日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

つれづれに。

2024-10-28 07:57:50 | 私の雑感あれこれ
最近は贅沢しているな、と自分でも思っている。
あの昭和の時代を思い起こすと、格段の差に驚くしかない。
エピソードを書こうと思う。
昭和35年か36年ごろだと思う。私は昭和31年に小学校入学しています。
春のそのシーズンになると友達3人でヨモギ摘みをしたものです。母親が普段使っている買い物かごをそれぞれ持って集まります。
その自然素材で編まれた買い物かごにぎっしりいっぱい摘み取って、和菓子屋さんにもっていくと、かごいっぱいあたり5円になりました。多分、私の現金収入の最初じゃなかったかしら。(アルバイトという言葉も知らなかったし、なかったころでしょう)
3人集まっておしゃべりには花が咲くし、たくさん摘めるところの検討をつけたりするのも楽しいことでした。
和菓子屋さんが買い取ってくれるという情報をどこから得たのかは覚えていません。でも、2シーズンほどはやった記憶です。
5円の価値ですが、5円で安いほうのアイスキャンデー買えたかも。確かアイスクリームは10円でした。

多分、そのころに重なると思うけれど、エピソードをもう一つ。
そろばんを習っていました。週3回通います。その塾は1部~3部に分かれていて、3部は上級者(商業高校生が多かったりした)が占めていました。で、先生が簡単な課題を与えてテストをします。そろばんのテストではありません。日本の長い河川を順番に10本書き出せ、とか、内閣改造が行われたけれど、大臣の名前を書け、なんていうものです。それでクリアすると月謝が30円だったか50円安くなるのです。もちろん個人経営の先生の思い付きなのでしょう。ちょっとばかり安くなったのが得意だったのを覚えています。

人口2万に満たない田舎(農村ではない)での生活でした。小学生にとっては自分の身の回りが世界ですから、それを貧しいとも感じることなく普通だと思っていました。
それから思えば、すっかり遠くへ来てしまったものだと思います。
卒業文集に「行きたいところは『スイス』。永世中立国だから」とたくさんの旧友が書いていました。私はどう書いたかしら? みんなそうなんだ、と思ったのを覚えています。
あの頃の教室は、天気の日は照明がついていなかった。雨の日になると照度計でルックスを計測に来て、レベル以下だと蛍光灯をONに。電力が不足していたのですね。日本はまだ先進国ではなかったのでしょう。

👆 時代を経て、今、海外旅行に行こうと思えば行ける、ありがたいことだと重々自覚しています。




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