日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「暮らしの手帳」との縁

2016-08-23 13:45:17 | 私の雑感あれこれ
今進行中のNHKの朝のテレビ小説は、「暮らしの手帳」を発行した経緯がドラマ化されたものとのこと。見る習慣がないので、まだ2回ほどしか15分通してみていないので、私は歓迎されない視聴者です。

それなのに、引き合いに出すなんて、勝手すぎるけれど、ちょっと書き留めておきます。

私が「暮らしの手帳」に出会ったのは、20代の後半のころ。第1子、第2子と年齢の近いお子さんがいらっしゃるお宅で見せてもらいました。彼女は定期購読していた優等生。併せて羽仁とも子さんが創設なさった友の会のメンバーでもありました。

以来、図書館の雑誌コーナーで毎度お世話になりました。購入したのは数冊ぐらい。申し訳ない。苦笑

今ドラマでは、商品テストの話になっていますが、これらはなじみの特集でした。商品の判断を忌憚なくするために、この雑誌はどこからも広告料をとらない。いいと思ったものを正確に推薦するというスタンスだと理解していました。思えば殆ど広告費収入で制作されていると思えるような雑誌が多々ある中で、よく生き延びでいるものです。

そういえばニキーチンの積み木がよく紹介されていました。知育玩具として。値が張るものだったので購入はしていません。シュタイナー教育を知ったのも暮らしの手帳がらみだったかもしれません。

私が比較的近い距離にいたころ、ちょうど100号ぐらいで、また新しく1号から始めるのだとかが話題になっていたような気がします。

近頃は図書館に行く機会もめっきり減って、距離は遠くなるばかりですが、投書欄の「家庭の学校」をじっくり読むのが好きでした。
みなさんそろって、深い文章の書き手でした。そして、もうひとつ、小児科医の細谷亮太先生のコラムも好きでした。真摯な生き方誠実な筆運びにうなずきながら読ませてもらっていました。彼は聖路加病院の小児科医です。多分今も?日野原先生が院長、そして名誉院長をなさっていた病院でもあります。彼の文章で、日野原先生は今では超有名人になられたけれど、60代のころの先生は病院でふつうにすれ違ったりする、普通の内科医だったのですよ、とつづられていたのが印象にあります。

そ、暮らしの手帳つながりで、聖路加病院がインプットされていました。そんな病院で、去年の夏にたまたま同じ病院で孫が手術し、私は見舞いにも行きました。
きっと、細谷先生も病院内にいらっしゃるのだろうな、と思ったものです。

小児科医であり、重篤な患者をよく担当なさっているので、小児がんの話題もよくエッセイでは登場しました。孫が手術後小康を得てプレイルームに顔を出せるようになると、私も一緒にプレイルームに行ったものです。半分以上の子供の髪の毛が抜け落ちていました。きっと彼ら、彼女らは、細谷先生をはじめとする最善のスタッフの治療を受けているのだろうな、とぼんやり思いました。
こんな厳しい現実が職場の細谷先生があのエッセイを書かれていたのだと、ひとり思ったものです。思ったところでどおってことないのですが。

ま、そんなこんなの「暮らしの手帳」です。

午前中にショッピングモールをうろついてきました。おもちゃコーナーや珍しく本屋さんにも。幼児ものの売り場は知育を謳ったものが氾濫しています。ここまで来ると、昔のママだった私は気恥ずかしくなって買えません。売り手は、どうしたらママたちが財布のひもを開いてくれるかと苦心しているのでしょうけれど、なんだか明け透けすぎて、幼児用のサッカーポールひとつ買って帰ってきました。

また今日も、余談雑談を書いてしまいました。




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