黄庭堅 草書諸上座帖巻
かねてから評判の「北京故宮 書の名宝展」(江戸東京博物館)を見る。例のごとく「史上空前の傑作書が来る!」、「王義之蘭亭序、日本初公開」など、コピーはかなり大げさだが、暑さしのぎに行ってみることにした。お盆休みのせいか、予想したほどの混雑ではなかった。この企画展の売り物は、触れ込み通り、「書聖」王義之の行書〈蘭亭序〉だ。といっても、本物は晋の時代に制作されたが、唐の第2代皇帝・太宗李世民が溺愛し、遺言によって昭陵に副葬されてしまった。そのため、今日、見られるのは伝わっているさまざまな複製、模本である。
2年前に開催された『書の至宝 日本と中国』(東京国立博物館、2006年1月11日ー2月19日)でも、王義之の〈蘭亭序〉の模本を見たことがあった。この時は、日本にある双鉤塡墨という技法による模本の名品3点が展示されて、注目を集めた。王義之が酒宴を開いたという蘭亭には、10年ほど前、浙江省紹興に行った時に案内してもらった。しかし、魯迅の小説「孔乙巳」の舞台となった「咸亨酒店」は、昼食をとった記憶とともに、食事の内容までよく覚えているが、こちらは石碑を見た程度で記憶があまり鮮明ではない。味覚の支援がないと、記憶も薄い?
伝えるところによると、唐の時代から1000年以上後の18世紀後半、清の乾隆帝の下には、唐太宗の宮廷で制作されたと信じられる〈蘭亭序〉のコピーが少なくも3種類あったという。
それらは初唐三大家のひとり虞世南が写した(臨本?)といわれる「八柱第一本」、同じく褚遂良による「八柱第二本」、そして名工・馮承素による「八柱第三本」であり、今回、来日展示されているのは、この「八柱第三本」である。これらのそれぞれに興味深い来歴、故事がつきまとい、興味深い。中国書史における王義之への熱狂的な人気ぶりがうかがえて興味深い。
これらの模本のいずれについても、明代の所蔵家がそう鑑定しただけで根拠があるわけではないようだ。しかし、これまでの来歴によると、唐代まで遡る優れた模本であるようだ。本文自体はこれまでの書道の教本でおなじみなのだが、模本とはいえ優れた名品を見るのはそれなりに楽しみだ。台北の故宮博物院の方はこれまでに何度か訪れているのだが、北京は度々訪れながら故宮博物院は一度しか見ていない。しかも、この作品は初見である。
単なる素人の印象であり、作品について評価する能力などはないが、王義之の書は自由闊達、奔放なところもあり、見て楽しい。〈蘭亭序〉においても、加筆した文字などもそのままに残され、大変興味深い。カタログには逐語訳はついていないので、類推するしかないが、漢字圏のおかげで、なんとか推測はつく。唐代には〈蘭亭序〉は多数の臨書も行われたようで、おそらく馮承素などは全文暗記していたのだろう。いずれにせよ、臨書の手本はあったはずだ。
こうした名品となると、歴代所蔵者の印が多数押印されている。乾隆帝などの印などを含め、所狭しとばかりに立派な印が押されているのも面白い。最初は作品をスポイルしてしまうのではないかと、異様な感じもしたが、見慣れてくると、墨の黒色と印の朱色の対比の美しさも感じられるようになった。
王義之の〈蘭亭序〉は、実際どれだけ模本、拓本が作成されたかわからないほど人気があったようだ。今回の企画展には、清の時代に制作された自由なアレンジによる〈蘭亭序〉(八大山人 〈行書抄録蘭亭序軸〉)なども出品され、好き嫌いは別として面白い試みに思えた。絵画の世界で、模写の段階から、原作から発想を得て新たな創作が行われる過程に似ている。
明の初代、洪武帝が手ずから書いた勅書〈草書総兵帖、朱元璋〉なども半紙一枚程度の短いものだが、当時の戦線の指示書などはこうしたものだったのかと思わせる興味深いものだった。
この企画展では、こうした作品を中心に、唐、宋、元時代の名品、さらに明、清時代の書も含めて、中国の書の流れを一通り見ることができるようになっている。出展品の数などから決してバランスのとれた企画展というわけではないが、夏のひと時を楽しむことができた。
連日、メディアを賑わしている北京五輪の方は、開会式も人目を驚かす大仕掛けのデジタル花火演出、事大主義的なマスゲーム、仮装の多民族融和など、中国政府が国力と威信をかけた行事ということは伝わってきたが、壮大な乱費という感じで見るからに暑苦しい。参加している選手たちの真摯な演技だけが救いだ。省資源、エネルギーがこれだけ問題化している時代、静かな企画展の方が、はるかに中国文化の精髄が伝わってくる。
References
『北京故宮 書の名宝展』(江戸東京博物館、2008年7月15日ー9月15日)
『書の至宝 日本と中国』(東京国立博物館、2006年1月11日ー2月19日)
余雪曼編『蘭亭叙』二玄社(新装版、2003年)