今日の夕方、母から電話。
母「今HNKテレビで『千の風になって』やっているよ。詩集ありがとう」
私、「うん。今チャンネル回したら、やっているね。見てるよ」
それで電話は切れる。
先日、夫の母の介護関連で帰省した折の記事を書いたときに、タイトルを「千の風になって」とした。
私が新井満さん訳のこの詩を知ったのは、朝日新聞の天声人語で。
そして、先日帰省するときに(夫と私のお互いの実家は、車で30分ほどの距離)、母に何かをと思って買い求めたのが、いわさきちひろさんの挿絵に埋まった、この詩集でした。
そして、ハンドルを握る夫に、先日の記事の話をしたときに、この詩も、聞いてね、といって、私朗読して聞かせたのでした(しつこいタイプでしょ(笑い))。
そんなこともあって、あの話のタイトルを「千の風になって」とし、1泊の宿として泊まった、私の実家の母の部屋の枕元に、そっと置いてきたのです。
90歳の母親に、詩の解説するのも照れくさく、何にも語らず置いてきたのです。
すぐに気づいているはずなのに、連絡はなかったのですが、1週間後の今日の夕刻に、「ありがとう」の電話。
テレビ番組では、丁寧な解説をしてくれているし、きっと母親の心根に、ぴたっと来るところもあったのでしょうか。
食べ物のご馳走もあるけれど、こんな1冊をもご馳走と受取ってくれる母親がいることは、娘としてありがたいと、そう思うしだいです。
前回は、一部抜粋でしたが、今度は、全部引用掲載させてもらいます。
『千の風になって 』新井満訳
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
母「今HNKテレビで『千の風になって』やっているよ。詩集ありがとう」
私、「うん。今チャンネル回したら、やっているね。見てるよ」
それで電話は切れる。
先日、夫の母の介護関連で帰省した折の記事を書いたときに、タイトルを「千の風になって」とした。
私が新井満さん訳のこの詩を知ったのは、朝日新聞の天声人語で。
そして、先日帰省するときに(夫と私のお互いの実家は、車で30分ほどの距離)、母に何かをと思って買い求めたのが、いわさきちひろさんの挿絵に埋まった、この詩集でした。
そして、ハンドルを握る夫に、先日の記事の話をしたときに、この詩も、聞いてね、といって、私朗読して聞かせたのでした(しつこいタイプでしょ(笑い))。
そんなこともあって、あの話のタイトルを「千の風になって」とし、1泊の宿として泊まった、私の実家の母の部屋の枕元に、そっと置いてきたのです。
90歳の母親に、詩の解説するのも照れくさく、何にも語らず置いてきたのです。
すぐに気づいているはずなのに、連絡はなかったのですが、1週間後の今日の夕刻に、「ありがとう」の電話。
テレビ番組では、丁寧な解説をしてくれているし、きっと母親の心根に、ぴたっと来るところもあったのでしょうか。
食べ物のご馳走もあるけれど、こんな1冊をもご馳走と受取ってくれる母親がいることは、娘としてありがたいと、そう思うしだいです。
前回は、一部抜粋でしたが、今度は、全部引用掲載させてもらいます。
『千の風になって 』新井満訳
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています