハイチ、ドミニカなど、ラテン・アメリカの病院である。この頃は在外インド人などで、本国へ戻って治療を受ける者も多いという。インド国内の医療水準が顕著に向上したことも、ひとつの理由らしい。EU諸国は総じて国内の医療システムに依存しているようだが、NHS改革後も問題の多いイギリスからは、トルコ、インド、ハンガリーなどの病院で治療を求める患者の移動増加が指摘されている。
シンガポール、バンコクなどでの動きについては、以前にも記したが、最近注目される動きとしては、タイ、バンコクのブムルングラッド病院 Bumrungrad hospital が、6000人の外国人患者を受け入れる世界最大を誇示するアネックスを開設した。アメリカ、中東諸国などからの患者増加を期待しているようだ。
こうした海外の病院で受ける治療の安全性、医療の質的内容などでは問題点が指摘されているが、経済的問題を抱えた当事者にとっては残された唯一の選択肢となっていることも多い。
さまざまな形での差別化が同時進行しており、シンガポールの病院などでは、医療設備、スタッフともに世界最高水準とPRしているところもある。国際的な医療サービスの認定機関から、「お墨付き」を得て、医療につきものの治療の安全性、質的保証への不安解消に努めている。最寄り空港からの送迎サービスに始まり、高級ホテル並みの滞在サービス、そして最高の医療サービスをうたっている。最近、東南アジアに居住の場を移した友人から、現地病院で前立腺がんの治療を受けた話を聞いたが、インフォームド・コンセントの問題を含めて、医療の内容には大変満足していた。
現在の段階では、こうしたメディカル・ツーリズムを生んでいる最大の動機は、富裕層の場合は別として、おおかたは患者として医療コストの大幅軽減が見込めることにあるようだ。医療費高騰が激しいアメリカでは、同じ治療を海外で受ければ、本国の15%程度ですむとの試算すらある。企業によっては、医療費削減のために従業員の海外での治療を支援・促進する方策を導入しているところさえ出ている。
アメリカでは、2012年までに1千万人の患者が海外で治療を受けるために旅するのではないかと推定されている。それによって、アメリカ国内の病院収入は減少し、年間1600億ドルの減収が生じるとの推定もある。
開発途上国で危惧されていることは、自国の希少な医療・看護スタッフが、高い報酬が保証される外国人の患者や一部富裕層対象の病院へと移動し、自国民に対する医療システムが劣化することだ。しかし、海外へ希少な医療・看護スタッフが流出することを、こうした変化が多少なりとも抑制できるならば、頭脳流出を防ぎ、国内に高い技術を維持する医療基盤が根付くことに貢献するかもしれない。実際、中南米諸国の一部では、民間病院ではあるが、医療水準の改善に伴い、海外へ流出した医療人材がUターンしてくる事例も増えているとの変化も生まれている。
こうした一連の医療関係者、患者の国境を越える移動が、開発途上国にとって、全体として「頭脳流出」 brain drain となるのか、外国人患者増加による病院収入増などによる「ネットゲイン」 net gain となるのか、現段階では情報が不足しており、あまり明らかではない。しかし、将来を見越して、アメリカのメイヨ・クリニック、ジョンズ・ホプキンス大学などのように、中東やアジアへ拠点を築こうと動いているところもある。
開発途上国に置かれた拠点的病院から高い技術があふれ出る「スピルオーバー」効果を生めば、地域の医療水準向上という点で長期的には望ましい結果につながることも考えられる。バンコクやシンガポールの一部の病院のように、世界最先端のIT技術を導入し、加えての医療人材コストの優位性(ある推定では、病院医療コストに占める比率でみて、アメリカの55%に対して18%くらい)で、グローバル市場での優位を誇示するところも現れている。
医療の世界においてもグローバル化が、多様化とともに、さまざまな格差を拡大することは避けがたい。問題は人間として最低限必要な医療サービスを受けられない層をいかに救済するかということにある。
現状では、こうした「メディカル・ツーリズム」は、問題を抱えた国の医療システム改善に大きく寄与するとは考えられていない。医療という分野は、言語や移動に伴う問題に加えて、治療の安全性、サービスの質の保証、さらには倫理性などの点で、他の分野とはかなり異なる問題を内在しているからだ。
しかし、こうした変化の推進者たちは、彼らの試みが競争要因を世界の医療市場へ導入することになり、システム改善への促進要因となると考えているようだ。とりわけ、これまで市場要因が最も働きにくいとされ分野のひとつとされてきた医療領域での新たな動きは、グローバルな医療の世界にかなり顕著な変化を生み出すだろう。看護師・介護士問題を除くと、日本ではあまり注目を集めていないトピックスだが、不可避的に進行するグローバル化の多面的な動向からは目を離せない。
References
'Importing competition' The Economist August 16th 2008
'Operating profit' The Economist August 16th 2008