再度の追加あり
タリン空港で待っていた大型バスに乗ってタリン歴史地区へ。
ツアー客は14名なのでいつもゆったり利用です。
トームペアの丘へ直行。メモ用に持参しているボールペンのインクが出ない、ハッ! お土産店の中を巡っているとボールペンがあったので、さっそく調達(2ユーロ)。今もESTONIAの文字入りのボールペンがPCデスクの目の前にある。ほっ。
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トームペア城
次はアレクサンドル・ネフスキー教会。
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みてから旧市街へ。
(行く先々で教会を観たので、その名前は旅のしおりに雑記したメモをみないと出てこない💦)
デンマークが支配し、その後はスェーデン、次にロシア、そのあとにドイツと占領されてきた過去を持った国です。
リガの街角に立つ自由記念碑に込める思いの重いことを想像する。
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レストランにて昼食。またまた画像を撮り忘れで、最後のデザート1枚だけ💦
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昼食後に隣国ラトビアのリガに向かう。約300キロ、5時間余り 車窓から見える光景は緑一色。牧草地なのでしょうか、野菜など耕作されている感じではありません。
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夕食はホテルのレストランで。
このホテルに2連泊なので、まだ1日分だけれど、とりあえず肌着、靴下を洗濯し、「don't disturb」にした。
部屋の窓から見えた景色。
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数人で近所のスーパーマーケットへ。
海外旅行通の皆さんなので、こんなお店でサクサクとお買い物。
翌朝(10月6日日曜)
朝9にホテルを出発。ダウガヴァ川に川霧が立ち込めていて、気分は異国を旅してる~というモードになる。ノーム注意報が出ていたらしい。
バルトのベルサイユと言われる『ルレンダー宮殿』(1736年~40年)へ ルレンダーは首都リガから1時間余り。
ロシア女帝アンナの寵愛を受けたビロン公の建造。アンナ女帝没後に次の皇帝の摂政になるもまもなく失脚。後年親ドイツ系のピョートル3世が即位すると再び宮廷に呼び戻され、エカテリーナ2世から公爵位を授かる。
第2次大戦での爆撃は受けていない。しかし建物は倉庫やその他施設として利用されており、かつての宮殿として装飾等を復元したもの。
宮殿内のレストランで昼食だったのですが、画像は1枚だけ💦
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昼食後リガに戻り、歴史地区(世界遺産)観光をする。
旧市街、大聖堂
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聖ペテロ教会
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ブラックヘッドギルド。外国人商人のために建てられた集会所です。ハンザ同盟の施設。元の建物はナチスドイツにより破壊され再建されたものです。
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スェーデン門
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ラトビア市庁舎広場の「占領博物館」
この日の見学後(夕方5時ごろ)1時間ほどの自由時間となった。近くに占領博物館がある。入館したいな、と思ったけれど、時間が時間だししまっているでしょう、と諦めがちに添乗員さんにボヤいたら、聞いてみましょう、と言ってくださり、建物へと向かう。
閉館は6時なので、全体の見学には時間が足りないけれどそれでもよかったらOK、とのことで、ここで見学しないと後々後悔するだろうと思って、ひとりで見学することにした(8ユーロ)。展示写真を観ながら、グーグル翻訳機を使いながら、いくつかの説明、解説を読んで回る。第2次戦争時のラトビア人のおかれた立場の悲惨さを知る。
占領博物館というネーミングをつけること自体に、この国の経てきた過去の悲惨さが推し量れる。
兄弟でありながら、かたやドイツ軍兵士、かたやソ連軍兵士と反目する立場で戦場に駆り出されたケース。スターリンのポスターに銃弾を撃ったということで長期拘束されたとか。プロパガンダが徹底しており、国際語であるロシア語が奨励され、ラトビア語では職に就くのも不利益な状況。だからバルト3国の人たちはロシア語が使える、とのこと。
そして、いまも隣国ウクライナとロシアで戦闘が行われており、意図せずに戦士にならざるを得ない人が出ていると思うと悲痛な気持ちになります。私たちはなぜ学習できないのか、と。
話は飛びますが、タリンでの女性ガイドさんもリトアニアの女性ガイドさんも、1989年8月23日に行われた人間の壁(3国約600万人のうち4分の1の人が参加したという)に加わったとのことでした。
人間の壁は3つの国の首都タリン、リガ、ビリニュスをつなぐ約200キロに及んだそうです。私はテレビニュースで見ていた記憶があります。
その後の90年代早々に3つの国は独立することになります。
ホテル着後に外のレストランで。相変わらず写真は1枚。
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この旅の間に、メインディシュが鶏肉料理というケースが4回ありました。トホホ
1度は別メニューを頼みました。
メニュー表には4種類。そのうち下から2番目のハンバーグセット16ユーロ(約2600円)。
ビーフステーキ系も2種類あったのですが、前の旅のビーフステーキ以上のものは期待できそうもなくて(あの時は最高でした!)、がっかりしたくないので、下から2番目をチョイス。出てきたハンバーグセットをみた皆さんは「おいしそう」と言ってくださったのですが、ボリュームがありすぎで食べきれず。カリカリに揚がったフライドポテトを皆さんに食べてもらいました。
別メニューを追加してもそれほどの満足も得られないし、、、ということで以降は、チキンはメンバーさんに食べていただき、私は取り合せ野菜類だけを食べることにしました。ベジタリアンという人たちもいることだし、これでなんの不都合もありませんでした。
タリン空港で待っていた大型バスに乗ってタリン歴史地区へ。
ツアー客は14名なのでいつもゆったり利用です。
トームペアの丘へ直行。メモ用に持参しているボールペンのインクが出ない、ハッ! お土産店の中を巡っているとボールペンがあったので、さっそく調達(2ユーロ)。今もESTONIAの文字入りのボールペンがPCデスクの目の前にある。ほっ。
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トームペア城
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次はアレクサンドル・ネフスキー教会。
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みてから旧市街へ。
(行く先々で教会を観たので、その名前は旅のしおりに雑記したメモをみないと出てこない💦)
デンマークが支配し、その後はスェーデン、次にロシア、そのあとにドイツと占領されてきた過去を持った国です。
リガの街角に立つ自由記念碑に込める思いの重いことを想像する。
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レストランにて昼食。またまた画像を撮り忘れで、最後のデザート1枚だけ💦
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昼食後に隣国ラトビアのリガに向かう。約300キロ、5時間余り 車窓から見える光景は緑一色。牧草地なのでしょうか、野菜など耕作されている感じではありません。
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夕食はホテルのレストランで。
このホテルに2連泊なので、まだ1日分だけれど、とりあえず肌着、靴下を洗濯し、「don't disturb」にした。
部屋の窓から見えた景色。
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数人で近所のスーパーマーケットへ。
海外旅行通の皆さんなので、こんなお店でサクサクとお買い物。
翌朝(10月6日日曜)
朝9にホテルを出発。ダウガヴァ川に川霧が立ち込めていて、気分は異国を旅してる~というモードになる。ノーム注意報が出ていたらしい。
バルトのベルサイユと言われる『ルレンダー宮殿』(1736年~40年)へ ルレンダーは首都リガから1時間余り。
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ロシア女帝アンナの寵愛を受けたビロン公の建造。アンナ女帝没後に次の皇帝の摂政になるもまもなく失脚。後年親ドイツ系のピョートル3世が即位すると再び宮廷に呼び戻され、エカテリーナ2世から公爵位を授かる。
第2次大戦での爆撃は受けていない。しかし建物は倉庫やその他施設として利用されており、かつての宮殿として装飾等を復元したもの。
宮殿内のレストランで昼食だったのですが、画像は1枚だけ💦
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昼食後リガに戻り、歴史地区(世界遺産)観光をする。
旧市街、大聖堂
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聖ペテロ教会
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ブラックヘッドギルド。外国人商人のために建てられた集会所です。ハンザ同盟の施設。元の建物はナチスドイツにより破壊され再建されたものです。
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スェーデン門
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ラトビア市庁舎広場の「占領博物館」
この日の見学後(夕方5時ごろ)1時間ほどの自由時間となった。近くに占領博物館がある。入館したいな、と思ったけれど、時間が時間だししまっているでしょう、と諦めがちに添乗員さんにボヤいたら、聞いてみましょう、と言ってくださり、建物へと向かう。
閉館は6時なので、全体の見学には時間が足りないけれどそれでもよかったらOK、とのことで、ここで見学しないと後々後悔するだろうと思って、ひとりで見学することにした(8ユーロ)。展示写真を観ながら、グーグル翻訳機を使いながら、いくつかの説明、解説を読んで回る。第2次戦争時のラトビア人のおかれた立場の悲惨さを知る。
占領博物館というネーミングをつけること自体に、この国の経てきた過去の悲惨さが推し量れる。
兄弟でありながら、かたやドイツ軍兵士、かたやソ連軍兵士と反目する立場で戦場に駆り出されたケース。スターリンのポスターに銃弾を撃ったということで長期拘束されたとか。プロパガンダが徹底しており、国際語であるロシア語が奨励され、ラトビア語では職に就くのも不利益な状況。だからバルト3国の人たちはロシア語が使える、とのこと。
そして、いまも隣国ウクライナとロシアで戦闘が行われており、意図せずに戦士にならざるを得ない人が出ていると思うと悲痛な気持ちになります。私たちはなぜ学習できないのか、と。
話は飛びますが、タリンでの女性ガイドさんもリトアニアの女性ガイドさんも、1989年8月23日に行われた人間の壁(3国約600万人のうち4分の1の人が参加したという)に加わったとのことでした。
人間の壁は3つの国の首都タリン、リガ、ビリニュスをつなぐ約200キロに及んだそうです。私はテレビニュースで見ていた記憶があります。
その後の90年代早々に3つの国は独立することになります。
ホテル着後に外のレストランで。相変わらず写真は1枚。
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この旅の間に、メインディシュが鶏肉料理というケースが4回ありました。トホホ
1度は別メニューを頼みました。
メニュー表には4種類。そのうち下から2番目のハンバーグセット16ユーロ(約2600円)。
ビーフステーキ系も2種類あったのですが、前の旅のビーフステーキ以上のものは期待できそうもなくて(あの時は最高でした!)、がっかりしたくないので、下から2番目をチョイス。出てきたハンバーグセットをみた皆さんは「おいしそう」と言ってくださったのですが、ボリュームがありすぎで食べきれず。カリカリに揚がったフライドポテトを皆さんに食べてもらいました。
別メニューを追加してもそれほどの満足も得られないし、、、ということで以降は、チキンはメンバーさんに食べていただき、私は取り合せ野菜類だけを食べることにしました。ベジタリアンという人たちもいることだし、これでなんの不都合もありませんでした。