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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

王様の耳はロバの耳ではあるまいに。

2008-11-11 12:55:49 | 私の雑感あれこれ
今日の朝日新聞は、総理の読み方知らずを記事にしている。
国会答弁においても「踏襲」をいつも、なんども、「フシュウ」と発音すると。
「フシュウ」と発言さたものは「踏襲」に置き換えて記録していると、いろいろ各ケースを調べて、嫌に丁寧な記事。
ちょっと、誰かが耳打ちすればいいのに。
仕事周りの人でもいいし、家族でもいいのに。

先月、確か国会の場で、首相が手元の書面を見ながら、嫌にしばしば書面に目をやられるので、間違ってはいけないことだから、それは読み上げになっても、中身が大切なのだと思って聞いていました。
で、表現の中に「…モクトが立たない…」「…モクトがたった段階で…」という音声が出てきて、はて?書面には「目途」という書き方がしてあるのでは、と思いました。
総理も、就任間もなくて、緊張して上がったのかしら、とも思いました。
で、調べました、電子辞書で。
イヤな性格でしょう、⇒ワタシ。
「めど」では「目処」と出てきて、
「もくと」では「目途」が出てくる。
ふーん、「もくと」もありなんだ、
辞書のおかげて、早とちりしないですんだと一つ学習。
でも、これまでに「もくと」と言い慣わしている人には出会ったことはありませんけれど。
より格調高い文語的表現なのでしょうか。

そう思っていた矢先の、朝日新聞の記事。
ちょっと記事のスペースが大きすぎて、品格に欠けると思いますが…。
ちょっと、耳うちする人がいないことが、気の毒です。
国のトップといのは、そんなに訂正の助言するのも恐れ多い存在なのでしょうか。
コメント (4)
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感慨。

2008-11-11 08:03:33 | 私の雑感あれこれ
今年の6月に「超・格差社会アメリカの真実」という本を読んだ
中味が濃くて、知ることが多く、サラリと感想をかけなかった。
そんな中味の多い本のなかで、覚えているところがある。

アメリカ社会の中の優秀な黒人は、それが自分の主義主張に沿うからということではなく、自分の能力が何処の場であれば有用に発揮できるかを考えて進路を選択している。

という趣旨のことが書かれており、その例として、パウエル氏が挙げられていた。
日本では気づかない思いであり、アメリカ社会の一面を教えられ、読者の私は頷き、そして納得した。
ブッシュ大統領の最初の4年間の国務長官がパウエル氏、次の4年間が女性のライス氏。
ご両名の頭脳の優秀さはさぞかし、なのでしょう。
黒人というマイナーな部分を持ちながら、国務長官の仕事を担う力量とのポスティング。
そして、オバマ氏の大統領選挙での終盤、パウエル氏のオバマ氏支持表明。
オバマ氏の勝利。
ライス氏が、その勝利に賛辞を送ったというニュースも見ました。

自分の能力をより高め、発揮できる場を選択するという形のモデルのような、おふたかたそれぞれが、今回の民主党大統領の誕生にさぞかし深い思いを抱かれるのでしょう。
その著者がその本(娘に譲ったので、今手元にない)に書いた現実の殻が、打ち破られたのだと、ひとりその本のそこのところを思い出していました。

格差社会は良くないのは勿論です。
努力しても、能力があっても、それでも暗然としてあるそれをひとつ打ち破った、そういう思いにさせてくれたアメリカ選挙民の投票行動。
ここまできたのですね。

まったく、選挙権はないものの(笑)、この時代に生きて、人智のまんざらでもないことを、味わえました。

繰り返しますが、頭書「超・格差社会アメリカの真実」が、現実であるならば、名演説に酔ってばかりはおられず、厳しいのも事実です。


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