画像は後日掲載予定です。
★海外でワイモバイルのアクセスしたため、帰国に使う時に本人確認を求められているのに、その操作ができず、画像の送信が不可状態なのです。トホホ 販売店で教えてもらおうと思います。
そろそろ記していかないと忘れそうで、スタートします。
画像追加時に思い出すことも多々あると思うので文章も加筆する予定。
1日目
1月25日(火曜日)の深夜に羽田からイスタンブールに向けて出発。所要時間13時間50分
羽田空港は初でしたが、名古屋から新幹線で品川☛ 京急☛ 羽田第3ターミナルとスムーズに行きました。
快晴の日和。新幹線の窓から雪をかぶった富士山が、カレンダーの写真の如く、その姿は完璧でした。
集合時間まではたっぷり時間がありました。
両替(1ユーロ約168円)をして、コンビニでサンドイッチと飲み物て軽く腹ごしらえ。ANAのラウンジが楽しみなもので、、、💦
去年はこの段階で、変換プラグを買ったり(空港で買えます、とアドバイスを受けていた)したことを思い出します。今回は持参。スマホの充電コードも自宅でチェック済み。腕時計もスマートウォッチでないもの(※)にしました。
(※)但し、購入したのは電波時計。コレって世界中で使えるのだけれど、各国の標準時にその都度調整するのは自分でしないといけない💦・・・慣れていないので取扱説明書も持参。 何度か経験して今は習得しました。苦笑
深夜にのってすぐに食事の提供あり。その後就寝にスタンバイなのだけれど、寝付けずにドラマ1つ(ダウントンアービーの最終編)と映画1本(Collaterl Beauty)と半分(ベイビー ドライバー)を視聴。その後は眠りにつく。
ちなみにシートは180度フラットになるので、寝ずらいのガマンはない。
2日目
イスタンブール着。ラウンジに立ち寄る時間もなく、すぐにナポリ行きの搭乗口に向かう。この段階で初めて同行メンバーが集まっての確認。ひとり参加のビジネスの男性とお互いによろしくと声をかけあう。ひとり参加のビジネスの女性は私だけ。日本語が通じる人を確保しないと、、、の気持ちです。苦笑
イスタンブール(朝の8時発)からナポリまで2時間20分。
はじめて窓際のシートとなる。好天の中、エーゲ海の上を飛んで、雪の被ったギリシャの山脈の上を超えて、窓からの景色は最高でした。ナポリに近づくとポンペイに被害をもたらしたベスビオ火山もクッキリ見えました。
ナポリ空港からバスで日本人ガイドさんが同乗してポンポイ遺跡に向かう。ベスビオ山がAC79年に噴火。このころを題材にした映画を観たのだけれどタイトル失念💦
ナポリはかつて王都であったことから、ネアポリス(新しい都)⇒ナポリになっていると。
発掘が進んで遺跡後はかなりの広さ。かつての街並みが偲ばれる。
ナポリのホテル泊。
部屋は十分に広くて写メもしたのだけれど、そのあとが残念。
部屋はいっこうに暖かくならない。全館均一温度設定らしかったけれど、余りにヒンヤリなので、個別設定にして最初は最高温度の32度表示にまでしてもらったけれど、室温に変化なし。⇒ 故障? 変なの? 状態でした。
さらに、お風呂のお湯が超ぬるい。果たしてお湯といっていいものか、の温度。こんな湯船につかると風邪をひきそうで入浴はパス。翌朝、皆さんも湯温らついては同様で、ポットの湯沸かし器でお湯を沸かしてバスタブに何度も運んだ、という人もいました。
3日目
翌朝はバスでマテーラへ(バス移動4時間15分)。
ずっと快晴。マテーラの情報は全く知らなかった私なので、初めて目の前にその光景を目にしたときは、世界遺産に指定されているのも納得、という光景でした。画像追加予定
絵描きさんが描きたくなるのも頷けます。その一角のレストランで昼食。もちろんレストランにはマテーラの風景画(この角度からの景色と判った)がありました。
元来は貧民窟だそうで、住みにくいことおびただしいのだけれど、生活に根差した知恵が各所に見てとれる(必死さ)のも、こころを打つのかもしれません。石段の上り下りの連続、連続、連続。
その午後はバス移動(1時間30分)でアルベロベッロへ。まずホテル着。歩いて10分でアルベロベッロの街並みの地域へ。
夕刻が迫る時間になっていましたが、観光客も少ない(ほかの団体客ゼロ)し、サクサクと行動できました。
アルベロベッロの中心広場までは添乗員さんと一緒に行動し、街並みの説明を受けたあとは自由行動。ほぼ全員メイン通りに向かう。
日本人女性が経営しているお店に立ち寄って、アルベロベッロの生活ぶりの説明を見聞きし、商品の味見もし(苦笑)、皆さんたっぷりのお土産をゲット。私も。
ここでメンバーはバラバラになったのだけれど、さらに先にある教会まで行く人たちに連れ立ってそちらに向かう。
わたしの連れたちはそこから戻って、更に別の通りにも行くという。私の足は疲れてヒリヒリ。頑張って付き合うことはできない。この時点で空は暗くなっている。迷った。広場から10分でホテルまで帰れる、のだから「私は帰ります」といってへホテルを目指す。
ひとまず10分はまっすぐ歩こう(なぜかギクシャクと蛇行があったけれど)、とスタート時点の時計をチェック。言葉の通じない国での夜道の10分は心細い。でもとにかく間違っていないはずだから10分は進もう、と。そのうちに目印に記憶していた電光掲示板が目に入り、その先に「ホテル」のイルミネーションも見えて、ほっ。到着しました。
このアルベロベッロのホテルは古いホテルで、バスタブの止水栓が固くてうまく外れない。最初に茶色い水が出ますと注意され、少ししてからお湯を貯めたのだけれど、それでも茶色いお湯に。で、止水栓が外れないのだから、シャンプーも使えず、ただあったまって疲れを取ることにしました。
翌朝添乗員さんに👆のことを伝え、修理をお願いできて、その後の出発前にバスタブを利用できました。
4日目
で、朝のロビー。一人の女性がヒザ痛でもうみんなと一緒に歩けない、と。
この二日間の行程は本当に強行軍だったから。
次の日(4日目)は、バスで一路シチリアに向かう。東京から広島までぐらいの移動距離です、と告げられる。
途中5時間45分(約400キロ)のヴィラ・サン・ジュバンニというシチリアに臨む港町で昼食。エビとイカと小魚のから揚げが大皿でドンと提供されたのは圧巻でした。
昼食後フェリーでシチリア(ガイドさん、日本人はシチリア島というけれど、面積は四国よりも大きい。日本では四国のことを
四国島とは言わないでしょ、と)へ。
さらにバスに乗り続け、シチリア最大の都市パレルモへ。
パレルモのホテル泊。
室温もお風呂事情にも問題はなかったけれど、カードキーの反応がイマイチで、すんなり解錠されたりされなかったり、のヒヤヒヤ。
5日目
パレルモはイタリアの5大都市のうちに入るとのこと。島のイメージがあったので、私のシチリア感は大いに上書きされました。苦笑 シチリアは貴族の時代300もの貴族家系が存在していたから、富を競うかのような豪邸の文化の後があちこちに見受けられました。まさしく映画「山猫」の世界です。
パレルモ最大の劇場。ここでゴットファーザーⅢで主人公アルパチーノの長女が銃で撃たれたシーンの撮影が行われました、と。ここ1年以内にパートⅠ、Ⅱ、Ⅲを見直したので、まだ記憶に残っています。息子は親の後を継がずに音楽家になる道を選択します。2代目アルパチーノも若いころは家業を継ぎたくなかったのに、命を狙われている父親を助けようとすることがきっかけで、その世界に入っていくことになったのだったな、などと思い出したりしました。
その後バス乗車30分約11キロのモンレアーレ(パレルモの西方)へ。
ノルマン時代に繁栄した街とのこと。私にはシチリアがノルマン人 ? という疑問符がつくのだけれど、地中海の恵まれた立地にあるシチリアは古くから次々と覇者が変わってきている歴史を持つ。まるでミルフィーユのようなのですよ、と表現したのはガイドさんだったか添乗員さんだったか。
荘厳なキリスト教のトゥオーモ(大聖堂)を見学。金のモザイクが張り巡らされていて贅を競うかのようでした。
その後アグリジェント(バス約2時間。約13キロ)へ
アグリジェントの宿泊ホテルに荷物を置いて、街中のレストランで夕食。
翌日に観光する予定の遺跡群が窓から、そしてレストランでも遠くに見ることができました。
快晴の日の日没と古代遺跡は贅沢な光景です。
その後ホテルに戻る。ホテルはだんだん快適になっていきました。
6日目
古代ギリシャ遺跡が多く残る町です。この日も快晴。満開の花を付けているアーモンドの木があちこちに。
シチリアの案内書にも
冬、まだ冷たい空気の中に咲き誇る白いアーモンドの花が「神殿の谷」を華やかに飾りたてる頃は特に美しい。とあるけれど、まさしく、その表現どおりでした。ツアー客は私たちだけ。数人連れの旅人が行きかう贅沢な空間でした。
ヘラクレス神殿、コンコルディア神殿 ヘナ神殿、、、まだ掘り起こせばいろんなものが発掘されるかもしれない、とか。
バスで、カルタジローネへ。1時間45分。約112キロ
イタリア本土での長いバス移動のときもシチリアでのバス移動でも、車窓の風景は緩やかな丘陵はことごとく緑の絨毯(小麦の季節は黄金色とか)。時にオリーブの植林があったり、カタバミの黄色い花が一面に咲いて居たり、水田の多い(耕地は必ず水平)日本の風景との違いを思いました。
カルタジローネのレストランで昼食。
ツアーメンバーもこのころにはすっかり打ち解け合って、建付けの悪いトイレなどでは、お互いに配慮しあっていました。
英ぎをぅしているのに、なぜ故障していても修理しないのだろう、、、ついそう思ってしまいます。
ラグーザへ。バス1時間15分。約61キロ。
7日目
ラグーザ観光。
レストランで昼食
シラクーサへ。1時間30分。102キロ
シラクサは知っている。というか塩野七生さんのローマ人の物語で記憶に残っている都市名です。
ギリシャ人の都市国家として栄えた町。
タオルミーナへ。バス約2時間。約122キロ
この旅行での最後のホテル泊です。
8日目
タオルミーナ観光。
レストランで昼食後、エトナ山へ向かう。バス1時間15分。57キロ。
標高2500mの地点までバスとケーブルカーで登る。エトナ山は青空に噴煙(白い蒸気?)をあげている。
観光後カターニャの空港へ。約45分、約17キロ
イスタンブール経由で帰国。
四国4県を巡る旅をしたときも、長時間バスに乗った記憶が残っていますが、今回も長時間のバス旅でした。
内容盛りだくさんで満足のいく旅でしたが、そのためには体力が必須要件ですね。ジムでの体力づくりが欠かせません。
★海外でワイモバイルのアクセスしたため、帰国に使う時に本人確認を求められているのに、その操作ができず、画像の送信が不可状態なのです。トホホ 販売店で教えてもらおうと思います。
そろそろ記していかないと忘れそうで、スタートします。
画像追加時に思い出すことも多々あると思うので文章も加筆する予定。
1日目
1月25日(火曜日)の深夜に羽田からイスタンブールに向けて出発。所要時間13時間50分
羽田空港は初でしたが、名古屋から新幹線で品川☛ 京急☛ 羽田第3ターミナルとスムーズに行きました。
快晴の日和。新幹線の窓から雪をかぶった富士山が、カレンダーの写真の如く、その姿は完璧でした。
集合時間まではたっぷり時間がありました。
両替(1ユーロ約168円)をして、コンビニでサンドイッチと飲み物て軽く腹ごしらえ。ANAのラウンジが楽しみなもので、、、💦
去年はこの段階で、変換プラグを買ったり(空港で買えます、とアドバイスを受けていた)したことを思い出します。今回は持参。スマホの充電コードも自宅でチェック済み。腕時計もスマートウォッチでないもの(※)にしました。
(※)但し、購入したのは電波時計。コレって世界中で使えるのだけれど、各国の標準時にその都度調整するのは自分でしないといけない💦・・・慣れていないので取扱説明書も持参。 何度か経験して今は習得しました。苦笑
深夜にのってすぐに食事の提供あり。その後就寝にスタンバイなのだけれど、寝付けずにドラマ1つ(ダウントンアービーの最終編)と映画1本(Collaterl Beauty)と半分(ベイビー ドライバー)を視聴。その後は眠りにつく。
ちなみにシートは180度フラットになるので、寝ずらいのガマンはない。
2日目
イスタンブール着。ラウンジに立ち寄る時間もなく、すぐにナポリ行きの搭乗口に向かう。この段階で初めて同行メンバーが集まっての確認。ひとり参加のビジネスの男性とお互いによろしくと声をかけあう。ひとり参加のビジネスの女性は私だけ。日本語が通じる人を確保しないと、、、の気持ちです。苦笑
イスタンブール(朝の8時発)からナポリまで2時間20分。
はじめて窓際のシートとなる。好天の中、エーゲ海の上を飛んで、雪の被ったギリシャの山脈の上を超えて、窓からの景色は最高でした。ナポリに近づくとポンペイに被害をもたらしたベスビオ火山もクッキリ見えました。
ナポリ空港からバスで日本人ガイドさんが同乗してポンポイ遺跡に向かう。ベスビオ山がAC79年に噴火。このころを題材にした映画を観たのだけれどタイトル失念💦
ナポリはかつて王都であったことから、ネアポリス(新しい都)⇒ナポリになっていると。
発掘が進んで遺跡後はかなりの広さ。かつての街並みが偲ばれる。
ナポリのホテル泊。
部屋は十分に広くて写メもしたのだけれど、そのあとが残念。
部屋はいっこうに暖かくならない。全館均一温度設定らしかったけれど、余りにヒンヤリなので、個別設定にして最初は最高温度の32度表示にまでしてもらったけれど、室温に変化なし。⇒ 故障? 変なの? 状態でした。
さらに、お風呂のお湯が超ぬるい。果たしてお湯といっていいものか、の温度。こんな湯船につかると風邪をひきそうで入浴はパス。翌朝、皆さんも湯温らついては同様で、ポットの湯沸かし器でお湯を沸かしてバスタブに何度も運んだ、という人もいました。
3日目
翌朝はバスでマテーラへ(バス移動4時間15分)。
ずっと快晴。マテーラの情報は全く知らなかった私なので、初めて目の前にその光景を目にしたときは、世界遺産に指定されているのも納得、という光景でした。画像追加予定
絵描きさんが描きたくなるのも頷けます。その一角のレストランで昼食。もちろんレストランにはマテーラの風景画(この角度からの景色と判った)がありました。
元来は貧民窟だそうで、住みにくいことおびただしいのだけれど、生活に根差した知恵が各所に見てとれる(必死さ)のも、こころを打つのかもしれません。石段の上り下りの連続、連続、連続。
その午後はバス移動(1時間30分)でアルベロベッロへ。まずホテル着。歩いて10分でアルベロベッロの街並みの地域へ。
夕刻が迫る時間になっていましたが、観光客も少ない(ほかの団体客ゼロ)し、サクサクと行動できました。
アルベロベッロの中心広場までは添乗員さんと一緒に行動し、街並みの説明を受けたあとは自由行動。ほぼ全員メイン通りに向かう。
日本人女性が経営しているお店に立ち寄って、アルベロベッロの生活ぶりの説明を見聞きし、商品の味見もし(苦笑)、皆さんたっぷりのお土産をゲット。私も。
ここでメンバーはバラバラになったのだけれど、さらに先にある教会まで行く人たちに連れ立ってそちらに向かう。
わたしの連れたちはそこから戻って、更に別の通りにも行くという。私の足は疲れてヒリヒリ。頑張って付き合うことはできない。この時点で空は暗くなっている。迷った。広場から10分でホテルまで帰れる、のだから「私は帰ります」といってへホテルを目指す。
ひとまず10分はまっすぐ歩こう(なぜかギクシャクと蛇行があったけれど)、とスタート時点の時計をチェック。言葉の通じない国での夜道の10分は心細い。でもとにかく間違っていないはずだから10分は進もう、と。そのうちに目印に記憶していた電光掲示板が目に入り、その先に「ホテル」のイルミネーションも見えて、ほっ。到着しました。
このアルベロベッロのホテルは古いホテルで、バスタブの止水栓が固くてうまく外れない。最初に茶色い水が出ますと注意され、少ししてからお湯を貯めたのだけれど、それでも茶色いお湯に。で、止水栓が外れないのだから、シャンプーも使えず、ただあったまって疲れを取ることにしました。
翌朝添乗員さんに👆のことを伝え、修理をお願いできて、その後の出発前にバスタブを利用できました。
4日目
で、朝のロビー。一人の女性がヒザ痛でもうみんなと一緒に歩けない、と。
この二日間の行程は本当に強行軍だったから。
次の日(4日目)は、バスで一路シチリアに向かう。東京から広島までぐらいの移動距離です、と告げられる。
途中5時間45分(約400キロ)のヴィラ・サン・ジュバンニというシチリアに臨む港町で昼食。エビとイカと小魚のから揚げが大皿でドンと提供されたのは圧巻でした。
昼食後フェリーでシチリア(ガイドさん、日本人はシチリア島というけれど、面積は四国よりも大きい。日本では四国のことを
四国島とは言わないでしょ、と)へ。
さらにバスに乗り続け、シチリア最大の都市パレルモへ。
パレルモのホテル泊。
室温もお風呂事情にも問題はなかったけれど、カードキーの反応がイマイチで、すんなり解錠されたりされなかったり、のヒヤヒヤ。
5日目
パレルモはイタリアの5大都市のうちに入るとのこと。島のイメージがあったので、私のシチリア感は大いに上書きされました。苦笑 シチリアは貴族の時代300もの貴族家系が存在していたから、富を競うかのような豪邸の文化の後があちこちに見受けられました。まさしく映画「山猫」の世界です。
パレルモ最大の劇場。ここでゴットファーザーⅢで主人公アルパチーノの長女が銃で撃たれたシーンの撮影が行われました、と。ここ1年以内にパートⅠ、Ⅱ、Ⅲを見直したので、まだ記憶に残っています。息子は親の後を継がずに音楽家になる道を選択します。2代目アルパチーノも若いころは家業を継ぎたくなかったのに、命を狙われている父親を助けようとすることがきっかけで、その世界に入っていくことになったのだったな、などと思い出したりしました。
その後バス乗車30分約11キロのモンレアーレ(パレルモの西方)へ。
ノルマン時代に繁栄した街とのこと。私にはシチリアがノルマン人 ? という疑問符がつくのだけれど、地中海の恵まれた立地にあるシチリアは古くから次々と覇者が変わってきている歴史を持つ。まるでミルフィーユのようなのですよ、と表現したのはガイドさんだったか添乗員さんだったか。
荘厳なキリスト教のトゥオーモ(大聖堂)を見学。金のモザイクが張り巡らされていて贅を競うかのようでした。
その後アグリジェント(バス約2時間。約13キロ)へ
アグリジェントの宿泊ホテルに荷物を置いて、街中のレストランで夕食。
翌日に観光する予定の遺跡群が窓から、そしてレストランでも遠くに見ることができました。
快晴の日の日没と古代遺跡は贅沢な光景です。
その後ホテルに戻る。ホテルはだんだん快適になっていきました。
6日目
古代ギリシャ遺跡が多く残る町です。この日も快晴。満開の花を付けているアーモンドの木があちこちに。
シチリアの案内書にも
冬、まだ冷たい空気の中に咲き誇る白いアーモンドの花が「神殿の谷」を華やかに飾りたてる頃は特に美しい。とあるけれど、まさしく、その表現どおりでした。ツアー客は私たちだけ。数人連れの旅人が行きかう贅沢な空間でした。
ヘラクレス神殿、コンコルディア神殿 ヘナ神殿、、、まだ掘り起こせばいろんなものが発掘されるかもしれない、とか。
バスで、カルタジローネへ。1時間45分。約112キロ
イタリア本土での長いバス移動のときもシチリアでのバス移動でも、車窓の風景は緩やかな丘陵はことごとく緑の絨毯(小麦の季節は黄金色とか)。時にオリーブの植林があったり、カタバミの黄色い花が一面に咲いて居たり、水田の多い(耕地は必ず水平)日本の風景との違いを思いました。
カルタジローネのレストランで昼食。
ツアーメンバーもこのころにはすっかり打ち解け合って、建付けの悪いトイレなどでは、お互いに配慮しあっていました。
英ぎをぅしているのに、なぜ故障していても修理しないのだろう、、、ついそう思ってしまいます。
ラグーザへ。バス1時間15分。約61キロ。
7日目
ラグーザ観光。
レストランで昼食
シラクーサへ。1時間30分。102キロ
シラクサは知っている。というか塩野七生さんのローマ人の物語で記憶に残っている都市名です。
ギリシャ人の都市国家として栄えた町。
タオルミーナへ。バス約2時間。約122キロ
この旅行での最後のホテル泊です。
8日目
タオルミーナ観光。
レストランで昼食後、エトナ山へ向かう。バス1時間15分。57キロ。
標高2500mの地点までバスとケーブルカーで登る。エトナ山は青空に噴煙(白い蒸気?)をあげている。
観光後カターニャの空港へ。約45分、約17キロ
イスタンブール経由で帰国。
四国4県を巡る旅をしたときも、長時間バスに乗った記憶が残っていますが、今回も長時間のバス旅でした。
内容盛りだくさんで満足のいく旅でしたが、そのためには体力が必須要件ですね。ジムでの体力づくりが欠かせません。