20代後半でしょうか。身長も高く、甲種合格です。
一人っ子です。ずっと、父が死んでからの昔話として聞いたのですが、妹二人が幼くして死んでいるので、祖母(明治21年生)は、大事に、危ないことはさせないように眼を光らせて育てたそうです。今で言えば過保護、でしょうか。
息子の帰りを希いつつ、自分は孫の世話をし、嫁は必死に生活費を稼ぐ。
母が、病に伏せた実母を見舞いに帰っても、実母は、顔を見て直ぐに(姑さんから叱責されることを慮って)「早く帰れ」と追い返した、とも。
ボケてはいませんから、自分の母親の病床のことも思い出しているでしょう。そのときの癖で、今病院のベットで臥せっている母も、もうここはいいから帰れ、って言うのですよ(苦笑)。
戦争があったり、貧しかったり、であっちにも、コッチにも、トゲが張り出していた時代だったように思います。
ちなみに、息子ひとりしかいなかった祖母ですから、初めての女の子である私には、甘かった、です。
一人っ子です。ずっと、父が死んでからの昔話として聞いたのですが、妹二人が幼くして死んでいるので、祖母(明治21年生)は、大事に、危ないことはさせないように眼を光らせて育てたそうです。今で言えば過保護、でしょうか。
息子の帰りを希いつつ、自分は孫の世話をし、嫁は必死に生活費を稼ぐ。
母が、病に伏せた実母を見舞いに帰っても、実母は、顔を見て直ぐに(姑さんから叱責されることを慮って)「早く帰れ」と追い返した、とも。
ボケてはいませんから、自分の母親の病床のことも思い出しているでしょう。そのときの癖で、今病院のベットで臥せっている母も、もうここはいいから帰れ、って言うのですよ(苦笑)。
戦争があったり、貧しかったり、であっちにも、コッチにも、トゲが張り出していた時代だったように思います。
ちなみに、息子ひとりしかいなかった祖母ですから、初めての女の子である私には、甘かった、です。
今、朝ドラ「梅ちゃん先生」をみているのですが、梅子の姉、松子は婚約者が戦地から帰ってこなくて(8月13日に亡くなった)、働き始めることになったとか。
そういう時代ですよね。
先人たちのおかげで、今の私たちがあるんですもの。今の日本って暗いですけど、先人たちはそれでも笑って暮らしていたんですね。
お母様がご健康を少しでも早く取り戻されるよう、お祈りいたします。
お父様は日本人離れしたお顔立ち、お母様は和風美人で朝から素敵なお写真を拝見でき、今日はいいことがありそうな気がしています。
私は長女でひとり娘(兄、弟あり)だから、聞くのが役目なのでしょう。
砂利をいれた木箱を運びあげる1階分で○銭だったとか、本人は細かく記憶しています。戦後でしょうか、紡績工場で働くようになって、早番の出勤の時は、腕時計の針を見るのに、マッチを擦って明るくして時間を確認したものだと。近所はまだみんな平屋の時代に、2階建ての自宅だったのですが、2階には電気を通しておらず(勿論節約のため)、暗い中で身支度したものだと。倒れる前日まで、その2階の部屋を自室にしていたのです。95歳で2階で寝ているというと、みなさんに驚かれていました。
始まった「梅ちゃん先生」も見ていたらしいのですが、倒れる前の電話では、「もう、戦争時代を思い起こすドラマは見たくなくなった」と言っていました。母の本音には、私の辛苦はドラマ以上だったという思いが溢れるのでしょう。そんな時は、ただ聞き置くだけです。そして、戦死したり、家が焼けた人もいるのだから…、とちょっと時には水を差したり。
苦しいさなか、夫が戦死したらと聞かれたとき、「長男をおぶって線路に行く」と言っていたそうです。それでも、実母には愚痴をこぼさなかった、とも。
勿論、以心伝心で察していたでしょうけれど。
2枚の写真をメールで息子に送ったら、初めて見たと返信がありました。おじいちゃんはボクに似ているね~とも。顔が似ていることについては、家族一同同感!なのです。