日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ようやく復調。そして北陸行き。

2019-04-01 06:50:34 | 健康
久しぶりにPCの前に。
というか、「母の顔を見に」の北陸行きから戻ってきた。

金曜の夕方、ショートスティ先に迎えに行って、土日と弟夫婦たちと過ごすのだけれど、日中はベットにもいかず、夕食後も夜9時までずっと茶の間。耳が遠いので、超シンプルな話しかできないのだけれど、私たちがにこやかな語らっているところにいたいらしい。

母は息子と同居で何よりも幸せ~、の一点張りなのだけれど、私としてはいろいろ考えてしまう。

体調不良で、薬を飲んでだましだましの長旅だった。
お昼過ぎに到着。迎えに来てもらった帰りに一緒にお昼を外食するのだけれど、その時注文した「ちゃんぽんうどん」とやらも完食できずに残ってしまうほどだった。

弟嫁さんの配慮のタラ鍋(しっかりと味の沁みた白菜、なめこ、豆腐も美味しかった)とお粥で、順調に回復にむかった。  
いつもはお寿司を注文した、というバージョンなのだけれど、お寿司は食べられない、うどんぐらいがいい、と事前メールしていた。
翌日も同じメニューで、とお願いして、美味しかった~。

介護はケースバイケースとつくづく思う。
弟にずっと介護報酬相当を払う形を続けてきているけれど、それが底をついたら(苦笑)、年金内で入居できる特養ホームに行くこともあり、かな?それにしても、死ぬまで年金があるのはありがたい。

それにしても102歳まで生きるとはすごいことなのだけれど、母の金銭感覚への頭の柔らかさにも、おやっ、と思わせられてきた。
大正5年生まれ。ずいぶん昔のことで19歳年上の長男が発展家で事業家タイプだった。母は事業(タクシー会社経営)に失敗した兄の借金の返済の応援をする(仕送りをする)ところから社会人人生のスタートを切ったらしい。戦争で夫が9年間召集され、自分が姑と幼子の生活を支えなければならなかった。だから当然、節約、倹約人生だったでしょう。ところが、ケチではない。お金を使うことを弁えているっていうのでしょうか、振り返ってそれを思います。そんな母の思い切りの良さ、クヨクヨしていても時間がもったいない、という割り切り方を見させてもらった、と思っています。だから、世の中いろいろでしょうけれど、兄にもそうだったように、弟にも受け取ってくれ、とお金を抱え込みません。それが、、、、102歳まで来て、少なくなったと、、、管理している弟からの報告。
最後まで使い切るなんて、見事ではないですか。そんな思いです。お金がナイナイと愚痴って生きるのではなく(父が働いた時代の波が良かった影響もありますが)、貰ってくれ、もらってくれと言って、使い切るなんて。ビバ102歳!  です。

帰りの高速バスではすっかり体調の心配がなくなりました。
「よくも長時間(バスに)乗ってきたね~」と弟嫁さんに言われたほど、不調の陰りが残っていた。
車中で周りの人が食べるお菓子の匂いがムカムカと鼻につき、お土産に持参したシュークリームも一緒に食べることができず、状態の無理を押して挙行したのですから。

待っているだろう母の気持ちのこと、ネット予約した乗車券をキャンセルするのが?だったこと。以降次々とスケジュールが入っていること、などで、順延はしたくなかった、のです。








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