時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

隠れキリシタン:17世紀オランダのカトリック(6)

2008年12月15日 | フェルメールの本棚

Canalside house, Gouda, Netherlands



 オランダ、ゴーダからの友人S夫妻を迎えての一夕、話題は14日閉幕したフェルメール展(東京都美術館)から現代オランダの医療事情まで、果てることなく拡大した。30年以上のつき合いとなる。日本で教育も受けた知日派だ。これまで時には毎年のように、世界のどこかで出会う機会があった。

  夫妻ともに日本のことはよく知っているのだが、東京都美術館のフェルメール展の混雑ぶりは、想像外だったようだ。日本人のフェルメール好きは知っていたが、人混みで背中を押されながら見るフェルメールなんて考えられないのだ。その気持ちは良く分かる。これまで何度か、この画家の作品を見る機会があった。96年のハーグ展だったか、入館に20-30分並んだような経験はしたが、内部が混んでいたという印象はまったくない。その前年、S氏と共にアムステルダムへ見に行ったときなど、フェルメールでもゴッホでも、模写が十分できるくらいであったことを思い出す。

 彼らが住むゴーダは、ゴーダ・チーズで知られる都市である。あのフェルメールの義母マーリア・ティンスがデルフトへ移るまで住んでいたところだ。ここも運河の流れる美しい町だ。S家へ招かれ、運河沿いのいわゆるカナルサイド・ハウスの内部を見せてもらった。ウナギの寝床のような構造で、それが2階、3階と上方へ伸び、天井も高い。強靭な体力と精神力がないと、住みこなせない家だと思った。

 オランダは16世紀の宗教改革後、カルヴィニズムを国教とする新教国となった。とはいっても、カトリック信者がまったくいなくなった訳ではなかった。1656年のゴーダでは、人口のおよそ3分の1はカトリックだった。フェルメールやレンブラントの時代である。そして、現在のオランダで

は、カトリックの方が多い。

確定できないフェルメールの信仰
 画家フェルメールが信仰していた宗教がなにであったのかという前回から続く疑問については、正確には、答は出ていないというべきだろう。少なくも晩年は、限りなくカトリックに近かったのではないかという推論は可能だが、それもあくまで状況証拠に基づく推理の結果だ。フェルメールの改宗を確認できるような教会記録や画家自身の信仰告白などは、なにも残っていないからだ。よく言われる結婚に際しての改宗も、それを直接裏付ける記録はなにもない。信仰はいうまでもなく個人の心の問題であり、フェルメール自身が心の中でいかなることを考えていたか、依然闇の中にある。

 画家の信仰していた宗教・宗派など、たいした問題ではないかと思われる方もおられよう。しかし、この時代の画家にとって、宗教の重みは制作活動に大きな意味を持っていたと思っている。

 かなり確かなことは、フェルメールは短い生涯(1675年43歳で没)ではあったが、晩年にはローマン・カトリックの中心的教義や祭祀の実際について、十分な知識を持っていただろうという点である。美術史家の間では、画家のカトリックについての知識・理解を浅いとする解釈も見られるようだが、果たしてそうだろうか。もしそうであれば、改宗はさらに疑われる。彼の日常生活の周辺はカトリック信徒が多く、数少ないが信仰にかかわる寓意画の制作などについて理解を深めるに、多くの相談相手がいたはずだ。

 後世の美術史家や評論家が、「信仰の寓意」Allegory of the Faithについて高い点数をつけないのは、いくつかの理由があるが、なかでも19世紀のフランスの美術評論家トレ・ビュルガーが重視した、写真的、写実的なものを良しとし、それから外れたものは劣っているとする考え方に、どこかで影響を受けているのかもしれない。また、フェルメールは世俗画を専門とした画家だという美術史家などの思い込みも考えられる。

 さらに、後年付け加えられた画題も、先入観を与えかねない。たとえば、「絵画芸術」De schilderkunst, or Art of Painting, ca.1666-67 にしても、そこに込められた寓意は感じられるが、実際は「制作する画家」 「工房の情景」の方が、画家が発想した内容に近いかもしれないと思う。


Art of Painting, ca.1666-7, Vienna, Kunsthistorisches Museum.

大事な同時代人としての視線
 「信仰の寓意」についていえば、描かれた女性の劇場的ポーズや表情こそが重要だと思う。この画家が得意としてきた、世俗的世界を切り取ったように精細に描くことから離れ、寓意画という非日常的世界を描いたのは、まさにフェルメールが意図したものだ。それが画家の他の作品のように、人為的で、写実的でないというのは当たっていないと思う。女性の表情やポーズは別として、作品に描きこまれた数々の品はそれぞれきわめて写実的に、この画家らしく描かれている。その多くは遺産目録に記されていたように、空想の産物ではない。

 必要なのは、現代人のそれではなく、画家と同時代人の視線レヴェルに立って作品を見ることではないか。それこそが、「同じ時代の」 Contemporary という意味の第一義だ。とはいっても、画家が生きた17世紀にまで時空を遡り、立ち戻ることはできない。できうるかぎりの情報と推理を働かせて、当時のイメージの世界を再現してみる作業が必要となる。

 今日の世界ではブーム状態ともいえるフェルメールの作品にしても、17世紀の当時、それほど人気があったわけではない。このことは生涯を通して、とても豊かとはいえなかったフェルメールの生活状態をみれば、ほぼ想像がつくことだ。われわれの時代、現代的観点(コンテンポラリーの二義的意味)において作品の人気が高いことと、画家が生きた同時代の評価とは、十分注意し区別して見ることが必要ではないかと思う。

 フェルメールの晩年の生活。それはレンブラントのように破滅的ではなかったが、豊かさや安定とはかけ離れたものだった(ちなみに、レンブラントは、フェルメールが24歳になった1656年に自己破産申請をしている)。そして、結婚後まもなく、デルフトへ移住してきた義母の家に同居するようになった。そして、
義母やその親戚、パトロン Pieter Charsz. van Rijvenなどの好意に支えられた生活だった。画家が埋葬された古教会の自分の墓も義母が購入していたものだ。残ったのは妻と11人の子供。そのうち10人は成人に達していなかった。

 熱心なカトリック信徒の義母とその財政的支援に頼る生活の実態。もし、この時までフェルメールがプロテスタントのままであったとしたら、彼の心境はきわめて複雑で苦悩に満ちていただろう。生活を扶助してくれる義母や親戚などはすべて熱心なカトリック信徒であった。

 他方、新教国として独立を果たしたネーデルラントでは、カトリック信徒は「目に見えない、隠れた」存在であることを強いられた。布教や教会儀式などにあたる聖職者たちは、国外退去を命じられ、ミサなどの教会活動も十分にできなくなった。今でこそ開放的で寛容な国といわれるオランダだが、17世紀当時のネーデルラントでは、カトリック信仰は公的には認められていなかった。都市では宗教間の住み分けも次第に進んだが、地方ではカトリックへのあからさまな抑圧、差別、暴力行為なども見られた。

進む「住み分け」
 フェルメールが画家としての活動していたデルフトでは、次第にカトリック信徒が集まって住む地域、「カトリック・コーナー」が形成されていった。これに反対する周辺の住民などからの非難も頻発した。カトリックの住民たちは、表向きは目立たないようにしながらも、さまざまな努力で信仰活動を維持していた。異教徒扱いをされながらも、じっと耐え、「黙認」してもらうために、あらゆることをしていた。

 不足している聖職者を補い、信者たちの要望に応えるために、平信徒の中でのエリート層などが、献身的に教育・布教、ミサの主催などを行った。迫害される宗教を必死の思いで維持、発展させねばならないという信徒の熱意が、この時代のカトリック信仰を支えた。フェルメールの義母も、さまざまな形でカトリック地域の活動に加わっていたに違いない。住居は「隠れ教会」に隣接していた。こうした空気は、フェルメールが肌身で感じるものだったろう。

 こうして、時の経過とともに、都市におけるプロテスタントとカトリックその他の信者間での「住み分け」が進んでいった。この国の特徴とされる「寛容」も、お互いに干渉しないで暮らすという知恵である(この特徴が現代のオランダにもたらす深刻な問題については、別に記す機会があるかもしれない)。

揺れていた?画家の心
 画家フェルメールがこの時期、プロテスタント、カルヴィニストに留まっていたとすれば、心中穏やかではなく、かなり大きく揺れ動くものであったのではないか。晩年はかなり鬱屈した精神状況であったらしいこともいわれているが、もしかすると物心両面での重圧が画家にのしかかっていたのかもしれない。画家としては天賦の才に恵まれていたが、家業であった宿屋を経営するような商才にも欠けていた。

 「信仰の含意」のような寓意画を、フェルメールの中心的テーマであった世俗画を基準に比較すると、混乱することになるだろう。この点、Liedtke(2001,401)などが述べているように、同じ時代に活動していた、他のオランダやフレミッシュの画家が描いた寓意画、抽象世界を描いた作品との比較が、新しい評価の視点を生むに役立つかもしれない。研究の蓄積が大きいと思われる17世紀オランダ絵画の世界だが、まだ興味深い論点が多数残っている。「創られた所に立ち戻る」ことが必要なようだ。


Reference
Walter Liedtke with Michiel C. Plomp and Axel Ruger. Vermeer and the Delft School. New York: The Metropolitan Museum of Art, New Heaven: Yale University Press, 2001 . 

  

コメント
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