時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

牧歌は聞こえない:イギリス農業労働

2009年06月13日 | 移民の情景

John Constable.
The Wheatfield, 1816
oil on canvas, 53.7 x 77.2 cm
Private owned



  イギリスの田園と聞くと、コンスタブルやゲインズバラなどの作品から思い浮かべるような、緑溢れて牧歌が聞かれ、田園詩が流れるような光景が目に浮かぶ。しかし、そこに働く人たちの実態は、イメージとは大きく異なる。イギリス、ウスターシャーの農村イヴシャム Eveshamの状況についての小さな記事が目にとまった。かつて、イギリス滞在中に見聞したことを含めて、少し記してみよう。

劣悪な住環境
 ここにはポーランド、アフリカ、中国など多数の国から来た外国人労働者が働いている。イヴシャム郡では2003年以降、英語が母国語でない労働者が56%増えた。その多くはキャラヴァンやトレーラーハウスなど、粗悪な飯場のような所で暮らし、農業労働に従事している。貨物用コンテナーに住んでいる労働者も多い。水道、トイレなどの設備もない。

 彼らは、アスパラガス、豆、キャベツにいたる、ありとあらゆる野菜の栽培、採取に従事している。こうした農業労働者の状態を調査したイギリスのシンクタンク Institute for Public Policy Research(IPPR)の報告書は、ヨーロッパの他国のように労働者のためにホステルのような設備を建設することを勧めている。現在でも、農場など仕事の場所に近い所に、安いホテルなどを準備している雇い主もいないわけではない。しかし、1室に数人を入れるなど、居住の状況は劣悪だ。

 外国人労働者、とりわけ就労許可を持っていない外国人労働者は、出稼ぎ先の国で自分のしたい仕事がどこにあるか、なかなか分からない。外国で仕事をするには多くの困難がつきまとう。そのため、しばしばギャングマスターと呼ばれるブローカー(労働者確保・請負人)に頼って、働き場所を探すことになる。こうした業者は労働者をどこかへ派遣するというよりは、自ら集めた労働者を特定分野で働かせ、直接労働者に賃金を支払う形をとることが多い。

 農業ばかりでなく、林業、漁業、食肉加工などの分野の労働はおおかた低賃金であり、労働条件も劣悪なことが多い。労働者のかなりの部分は、これら業者の手引きで集められ、各地を放浪するようにして働いている。いわば、労働供給業者によって手配される労働者だ。上記の調査では、こうした分野で働く労働者のおよそ23%は、雇い主や派遣業者によって、仕事ばかりか宿舎などの生活面でもさまざまに束縛されている。

モーカムの惨事
 労働分野では、しばしば大きな労災などの発生によって、事態を改善する立法などの動きが生まれる。2005年の2月、イギリス北西部モーカムで女性を含む21人の中国人が、海流に呑み込まれ溺死した。彼らの多くは不法就労者であり、はるばる福建省から苦難の旅をしたあげく、イギリスでギャングに雇われて働いていた。仕事は、波の荒い海岸でザルガイ(トリ貝の類)を採取することだった。潮の流れも強く、危険な作業だった。彼らは、ザルガイ採取の登録料として一人当たり150ポンド、住居代20-30ポンドをギャングマスターに支払っていた。採取した貝一袋当たり9ポンド、週約300-400ポンドが彼らの手にしたものだった(現在1ポンド=約155円)。

 彼ら労働者の生活条件も厳しく、海岸近くの劣悪な簡易ホテルに1室10人近くが押し込められ、毎日、危険な海岸で働いていた。その結果がこうした惨事につながった。日本ではあまり注目を集めなかったが、事件は当時、中国、英国間で大きな問題となり、温家宝首相が渡英するまでになった。

規制の強化 
 この事件の後、こうした劣悪な労働分野の環境を多少なりと改善する動きが生まれた。問題の業種を対象にした特別の許可制を導入する法律、Gangmasters Licensing Act 2002が制定された。注目すべきは、許可を受けていない事業者との間で労働者派遣の契約をする者、即ち(派遣先に対して)無許可の事業者と契約をした派遣先に罰則を適用する形で、規制が強化されることになった。

 さらに、監視機関として、Gangmasters Licensing Authority (GLA)という政府機関も設置された。GLAは、農林業、食品加工、貝類採取、食品加工、包装などの分野で働く労働者を搾取から防ぐことを目的としている。労働者供給業者は、GLAに彼らの労働者を適切に保護する旨の同意書を提出し、認可を得なければならなくなった。

  もっとも、こうした規制に頼る形式主義が、事態をかえって悪化させた側面もあった。たとえば、最低賃金で働いている労働者からは、部屋代として週当たり31ポンド(47ドル)以上を徴収してはいけないことになっている。しかし、このことが住居環境を劣悪なものに引き下げることにつながってもいる。こうした問題は残るが、GLAのような監視機関が設立されたことは、総じて評価されている。

自立と共生への道
 他方、こうした間に東欧からの移民労働者が増加するにつれて、農場側もギャングマスターのような供給業者への依存することが低下してきた。外国人労働者は、仕事や生活上の利便性もあって、同国人が同じ地域に集まって住む傾向が強い。最近の問題は、同じ国からの労働者がイヴシャムのポーランド人のように、特定の地域へ「集住」する現象が強まっていることだ。結果として、以前ほど仲介業者などに頼らず、自助、自立の道が模索されるようになった。

 こうした「集住」地域では、仕事より住宅をめぐる競争が激しくなっていることが新たな問題になっている。さまざまな理由から、彼らに適した住宅供給がきわめて不足しているのだ。

 賃金がどうであれ、イヴシャムの冷凍食品包装工場で早朝6時からの交代制勤務に応募する地元イギリス人は、きわめて少なくなってしまった。イギリス人と外国人労働者が仕事を取り合う競争は影を潜め、代わって競争の場は、地域での住宅をめぐる競争へと移っている。イヴシャムのような地域では、外国人労働者が求める住宅が払底する状況になっている。外国人向けの住宅が供給されないのだ。なかでも最初に家を買う人のための住宅がなく、ソーシャル・ケア用の住宅にまで外国人労働者が入居するまでになった。

 集住が進む傍ら、最近の不況深刻化に伴って、移民労働者への需要が減少し、仕事を失った労働者が帰国する動きがみられる。しかし、母国との賃金格差、子供の教育などの理由から帰国しない労働者も多い。世界大不況にもかかわらず、イギリスでは農業、林業、介護などの分野で労働力不足が厳しい。景気が上昇へ転じれば、不足は一段と深刻化するだろうと見られている

 集住によって、移民労働者の政治参加意欲も高まり、状況改善への自主的な動きが強まることは、共生社会を目指す政策の視点からは望ましいことだろう。移住者が地域の中で孤立した存在ではなく、地域共同体のメンバーとして自立し、政治にも参加してゆくことは共生社会のイメージだ。しかし、実際には地域住民との間に新たな軋轢も増加し、共生社会の実現は容易ではない。住宅問題、さらに政治参加の代表システムへの批判など新たな難題が次々に生まれている。移民労働者の問題は、労働市場の範囲を越えて、住宅、地域、政治の次元へと拡大している。共生社会が乗り越えねばならない課題だ。イギリスに限ったことではない。牧歌の聞こえる時代は遠く過ぎ去った。



* 日本でも「農業ブーム」といわれる農業再生・活性化の萌芽が一部に見られるが、人気があるのは大規模経営が可能な地域である。中山間農地といわれる山村などの小規模農地は荒廃の一途をたどっている。そこで働く農業従事者の数は約400万人にのぼる。国内労働者だけでどれだけ維持・再生が可能か、きわめて疑問だ。


Reference
'No rural idyll' The Economist May 16th 2009


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