大学生の採用活動をめぐって、採用内定者の内定取り消し、就職活動(就活)の早期化(青田買い)、フリーターの増加など、いくつかの問題が議論されている。実はこれらの議論は10年越しのものだ。事態はまったく改善されていない。
『朝日新聞』(2008年12月2日朝刊)「声」欄に、「卒業待っての採用できぬか」との投書が掲載されていた。「腰をすえて勉強し、一番学力もつく時にこんなことでよいのか」というご指摘である。改めて述べるまでもなく、大変真っ当なご意見だ。なぜ、こうした状況が改善されずに続いているのか。
これらの問題に多少関わった者として考えることは、日本の企業も大学も長期的視点がまったくないといわざるをえない。優れた人的資源を育てる以外に生きる道はないこの国にとって、大学の名に恥じない教育を行うことは、大学、学生、企業など関係者のいずれにとっても、将来のために不可欠なことだ。
「大学教育に支障をきたさずに新卒採用を行う」目的で、産業界と大学側が協定を結んだのは、1992(平成4)年であった。これに先立って、いわゆる就職協定が1988(昭和63)年度から結ばれていた。有力企業による学生の「青田買い」や、採用したい学生を他社へ引き抜かれないよう、学生をさまざまに拘束するなどの行為が、就職市場の秩序を混乱させ、大学・企業ともに困り果てた結果であった。
92年協定の柱となっていたのは、「企業説明会、会社訪問などは7月初旬以降解禁、具体的な採用選考は8月1日前後を目標とし、企業の自主決定とする。採用内定開始は10月1日」という内容だった。ところが、スタートしたその年から協定はほとんど守られなかった。
通年採用やインターネット上での募集・採用なども広がり、協定は形骸化してしまった。日本経済は長期の停滞期に入り、企業も人材採用に厳しくなった。1997(平成9)年には、その年度の就職協定は締結を断念することになり、倫理憲章だけが残った。
もともと、長い受験勉強の後に入学した大学では、学生間にしばらく受験疲れの’リハビリ’期間のような状況が生まれ、それがやっと落ち着いて学生生活の後半に入る頃には就職活動に巻き込まれてしまうという問題が指摘されてきた。とりわけ最終年次は、学生も浮き足立ってしまうことが多い。しかも、早く就職が決まった学生は、大学の授業に関心を失ってしまい、しばしば教育環境を損ねていた。大学が高等教育機関を標榜しながらも、卒業後に残るものはサークルと友人だけという悲しい状況すら生まれた。これらの問題は改善を見ることなく、今日まで変わらず続いている。
事態を改善するためになにをなすべきか。かつて、大学の機能を本来あるべき姿に復元させるためにも、少なくも選考、採用決定など採用活動の中心は、大学の正規の課程が修了した後に行われるよう、大学・企業など関係者が協議し、新しい合意を確立することが考え得る有力な選択肢のひとつとして提案された*。しかし、大学関係者の現実認識の不足もあって、十分議論がなされなかった。
この提案の方向に沿うことで、大学という「教育の次元」と就職・雇用という「労働の次元」の間に一定のけじめをつけ、崩壊する大学教育にある程度の歯止めとすることができると考えられる。もちろん、惨憺たる状態にある日本の大学を建て直すには、多くのことがなされねばならない。
しかし、少なくともこうした措置を導入することで、大学の正規の教育課程を外部市場の横暴な圧力から隔離し、大学が目指す教育を実行できるだけの時間を確保することができる。真に大学卒業者としての力量を備えた人材を採用できるという意味で、企業にとっても長期的に大きなメリットがあるはずだ。
人口激減に直面するこの国にとって、将来を背負う若い人材の教育には最大限の配慮が払われるべきだろう。この問題については、大学もさることながら、主導権を握っている企業側の反省と節度ある行動が最重要である。グローバルな経済危機で雇用需要が激減している現在、日本にとって、この問題を考える最後の機会かもしれない。
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『学生の職業観の確立に向けて:就職をめぐる学生と大学と社会』日本私立大学連盟・就職部会就職問題研究分科会、1997年6月