時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

美術館にはない闇の深さ

2008年08月26日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

George de La Tour(1593ー1652)
1638-43
Oil on canvas, 133,4 x 102,2 cm
Metropolitan Museum of Art, New York


  

   「悔悛するマグダラのマリア」は、現存する真作と模作の数からして、おそらくジョルジュ・ド・ラ・トゥールが最も好んで描いた主題ではないかと思われる。このラ・トゥールの描いた「マグダラのマリア」のシリーズを見ていて、同じ主題を描いた他の画家の作品と比較して、印象がかなり異なることを感じていた。改めていうまでもなく、ラ・トゥールという画家に関心を抱いた一つのきっかけだった。

  「マグダラのマリア」は、16世紀から17世紀バロックの時代、絶大な人気があった画題でもあった。といっても、この時代にどれだけの数の「マグダラのマリア」が描かれたのかも分からない*。しかし、キリスト教美術の主題の中では、格別の人気度であった。それだけ、この主題に共感を持つ人々が多かったのだろう。その時代的風土については、考えることが多々あるが、未だ整理がつかないでいる。

  特に気をつけて「マグダラのマリア」に関わる作品を見てきたわけではない。マグダラのマリアを主題とした作品はいくつかのジャンルに分かれる。その中で、マグダラのマリアの悔悛のテーマは、しばしば涙を流し、組み合わされた両手、そして見るからに大仰に誇張された表情と姿態をもって描かれることが多い。描いた画家が誰であったかは記憶にないのだが、ルーブルでマグダラのマリアを描いた作品を見ていた観客が、「やっぱり涙を流している!」と同伴者に話しかけていたのを記憶している。

  ラ・トゥールの作品では、「マグダラのマリア」の涙としばしば対比される「聖ペテロの悔悛」 あるいは「聖ペテロの涙」 St. Peter Repentant (the Tears of St Peter, 1645)では、まさにその通り、涙にくれる一人の老人の悔悛の姿が明瞭に描かれている。

  他方、ラ・トゥールの「悔悛のマグダラのマリア」  Repentant Magdanene シリーズでは、マグダラは、この作品を知る者にとってはすでにおなじみのプロファイルで、闇の空間を凝視し、沈思黙考するひとりの女性として登場している。そこには、しばしば激しい「熱情」、「情熱」と表現されるパッションを伴ったマグダラのマリアとは異なった静寂な時間が支配している。どことなく神秘的 mystic ともいうべき雰囲気も漂っている。没我の境地ともいえるかもしれない。あの17世紀、未だ「近代」への曉闇ともいうべきか、魑魅魍魎が跋扈するロレーヌの風土を思うと、その感じは強まる。これは、現代の明るい美術館で作品を見ているかぎり、およそ感じられない闇の世界である。この絵、ロレーヌの片田舎、小さな修道院の片隅にでも掲げられているのが最も適している。マグダラのマリアと心を同じにする者が、ひとり静かに対峙し、闇の深奥との交流をはかる場である。

  涙を流すこともなく、ドラマティックな表現も見せていないマグダラのマリアを描くラ・トゥールの作品は、当時の絵画的・イコノグラフィカルな伝統からは、ある距離をおいている。心の内面の高ぶりも抑え、蝋燭の光が映し出すかぎりの光の空間、その外に広がる闇の深奥部を見つめる一人の女性の姿には、いささかも劇的な要素は感じられない。

  マグダラのマリアの悔悛を、涙を流し誇張されたた表情とジェスチャーをもって表出する代わりに、ラ・トゥールは彼女の表情や動作の感情的部分を極力減らすことで、自らの心の内面と神との交流を強調しようとしたと思われる。この画家は、パッションを描くにあたって、ドラマティックな身体的表現で大げさに示す世俗的な理解へ違和感を抱いていたのではないか。
  
    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593ー1652)の生きた時代は、近代哲学の祖といわれる哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)の時代でもあった。画家と哲学者というまったく異なった領域で活動した二人が、同時代人としてお互いの存在を知っていたかはまったく分からない。ラ・トゥールは現在のフランス東北部に当たるロレーヌ公国に生まれ、デカルトはフランスのトゥレーヌ州に生まれた。デカルトの生涯は、年譜的にもかなり明らかにされているが、ラ・トゥールは謎が多い。どちらか一方でも他の存在を知っていた可能性はきわめて少ない。しかし、時代は両者を包み込みながら、聖俗双方の世界において、大きく転換していた。
   
  今日、情熱、熱情などの語義で使われている「パッション」 passion は、17世紀フランスで使われていた意味とは、明らかに異なる。現代ではパッションは、主体の感情あるいは情緒の心理的状態を意味する。しばしば激しい感情的高ぶりを伴う。実は、こうした世俗化した概念には、17世紀後半まで強かった宗教的含意は無くなっている。Passion という用語は元来、苦痛、苦悩という意味のラテン語のpassioから由来している。キリストの受難が意味するキリストの死と人類への贖いのための肉体的苦難 suffering の意味であった。しかし、17世紀後半には、パッションにまつわるこうしたキリスト教的、あるいは精神的、霊的つながりは次第に浸食されていた。

   宗教改革に続く新旧教対立の流れで、17世紀前半は、カトリック宗教改革 Reforme catholique が作り出した精神的、美術的刷新の時期であったことに注目しておくべきだろう。デカルトが人間を理性的主体として位置づけ、精神がその感情を支配するとしたのに対して、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのような画家は、精神的なパッションの優位を神との契約の手段とした。他方、この時期に生まれたデカルト的解釈に基づき、肉体的行動と理性的な主体という意味でのパッションの再定義によって、パッションの精神的、霊的、聖的つながりは薄れていった。  

  最後のトリエント公会議(1563年)の後、カトリック教会側は宗教画のあり方、とりわけその「適度な平衡」の維持にきわめて神経質であった。画家の制作活動へのさまざまな介入・制約は多数指摘されている。それをいかに受け止めるかは、画家の力量、思慮、社会的名声など多くの要因が関係していた。

  マグダラのマリアは、別格の主題であり、それだけに注目度も高かった。ラ・トゥールはこうした時代の変化をどこかで深く受け止めながら、マグダラのマリアを描いたのだろう。ラ・トゥールの宗教的・精神的遍歴をたどりうる証拠は、ほとんどなにも見いだされていない。残された細く、切れた糸をつなぐような作業は、今後も続くのだろう。それにしても、パッションの原初的意義に立ち戻り、見えざる神との心の交流を描こうと試みたラ・トゥールのマグダラのマリアは、そこに含まれた精神性と神秘性という点でも、深く考えさせる内容を含んだ作品であることを改めて思う(北京五輪の喧騒が収まりつつある深夜、眠れないひと時に)。


References
* 岡田温司『マグダラのマリア』中公新書、2007年

コメント
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