時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

地中海波高し:イタリアの苦悩

2009年06月27日 | 移民の情景

 イタリアの移民・難民問題については、何度か記している。かつては、移民の輸出国であったイタリアだが、1980年代から受け入れ国へと転換した。一時期はアルバニアなどからの不法移民に手こずったが、近年はアフリカからの不法移民に苦しんでいる。スペインと並びアフリカからの移民の最短距離の目的地となっている。すでに90年代からイタリア一国だけの力では、押し寄せる移民・難民に対応できないと音を上げ、EU、OECDなどの場で統一された政策の実施を要望してきているが、あまり実効が見られない。最大の課題は政治・経済の不安定もあって、アフリカへの投資が停滞し、雇用機会の創出ができていないことにある。根源的対応がないかぎり、労働力の流出は止まらない。

 毀誉褒貶に翻弄されている現ベルルスコーニ政権は、国境を密かに越境してくる「隠れた移民」clandestine immigrants の阻止を掲げて、政権与党の座についた。しかし、「隠れた」という表現はいまや適当ではなくなっている。現実は次のように歴然としているからだ。

 近年の大きな問題はアフリカ、とりわけリビアから命を懸けて海を渡ってくる人たちだ。彼らはイタリアの地に到着すると、難民としての庇護申請をする。しかし、いかなる庇護も与えられないおよそ3分の2は、本国送還されることになっている。しかし、彼らのほとんどはイタリア到着時から意図して、国籍などを証明する書類を一切所持していない。そのため入国管理当局は彼らがどこからきたか皆目分からない。一時的な収容施設も満杯になり、結果として彼らは許可なくイタリアに滞在する不法移民の中に入ってしまう。かなりの者は、イタリアを経由してフランス、ドイツなどEUの中心での仕事の機会を求めて移動する。

 彼らは正式の滞在、労働許可を得られないために、犯罪を犯す者も多い。この問題も現政権が減少を公約した点だ。今月、イタリアの国境パトロールはリビアの沿岸警備隊と協同して、リビア沿岸をパトロールした。ヨーロッパへのもっとも危険なルートを閉ざすためのキャンーペンの一環だ。これは考えられる現実的対応として認められていた方策だった。

 しかし、今回は国連を含む国際機関などが割ってはいった。事の経緯は次のような状況であった。1週間前、イタリア海軍が越境潜入者と思われる者で満載の船舶3隻を拿捕した。しかし、彼らをイタリアにつれてゆかずにリビアへ送り戻したのだ。この措置は、イタリア政府としては、リビアのカダフィ政権との1年近くにわたる裏面での外交成果だった。しかし、ローマの喜びは長くは続かなかった。

 イタリア政府は、彼らに難民として庇護申請を求める機会を与えなかったとして避難された。国連UNHCRの高等弁務官は、国連事務総長に支持されていた。さらにConucil of EuropeやNGO、そして驚いたことに、ベルルスコーニの有力な支持者である国民同盟Nationa Allianceの創立者で、現内閣の連立相手でもあるフィニからも問題視された。 

 他方、今回500人以上を強制送還したことについて、中道左派をはじめとするグループからは政府支持を表明する動きが生まれた。イタリアの領海外で移民を送還することは法的に認められているとの政府の見解を支持する動きだ。中道左派政府は1990年代には、アルバニアの港湾を一時封鎖した前例もあると主張した。

 しかし、問題はさらにこじれ、NPOの人権監視機関 Human Rights Watchの代表は、「イタリアは国際難民法を書き換えようとしている」と批判、「1951年のジュネーヴ協定は、どこならば移民を送還できるか、あるいはできないか記していない」。「彼らの生命や自由が脅かされる地域へ送り戻さない」という協定にイタリアも署名しているはずだと攻撃した。さらには、アフリカへ送り戻された者が期限のない拘束や迫害にあっている例を知っていると述べた。

 他国には公海上で難民が送還されない権利を得ているかについて類似した問題を経験してきた国もある。特にアメリカは1990年代から、しばしばキューバ、ハイチなどからの越境者をカリブ諸国に送還してきた。

  公海上で拿捕された越境者のボートなどへの対応は、国際海事法、国際難民法、国際人権法、国際刑法などの交錯する領域であり、法律や条約の次元と現実の間にさらに詰められるべき問題が残っている。通常、庇護申請、難民認定などの手続きは、越境者が目的の国に上陸した上で開始されるが、公海上での問題については、1951年のジュネーヴ条約の他、1948年の人権擁護の一般宣言などを含む一連の規範が存在する。同時にさまざまな束縛的でないが広範な領域をカヴァーする慣習法などもかかわっている。主要なものは自国を離れる権利、他の国の領域に接近する権利、庇護は政治的行動とされないこと、難民が強制的に自国へ送還されないこと(non refoulment)、十分な経済・社会的権利が難民にも適用されること、さらに難民について永続的な権利を受け入れ国は供与することなどがある。他方、難民の側にも庇護を保証する国の法律に従うなどの義務がある。こうした問題に主として当たるのはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)だが、近年は難民以外の関連する問題にも関与するようになっている。 

 ベルルスコーニ首相は、反移民という印象を与えまいと苦慮しているようだ。今週、下院は入国・滞在に必要な書類を保持しない外国人に厳しい罰金を課し、居住許可には高い費用を求める法案を通過させた。しかし、野党の政治家や聖職者たちの一部は、人種的な純粋さをイタリアが求めるのはもはや手遅れだとしている。たとえば、カトリックのカリタス派はイタリアの人口のおよそ7%は移民だと主張している。

 ベルルスコーニのこのたびの決定は、先日のヨーロッパ議会の選挙前になされた。危惧されることは、人種差別主義者が自分たちは首相からの支持を得ていると思うことだ。1970年代以降、ヨーロッパの移民受け入れの過程は、受け入れと制限の波動を繰り返してきた。今回の世界大不況で受け入れ国は一斉に制限的方向へ舵を切っているかに見えるが、これがそのままずっと閉鎖的国境の体制につながるわけではない。少子高齢化の進行で、人手不足は避けがたく、不況脱却とともに新たな受け入れへの動きが戻ることは必至である。それまでに、いかなるヴィジョンを再構築するか。もはやこれまでのような行きつ戻りつのストップ・アンド・ゴー政策は許されない。先進国に残された時間は少ない。

 

 


 * 庇護申請者 asylum seekers とは国際的保護を訴え出た者をいう。その多くは庇護を求める国へ到着した段階で申請を行う。しかし、当該国に到着以前に大使館あるいは領事館へ庇護を求めることもできる。申請は国際連合UN convention 1951条の難民の地位規定に基づき判断される。認定されれば難民としてのステイタスを付与され、難民となる。認定されなかった者は通常、再申請を行う。それでも認定されなければ、当該国を退去することになる。しかし、ヨーロッパやアメリカでは別の地位 Exceptional Leave to Remain(ELR) として、難民ではないが自国へ戻れない者という包括的なグループに入れられる。


Reference
Immigrationin Italy "A mess in the Mediterranean" The Economist May 16th 2009 


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