昨日の土曜日、静岡市立美術館まで車で東名を走る(私は助手席です)。
澄み切った空に、富士山が見事でした。
司馬遼太郎の「最後の将軍」を読んだのは、息子の下宿先でだったから、もう随分前のことです。あれからテレビドラマで「篤姫」を観たり、何冊かの幕末もの、明治ものを読んだ程度の興味です。
そういえば、鳥羽伏見の戦いから逃げ帰って、浜離宮公園の一隅に上陸したのだという史実を追いかけて、見にもいってきましたっけ。
今回の展示で思ったことは、
幼少時から秀でた子供だったのだということ。
そして、世襲が当然の社会でも、見るところは観ているようで、七男の慶喜が水戸の徳川家斉の世継ぎになっているのです。明治の世になってでしょうが、慶喜の家の跡継ぎも七男。後継者としてどんな資質を持った人物がふさわしいか、選択がなされているのだな、と受け止めました。
それにしても、数え年6歳、7歳の幼児に書いた墨書の上手いこと。
四書の文句らしいのですが、解説を読むと含蓄のある文言。筆を握る幼い子供が、意味を説かれながら教育を受けていったのかと得心しました。
昨今、道徳教育の必要性が言われているけれど、四書五経を教材にしたらいいのでは?と浅学の私は思うほどでした。
ツレにそのことを話題にすると、個人の人権という概念はなく、忠義第一だったろうし、そもそもオンナは対象外だったろう、と。
ハイ、そうでした。
そこで、ブブーとイエローカードになってしまうのです。
洋の東西同じですね。
女性は和睦のアイテムというか、諍いを避けるための婚姻が横行しています。身分高い家に生まれついた女性は、生きていくことをそんなものだとして理解していたかのようです。私などは、オンナ同士家柄競争したりして、嫌な世界だろうと、勝手に想像(笑)。
でも、解説にいたく納得したものだから、江戸期の武士階級の道徳観も、拒絶反応をするだけではなく、上手く採用できないものかしら、とは思うのです。
展覧会は12月15日までです。
帰路、焼津によって、お正月用のマグロのトロを仕入れてきました。
澄み切った空に、富士山が見事でした。
司馬遼太郎の「最後の将軍」を読んだのは、息子の下宿先でだったから、もう随分前のことです。あれからテレビドラマで「篤姫」を観たり、何冊かの幕末もの、明治ものを読んだ程度の興味です。
そういえば、鳥羽伏見の戦いから逃げ帰って、浜離宮公園の一隅に上陸したのだという史実を追いかけて、見にもいってきましたっけ。
今回の展示で思ったことは、
幼少時から秀でた子供だったのだということ。
そして、世襲が当然の社会でも、見るところは観ているようで、七男の慶喜が水戸の徳川家斉の世継ぎになっているのです。明治の世になってでしょうが、慶喜の家の跡継ぎも七男。後継者としてどんな資質を持った人物がふさわしいか、選択がなされているのだな、と受け止めました。
それにしても、数え年6歳、7歳の幼児に書いた墨書の上手いこと。
四書の文句らしいのですが、解説を読むと含蓄のある文言。筆を握る幼い子供が、意味を説かれながら教育を受けていったのかと得心しました。
昨今、道徳教育の必要性が言われているけれど、四書五経を教材にしたらいいのでは?と浅学の私は思うほどでした。
ツレにそのことを話題にすると、個人の人権という概念はなく、忠義第一だったろうし、そもそもオンナは対象外だったろう、と。
ハイ、そうでした。
そこで、ブブーとイエローカードになってしまうのです。
洋の東西同じですね。
女性は和睦のアイテムというか、諍いを避けるための婚姻が横行しています。身分高い家に生まれついた女性は、生きていくことをそんなものだとして理解していたかのようです。私などは、オンナ同士家柄競争したりして、嫌な世界だろうと、勝手に想像(笑)。
でも、解説にいたく納得したものだから、江戸期の武士階級の道徳観も、拒絶反応をするだけではなく、上手く採用できないものかしら、とは思うのです。
展覧会は12月15日までです。
帰路、焼津によって、お正月用のマグロのトロを仕入れてきました。
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