「変なブログ」のこちら側 This Side of a Strange Blog
ブログ界の主流とは遠く離れた、この「変なブログ」、なんとか今日まで続いてきた。元来、管理人の老化防止策を兼ねたメモ、備忘録代わりが目的だから、とりあげるトピックス、内容ともにきわめて偏っている。初めてアクセスされた方には、なんのことか分からないでしょう。友人の一人の感想:「なにかごちゃごちゃ書いてるなあ(笑)」(ご指摘のとおり!)。
記事を書いている本人以外には、テーマの選択、脈絡が分かりにくい。そのためもあってか、訪問者数に比してPV(閲覧)数がやたらと多い。記事作成が比較的柔軟にできるのは、ブログというメディアの長所ではあるが、限界もある。短く簡潔に書くというのが、ブログの鉄則?のようだが、最初から無視している。元来メモ代わりなので、他人にとっては役に立たないつまらないこと、瑣事も、しばしば記すことになる。
17世紀の画家の世界と、移民労働者のような現代の問題を、どうして一緒に扱っているのか。その意図をある程度分かっていただくには、ブログ内情報の蓄積がある水準に達するなど、かなり熟成の時間が必要だと思っている。世の中には、言葉を尽くさないと話し手や書き手の意図が伝わらないことも多い。対面して話をしていても、こちらの意図がまったく伝わっていないと思うことはしばしばある。ブログの限界も見えてきて、そろそろ閉幕の時なのかもしれない。
もともと、確たる見通しがあったわけではない。ブログを開設する時から、どんなことになるのか皆目見当がつかなかった。そこで自分なりにワーキング・ルールを作ってきた。
1)ひとつの記事について、資料の確認などもふくめて、PC関連作業に一日2時間以上は使わない。視力も低下し、入力ミスも増えた(大体は電車の中や歩いている時などにトピックスを思いつくので、入力は30分もかからない。)
2)考えがまとまらない日や忙しい時はなにも書かない。日記代わりにするつもりは当初からない。
3)自分からトラックバック、リンクなど、面倒なことはしない(これは試行錯誤の結果で、当初は少し試みたのだが)。
要するに、マイペースで書きたいことだけをメモに書き、書くことがなくなったり、意欲がなくなったら直ちに閉鎖するつもりだった。その点は今も基本的には変わらないが、多少困ったこともできた。 ブログでしか得られない、思いがけない出会いが生まれたことである。めったに会わない友人よりも、近い関係のような方もおられる。不思議なご縁だ。「袖振り合うも多生の縁」「一期一会」と思うのだが、IT上では「袖振り合っても」、分かりませんね。
新年は多難な年になることは、ほとんど確かなものになってしまった。かねてから「見るべきものは見つ」という思いもしているのだが、もう少しだけ、行方を確かめてみたい気もしてきた。