昨日の集まりで、余談に「父親と娘ってネ」とこんな話が出た。
私のブラシを勝手に使って、ポマードでべたべたにされたとき、腹が立ってブラシを投げつけた、云々。
「私も似た経験あり」と、みなそれぞれの思春期の頃の父親感に花開く。
私は、彼女らより、10歳程度年が上だろうか。
「時代が違う」そう感じた。
私は、父親に口答えをした記憶がない。
というか、些少な雑談はするけれど、相談事は100パーセント母親を介して持ちかけたから、口答えの場が発生しようがなかった。
高校一年の頃の記憶。
希望の進学校に入り、遠距離通学に体力を消耗しながらも、新しい友達と希望を語り合っていたのだろう。
初めての試験の結果が出た、まだ初夏になったかならない頃(自分の)大学進学の話を持ちかけた。
母の返事は、
判った。父親には様子を見て伝えるから、しばらくは、この話は抑えておいて…と。
母の返事は、私にとっては思わぬ流れで、こんなやり取りが出てこないであろう友人の家庭を羨ましく思った。
でも、進学校への長距離通学を認めてくれたばかりで、次にまた注文を投げかけるのは気まずいということは、わからないではないから、母娘の会話はそれで終了。
私の思春期の父親感は、こんなもの。
とても怒ってブラシを投げつける場面は出てこない。
そんな父からかけられた一言。その一言から今、数十年経っているけれど、思い出すと、私は今も涙があふれる。
誰にも話したことはない。そのシチュエーションでなければ、なんとも凡庸な言い草だろうけれど、娘が、いっぱいいっぱいになっているときに、ボソッと掛けてくれた配慮、「うん」と、応えただけで、阿吽の呼吸でした。
咄嗟の配慮だったけれど、私は忘れません。
確かに、他の誰のためでもない、私のことを思っての一言でした。
ありがとう。
父が亡くなって、17回忌も過ぎました。
でも、記憶は残っています。
こんな感覚誰もがあるのでしょうね。
過去のほんの一瞬の言葉が、他人にとってはなんでもない言葉が「絆」になることが。
父親ってポマード臭い!と、思い出を話す会話を、「フーン、世の中、そうなんだ」と、少し若い世代の父娘像を想像しながら聞いていました。
私のブラシを勝手に使って、ポマードでべたべたにされたとき、腹が立ってブラシを投げつけた、云々。
「私も似た経験あり」と、みなそれぞれの思春期の頃の父親感に花開く。
私は、彼女らより、10歳程度年が上だろうか。
「時代が違う」そう感じた。
私は、父親に口答えをした記憶がない。
というか、些少な雑談はするけれど、相談事は100パーセント母親を介して持ちかけたから、口答えの場が発生しようがなかった。
高校一年の頃の記憶。
希望の進学校に入り、遠距離通学に体力を消耗しながらも、新しい友達と希望を語り合っていたのだろう。
初めての試験の結果が出た、まだ初夏になったかならない頃(自分の)大学進学の話を持ちかけた。
母の返事は、
判った。父親には様子を見て伝えるから、しばらくは、この話は抑えておいて…と。
母の返事は、私にとっては思わぬ流れで、こんなやり取りが出てこないであろう友人の家庭を羨ましく思った。
でも、進学校への長距離通学を認めてくれたばかりで、次にまた注文を投げかけるのは気まずいということは、わからないではないから、母娘の会話はそれで終了。
私の思春期の父親感は、こんなもの。
とても怒ってブラシを投げつける場面は出てこない。
そんな父からかけられた一言。その一言から今、数十年経っているけれど、思い出すと、私は今も涙があふれる。
誰にも話したことはない。そのシチュエーションでなければ、なんとも凡庸な言い草だろうけれど、娘が、いっぱいいっぱいになっているときに、ボソッと掛けてくれた配慮、「うん」と、応えただけで、阿吽の呼吸でした。
咄嗟の配慮だったけれど、私は忘れません。
確かに、他の誰のためでもない、私のことを思っての一言でした。
ありがとう。
父が亡くなって、17回忌も過ぎました。
でも、記憶は残っています。
こんな感覚誰もがあるのでしょうね。
過去のほんの一瞬の言葉が、他人にとってはなんでもない言葉が「絆」になることが。
父親ってポマード臭い!と、思い出を話す会話を、「フーン、世の中、そうなんだ」と、少し若い世代の父娘像を想像しながら聞いていました。