付けたし書きあります。
年末仕事を気にしながらも読了した小説『散華』。面白かった。
紫式部の幼少期7歳ごろから40代半ばで亡くなるまでが書かれている。
母親似で美人の姉、学問の家に生まれていながら勉強好きではない二つ下の弟。弟が学ぶ内容を弟より先に習得してしまう紫式部。
3人は父の任地である播磨で生まれ、母は弟の出産時に命を落としている。
貴族は朝廷の時代においての公務員的存在。世渡り下手な父親には都に戻ってきても次の辞令が下りずに何年も閑職に追いやられる。ようやく辞令が出たのは越前の国司。今でいう知事職に当たるのだろうか。このとき紫式部が父親の身の回りの世話をということで同行する。(もちろん何人もの従者も引き連れていくのだけれど、身内もいれば心強いだろうと)但し 彼女は2年足らずで帰京する。
このたびNHKのドラマになることになって、越前の街の紫式部話題が報じられていたけれど、そういうことね、と思った。
妻問い婚の時代。男性が気に入った女性に歌を送り、返歌で気があるかどうかを察する。そういうやり取りあっての結婚になるのだけれど、幾人もの女性のところに通う男性の話もしばしば出てくる。恋歌のひとつも届かないのは女性にとっても自信をなくす。こういう心理はきっと昨今と変わらないのだろう、とも。苦笑
こんなふうに綴っていけば、長くなるので、端折る。
今、盛んにNHKで大河ドラマ「光る君へ」の宣伝をしているけれど、幼い時から、紫式部と藤原道長に接点があった(気になる存在だった))風に描いているけれど、うーーーーん。
王子様とお姫様(主人公男女)の叶わぬ恋、的な筋書きを視聴者が好むだろうと慮っての展開のような気がしてしようがない。
大石静さんの脚本。彼女がこの時代の専門家でもないから、何人もの専門家のアドバイスを受けながら、書き上げられた作品なのだろうけれど、NHKはテレビを観る人の立場(視聴率)のことを考慮した作品なのでしょう。娯楽作品だからOKなのでしょう。
そういえば「オスマン帝国外伝」の第1シーズンは1話が50分で48話ありました。ちょうどNHKの大河ドラマに匹敵します。
16世紀のオスマン帝国が最も勢いがあったスルタンの時代で、世界中で8億の人が視聴したヒット作だったらしいです。史実に基づくフィクションです、とテロッぷが流れます。
『散華』にも何度も系図が出てきて、人物の関係を理解して読み進めていくのは大変でしたが、現代に生きる私たちにも説得力のいく展開でした。一条天皇の中宮になったは彰子(道長の娘)12歳で入内し、早く男子を出産してほしいと願う道長です。先に皇后になっている定子に皇子が生まれ気をもみます。身内同士での権力争いが生々しい。ー人形から賢后へーの章では、紫式部は彰子が生まれる前から宮廷に起こった事件のいろいろを語り聞かせます。幼くして入内した彰子も成長していきます。
一条天皇の没後、彰子の子供をすんなり次期天皇にできなかった道長は、その遠因には、紫式部が彰子に仕えていることも影響しているとも判断して、宿下がりすることになります。
杉本苑子著の本では道長と紫式部の関係は、恋焦がれる人というわけではないのです。
杉本氏の作品も資料の少ないことから、創作部分も多いのでしょうが、私は、こちらの展開に説得力を感じるので、テレビドラマは、、、どうかな~。
この時代、疫病が蔓延することしばしば。医療が未発達なので頼るのは陰陽師に頼って悪霊い。なにか凶事がおこれば〇〇の祟りだから陰陽師にお祓いを、となる社会風俗です。生活苦に苦しむ今日の街では、火付け盗賊が跋扈しています。検非違使の働きも今一つパッとした活躍とはなりません。朝廷や貴族高官の御殿は建造して、時を経ずしてまた火災に遭う、という話。こんな時の再建費用は地方の領民が納める税になるので、地方の農民の暮らしはますます搾り取られる状況になると記しています。
中央から地方に派遣された要領のいい(横着?)国司であれば、農民から徴収したものの中抜きをすることによって私服を肥やして都に戻ってくる、とも。誠実な仕事ぶりの官僚ではそうはいきません。なんだか、いつの世にも通じるものを感じます。都で和歌をやり取りしている公卿らには、地方の農民の暮らしぶりなど縁遠いこと。いかに雅であるか、ですから、ね。
貴族の女性は朝廷に召し上げられれば、暮らしの保証をされるわけで、たくさんの女房がそれぞれの居住区を与えられて暮らしていた。そして夜になると、朝廷に使える公達らがそれぞれのお目当ての女房の部屋に行きかっていたいた、と。
ここは中国王朝やオスマン帝国のハレムとは違うところですね。かの国では朝廷内の女性がいるエリアに入れるのは宦官だけでしたから。
新しい事実の発見があったり(杉本作品はずいぶん前の著作なので)、有益なのかもしれませんね。
年末仕事を気にしながらも読了した小説『散華』。面白かった。
紫式部の幼少期7歳ごろから40代半ばで亡くなるまでが書かれている。
母親似で美人の姉、学問の家に生まれていながら勉強好きではない二つ下の弟。弟が学ぶ内容を弟より先に習得してしまう紫式部。
3人は父の任地である播磨で生まれ、母は弟の出産時に命を落としている。
貴族は朝廷の時代においての公務員的存在。世渡り下手な父親には都に戻ってきても次の辞令が下りずに何年も閑職に追いやられる。ようやく辞令が出たのは越前の国司。今でいう知事職に当たるのだろうか。このとき紫式部が父親の身の回りの世話をということで同行する。(もちろん何人もの従者も引き連れていくのだけれど、身内もいれば心強いだろうと)但し 彼女は2年足らずで帰京する。
このたびNHKのドラマになることになって、越前の街の紫式部話題が報じられていたけれど、そういうことね、と思った。
妻問い婚の時代。男性が気に入った女性に歌を送り、返歌で気があるかどうかを察する。そういうやり取りあっての結婚になるのだけれど、幾人もの女性のところに通う男性の話もしばしば出てくる。恋歌のひとつも届かないのは女性にとっても自信をなくす。こういう心理はきっと昨今と変わらないのだろう、とも。苦笑
こんなふうに綴っていけば、長くなるので、端折る。
今、盛んにNHKで大河ドラマ「光る君へ」の宣伝をしているけれど、幼い時から、紫式部と藤原道長に接点があった(気になる存在だった))風に描いているけれど、うーーーーん。
王子様とお姫様(主人公男女)の叶わぬ恋、的な筋書きを視聴者が好むだろうと慮っての展開のような気がしてしようがない。
大石静さんの脚本。彼女がこの時代の専門家でもないから、何人もの専門家のアドバイスを受けながら、書き上げられた作品なのだろうけれど、NHKはテレビを観る人の立場(視聴率)のことを考慮した作品なのでしょう。娯楽作品だからOKなのでしょう。
そういえば「オスマン帝国外伝」の第1シーズンは1話が50分で48話ありました。ちょうどNHKの大河ドラマに匹敵します。
16世紀のオスマン帝国が最も勢いがあったスルタンの時代で、世界中で8億の人が視聴したヒット作だったらしいです。史実に基づくフィクションです、とテロッぷが流れます。
『散華』にも何度も系図が出てきて、人物の関係を理解して読み進めていくのは大変でしたが、現代に生きる私たちにも説得力のいく展開でした。一条天皇の中宮になったは彰子(道長の娘)12歳で入内し、早く男子を出産してほしいと願う道長です。先に皇后になっている定子に皇子が生まれ気をもみます。身内同士での権力争いが生々しい。ー人形から賢后へーの章では、紫式部は彰子が生まれる前から宮廷に起こった事件のいろいろを語り聞かせます。幼くして入内した彰子も成長していきます。
一条天皇の没後、彰子の子供をすんなり次期天皇にできなかった道長は、その遠因には、紫式部が彰子に仕えていることも影響しているとも判断して、宿下がりすることになります。
杉本苑子著の本では道長と紫式部の関係は、恋焦がれる人というわけではないのです。
杉本氏の作品も資料の少ないことから、創作部分も多いのでしょうが、私は、こちらの展開に説得力を感じるので、テレビドラマは、、、どうかな~。
この時代、疫病が蔓延することしばしば。医療が未発達なので頼るのは陰陽師に頼って悪霊い。なにか凶事がおこれば〇〇の祟りだから陰陽師にお祓いを、となる社会風俗です。生活苦に苦しむ今日の街では、火付け盗賊が跋扈しています。検非違使の働きも今一つパッとした活躍とはなりません。朝廷や貴族高官の御殿は建造して、時を経ずしてまた火災に遭う、という話。こんな時の再建費用は地方の領民が納める税になるので、地方の農民の暮らしはますます搾り取られる状況になると記しています。
中央から地方に派遣された要領のいい(横着?)国司であれば、農民から徴収したものの中抜きをすることによって私服を肥やして都に戻ってくる、とも。誠実な仕事ぶりの官僚ではそうはいきません。なんだか、いつの世にも通じるものを感じます。都で和歌をやり取りしている公卿らには、地方の農民の暮らしぶりなど縁遠いこと。いかに雅であるか、ですから、ね。
貴族の女性は朝廷に召し上げられれば、暮らしの保証をされるわけで、たくさんの女房がそれぞれの居住区を与えられて暮らしていた。そして夜になると、朝廷に使える公達らがそれぞれのお目当ての女房の部屋に行きかっていたいた、と。
ここは中国王朝やオスマン帝国のハレムとは違うところですね。かの国では朝廷内の女性がいるエリアに入れるのは宦官だけでしたから。
新しい事実の発見があったり(杉本作品はずいぶん前の著作なので)、有益なのかもしれませんね。