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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

その間も投資は動いています。

2024-10-23 07:44:09 | 投資関連
久しぶりに比較してみました。

5月19日のNISA成長枠
日本の個別株                取得総額 1,990,000円 評価損益81,020円 損益率+4.07% 
投資信託(オールカントリー・米国株式)   取得総額   399,999円 評価損益83,993円 損益率+20.99%
評価益合計165,013円

今朝(10月23日)のNISA成長枠
日本の個別株                取得総額 1,457,800円 評価損益-6,010円 損益率-0.412% 
投資信託(オールカントリー・米国株式)   取得総額 399,999円 評価損益113,853円 損益率+28.46%
評価損益合計107,843

前回から約4か月経ってます。
7月下旬から8月にかけての株価の大暴落があって、この通りです。確かこの暴落より先にマイナスが大きかったのを一つ売却しています。そのために年間240万円の枠が空いたことになり、来年以降にこの枠(532,200円)は持ち越しとなります。
投資信託は約40万円で11万円の評価益となっていますが、日本の個別株はマイナス。比較的高配当の株を選んでいるので、別途配当は入っているのですけどね。
200万円ものお金を(日本の個別株に)投じてマイナスなんですから、ひとさまにはお勧めするものじゃありませんね。
来年はどうしようかしら、考えるためにもアップしてみました。





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バルト3国、ポーランド旅 その6

2024-10-21 10:27:14 | 旅行・休養
追加しています。
ワルシャワのホテルで1泊。
これまで特に写してこなかったのですが、朝食バイキングはこんな感じです。果物は食べましたが、一貫して焼き菓子類は食べませんでした。


朝9時出発
これまではガイドさんの説明を添乗員さんの翻訳で聞いていたのですが、ワルシャワでは日本人ガイドさんでした。
流れるように(まさしく立て板に水の如く)解説してくださるので、聴く立場の私たちの気持ちも幾段がアップしたようです。
ナチスドイツの侵攻によるポーランドの建物はことごとくが壊されたけれど、ドイツ軍に占領された建物は自分たちが使うために爆撃せずに(受けずに)残っています、等の説明を受けながらワルシャワ歴史地区観光へ向かう。大戦後はソ連の影響下にあったので、そのころに作られた建物は地味で効率第一ですぐわかるという。

ショパンの像がある公園。


ショパンの心臓が奉られている聖十字協会。


ワルシャワの街並み。歩道にはショパンベンチが配置されています。ベンチについているボタンを押すとショパンの曲が流れます。
ベンチは夜来の雨粒で濡れていたので座れませんでした💦 これらのベンチは修理は頻繁に行われているらしいのですが、またすぐ故障するそうです。扱いが粗雑なのか、性能がイマイチなのか ? です。


ワルシャワといえば、もう一人の有名人、マリーキュリー夫人の生家もこの歴史地区のはずれにありました。現在は資料館となっているのですが、開館は12時からで、旅行の日程では入館をあきらめざるを得ません。建物前まで行ってきました。彼女の母親が寄宿舎だったこの建物の管理人をしていたので、キュリーはココで生まれ育ったそうです。大学もその後の研究生活もフランスなので、資料館としてはパリにもあります。ガイドさんの話では、最近はキュリー夫人と言っても、日本人添乗員から「目の見えない人ですか?」と聞かれたりして、世代ギャップを実感します、と。(ヘレンケラーと混同。時代ですね~)


時間は11時過ぎ。自由時間は1時間足らずあるもののキュリー夫人生家見学はあきらめ、ひとり参加の人と連れ立って、ワルシャワ旧市街広場の復元された建物内(第2次大戦関連の資料館になっている)を見学。4棟の建物の内部がつながっていて資料館になっています。


日本人ガイドさんからワルシャワの街案内で聞いた、『あっ、そういうこと!ね』を書き留めておかなくては。
私たち(私は)は、「ショパンもキュリー夫人もポーランド人で、、、」と思っていました。でも、ショパンの時代もキュリー夫人がこの街で暮らした時代も他国の占領下にあって、ポーランドという国は存在していなかった、ということ。そもそもショパンは若くして亡くなっているし。そうすると、あの「革命」という曲を作曲したときの思いは、、、と心を馳せたりしました。
隣接国が自分の住んでいる地域を統治しているという境遇は経験したものでないとわからないのでしょうね。幼いころに読んだマリーキュリーさんはソルボンヌに進学したけれど非常に貧しくて寒さをしのぐにも一苦労したとあったものです。
今は5年(4年?)に一度、ちょうど今の季節にワルシャワでショパンコンクールが開催され、世界中から音楽ファンが集まって街は熱気に包まれる、ということです。ショパンは後世に故郷の街に大きな役割を果たしています。

昼食はレストランで。またまた画像は1枚だけ💦 メニュー紹介の時は(好き嫌いがあるので 💦)メインディッシュに耳を澄ます癖があります。苦笑


昼食後にクラクフへ向かう。
クラクフは日本でいえば京都にあたる古都ということです。
クラクフの街は11~16世紀の終わりまでポーランドの首都でした。街のシンボルは竜で何かと竜がデザインされていたりしました。
18世紀にオーストリア領となり、いったんはクラクフ国として独立するが19世紀に再度オーストリア領となる。(オーストリア領とは、あのハプスブルク家ですね)


この街出身の著名人としては、クラクフ大学で学んだコペルニクス(1473年~1543年)がいます。
たまたま最近アニメ「チ。-地球の運動についてー」(フィクション)を観ました。コペルニクスより少し前の時代なのでしょう。15世紀の地動説が世に出ようとしている頃がテーマです。教会が社会の規範を教えている社会で、教会の意に背くことをにおわせるだけでも命を失ってしまう、なんという、、、、(拷問、生きたままの火あぶりの刑など)というシーンがたくさん出てきます。
市街広場をいくつも見てきたけれど、その場所は市場も開かれていたけれど、公開処刑も、、、と聞いていたので、あの場所が、、、と思い起こされたりして、言論の自由、民主社会の尊さをしみじみ思う、に尽きます。


クラクフには2連泊 肌着の洗濯が必須です。
食事画像2枚。


■ 旅日記がなかなか進みません。ギリシャや南イタリア、シチリア旅と違って、語られる時代が新しいこともあり、日本があの時代だったころのこの国では、、、といった想像ができるので、興味がより深くなるのかもしれません。
復習も楽し(有意義という言葉のほうが適切かな)です。

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バルト3国、ポーランド旅 その5

2024-10-20 08:02:02 | 歴史探訪・城巡り
ビィリュニスのホテルでは目抜き通りが見える窓辺でバイキングの朝食。大きな建物は昨日出かけたショッピングモールが入っている建物です。


9時にホテルを出発。
ビィリュニス歴史地区(世界遺産)観光。
聖ペテロ&パウロ教会  イタリアから職人を招いて建設された内装。漆喰彫刻が見事でした。


大聖堂


夜明けの門


人間の鎖
1989年8月23日にバルト3国の首都を結んだ200キロを人々が手をつないでソ連への抗議の意思表示をした、その証の地点




昼食はレストラン


昼食後はポーランドのワルシャワへ向かう。約430キロ、8時間! 途中トイレ休憩は複数回ありますが覚悟がいります。
あのロシアの飛び地カリーニンググラードとの狭間を通るのかと緊張もちょっとはありましたが、地図で見るよりも実際の土地は広い。緊張感はありませんでした。
でも、ポーランドの国境越えの時、バスのドライバーさんが何らかのチェックでストップがかかり、30分近くの時間がかかりました。私たちはただ乗っているだけでしたけれど、、、。
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バルト3国、ポーランド旅 その4

2024-10-20 07:25:46 | 旅行・休養
リトアニアのカナウスのホテルで1泊。
ホテルの前にも国旗。


朝9時30分にバスでカウナスの市内観光。カナウス城のあたりを巡っているときは、雨粒が落ちないものの朝もやがかかっていました。
カウナス城、旧市庁舎広場、ペルクーナスの家


昼食はレストランで。写真1枚。この赤かぶのスライスしたのが胃に優しいというか美味しかった。


昼食後にトラカイ城へ向かう。カウナスからバスで1時間20分
湖に面した美しいお城でした。


その後、首都ビィリニュスへ バスで約40分
ビリニュスのホテルは目抜き通りに面したところにありました。夕食前に数人連れ立ってショッピングモールへ。
通りへ出ると、目の前の広場でイスラエル軍のガザへの攻撃に抗議する集会が行われていました。パトカーが数台止まっていて、彼らの行動の見守り中。こんな集会やウクライナの旗を掲げている建物を目にすると、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザへの攻撃が今現実に起こっていることなのだと実感します。そういえばラトビアの占領博物館にひとりで入館したとき、自由に書けるメッセージボードがあったので、ちょっとだけ足跡を残してきました。

夕食はホテルのレストランで。
珍しく写真は3枚とっています。
シャッターを切ろうとすると「容量がいっぱいです」と表示されていたのですが、昼食時に若手メンバーさんに、その表示が出る原因をチェックしていただき、ストレージのうちで、不要なものを削除したので、気にせず写真を撮ることができるようになりました。ほっ。助かった~~。



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国境を越えてリトアニアへ

2024-10-19 08:12:57 | 旅行・休養
リガのホテルでテレビをつけてみる。

人口が200万にも満たない国で、テレビ番組はどういう風になっているのか興味があった。自国の専属放送もあるけれど、イギリスのBBCやフランスの放送が簡便にチョイスできる仕組みです。幼い時から多国語を学ぶハードルが低いでしょうね。
ホテルを朝8時に出発。リトアニアのシャウレイへ。バスで2時間40分
またまた草原。

十字架の丘を訪問。おびただしい数の十字架の山。出店で十字架を購入すれば祈りをささげることができる絵馬のようなものです。
遠足らしい小学生がたくさん来ていまた。売店には小学生のお小遣いでも購入できそうなお土産が並んでいて、日本の観光地とよく似ています。丘の途中に空き缶を前にしたおばあさんがいたのでユーロの小銭を入れてきました。



またまた草原をカウナスに向かってバスは行く。車窓の風景とレストラン。レストランのデザートがほぼ生クリームでとても食べきれない。こんなのが2、3回続く。この国の人は生クリーム好きなのだろうか。


カウナスは一時リトアニアの首都機能(首都ビリニュスが占領下にあったので)があったところです。
第2次大戦中に日本領事館の副領事に杉原千畝さんが赴任されていた領事館です。


領事館の安全が確保できないから退去するようにと日本の外務省から指示が来て退去するその途中でも、命のビザ(通行証)を書き続けたというカウナス中央駅も訪問しました。建物にウクライナの国旗も。バルト3国ではウクライナの国旗を掲げているところが頻繁にみられました。自国にとっても切実な問題なのだとひしひしと伝わってきます。


この時もまだ、スマホの画像の「容量がいっぱいになっています」の表示が出て、シャッターが切れないことがしばしばで、古い画像を消去しながらやりくりしていました。私の反省事項です(´・ω・`)

カナウスのホテル着
ホテルに到着後に近所のスーパーマーケット(MAXA)に買い物に。海外旅行ベテランの皆さんは手慣れたものです。うっふふ
わたしも大分慣れてきました。








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日常のアレコレ。

2024-10-18 07:26:14 | 私の雑感あれこれ
追記アリ

昨日はスポーツジムでアクアトレーニング55分のあと病院へ。
去年に行った心臓のカテーテルアブレーション治療の1年後の経過観察のため、心電図をとり、超音波検査をして、現在も24時間心電図の装置を装着中です。この状態で午前中にジムのピラティスには参加して、午後に装置を外しに病院へいく予定。
病院へ行ったついで、とは変なのですが、眼科の予約を入れてきました。右目の調子が悪くなってきています。左目は白内障の手術をしているので快調。両目だから無事免許の更新もできたけれど、右目だけだと生活に差し障るほどの視力劣化状態です。
以前に手術したお医者さんにもう一度お願いしたいのだけれど、大きな組織では医師の変更もあるのでそういうわけにはいきません。
高齢者の多いジムでは白内障の手術をした方も珍しくはなく、個人病院でなさっている方も多いのですが、私は今通っている病院でする予定です(まだこれから初診ですけれど💦)。

旅行から戻って、体重が2キロ増えていました。早めに元に戻したいと思っているのですが、なにしろ実りの秋。家庭菜園で収穫のあったサツマイモの焼き芋が美味しい。ついつい大学芋も作ってしまいました。小麦粉のお菓子類よりも増し、なんて言い訳しています💦。
そういえば、10日間の旅行中、何度も利用したラウンジでも、ホテルの朝食バイキングでも、ケーキ系のものはチョイスしませんでした。甘党の自分として自制したつもりです。 但しコース料理の最後に出てくるデザートはほぼ完食しました(生クリームが全体の8割ぐらいの甘々デザートの完食はいくら甘党でも残しました)。

一昨日(10月15日)デルフィニュームとスイトピーを植えました。袋に入っていたデルフィニュームの種の小量なこと!両方共の発芽率の低さが気になります。スイトピーはうまくいった経験があるのですが、デルフィニュームは全敗しています。さて来春は? です。
今日はポーチュラカを整理しようかな、と思っています。

旅記録の続きもやらないとね。
行きのチェックインするときに〇〇〇カードを提示し忘れたので、マイレージカードへのポイント加算の手続きもPCからする、という作業も残っています。

以下追記。
12時にピラティス(ジムのスタジオプログラム)を終えての雑談。
ジムが終わったのは12時。誰からともなく、おなかすいた~。焼き芋食べたい気分~、と焼き芋人気でした。
私、一昨日に焼いた焼き芋が食卓に残っているのを思い浮かべていました。苦笑
最近の売っている焼き芋は甘くて柔らかい。昔のホクホクとした焼き芋のほうが好き。という意見が2、3人から。
そう、私も同感です。だから我が家でも以前は安納芋も作っていましたが、ホクホク系の鳴門金時メインになっています。
ほんと、栗のようにおいしいんですから。苦笑  ← ダイエットの敵ですけどね。

スタジオから場を変えて雑談の続き。
ホラ、こんな状況!とウエアをめくって見せたら、みんなビックリ。
24時間心電図の装置は午後3時に外しに病院へ行ってきます。不整脈、不整脈、と長年指摘され続けてようやく解放された思いです。
アブレーション治療から1年たちました。この1年のうちに3回も、(1月、7月、10月と)海外旅行に行っているのだから、我ながらビックリだし、人生最高の贅沢をした思いです。海外旅行の話は話題にはしていません。でも、不整脈持ちでなくなったことが、気楽に旅行にエントリーできる要因の一つだとは思っています。









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タリンを半日観光して隣国のラトビアへ

2024-10-17 07:38:29 | 旅行・休養
再度の追加あり
タリン空港で待っていた大型バスに乗ってタリン歴史地区へ。
ツアー客は14名なのでいつもゆったり利用です。
トームペアの丘へ直行。メモ用に持参しているボールペンのインクが出ない、ハッ! お土産店の中を巡っているとボールペンがあったので、さっそく調達(2ユーロ)。今もESTONIAの文字入りのボールペンがPCデスクの目の前にある。ほっ。

トームペア城


次はアレクサンドル・ネフスキー教会。

みてから旧市街へ。
(行く先々で教会を観たので、その名前は旅のしおりに雑記したメモをみないと出てこない💦)

デンマークが支配し、その後はスェーデン、次にロシア、そのあとにドイツと占領されてきた過去を持った国です。

リガの街角に立つ自由記念碑に込める思いの重いことを想像する。


レストランにて昼食。またまた画像を撮り忘れで、最後のデザート1枚だけ💦


昼食後に隣国ラトビアのリガに向かう。約300キロ、5時間余り 車窓から見える光景は緑一色。牧草地なのでしょうか、野菜など耕作されている感じではありません。
 

夕食はホテルのレストランで。
このホテルに2連泊なので、まだ1日分だけれど、とりあえず肌着、靴下を洗濯し、「don't disturb」にした。
部屋の窓から見えた景色。

数人で近所のスーパーマーケットへ。
海外旅行通の皆さんなので、こんなお店でサクサクとお買い物。

翌朝(10月6日日曜)
朝9にホテルを出発。ダウガヴァ川に川霧が立ち込めていて、気分は異国を旅してる~というモードになる。ノーム注意報が出ていたらしい。
バルトのベルサイユと言われる『ルレンダー宮殿』(1736年~40年)へ ルレンダーは首都リガから1時間余り。

ロシア女帝アンナの寵愛を受けたビロン公の建造。アンナ女帝没後に次の皇帝の摂政になるもまもなく失脚。後年親ドイツ系のピョートル3世が即位すると再び宮廷に呼び戻され、エカテリーナ2世から公爵位を授かる。
第2次大戦での爆撃は受けていない。しかし建物は倉庫やその他施設として利用されており、かつての宮殿として装飾等を復元したもの。
宮殿内のレストランで昼食だったのですが、画像は1枚だけ💦


昼食後リガに戻り、歴史地区(世界遺産)観光をする。
旧市街、大聖堂


聖ペテロ教会


ブラックヘッドギルド。外国人商人のために建てられた集会所です。ハンザ同盟の施設。元の建物はナチスドイツにより破壊され再建されたものです。


スェーデン門 


ラトビア市庁舎広場の「占領博物館」
この日の見学後(夕方5時ごろ)1時間ほどの自由時間となった。近くに占領博物館がある。入館したいな、と思ったけれど、時間が時間だししまっているでしょう、と諦めがちに添乗員さんにボヤいたら、聞いてみましょう、と言ってくださり、建物へと向かう。
閉館は6時なので、全体の見学には時間が足りないけれどそれでもよかったらOK、とのことで、ここで見学しないと後々後悔するだろうと思って、ひとりで見学することにした(8ユーロ)。展示写真を観ながら、グーグル翻訳機を使いながら、いくつかの説明、解説を読んで回る。第2次戦争時のラトビア人のおかれた立場の悲惨さを知る。
占領博物館というネーミングをつけること自体に、この国の経てきた過去の悲惨さが推し量れる。
兄弟でありながら、かたやドイツ軍兵士、かたやソ連軍兵士と反目する立場で戦場に駆り出されたケース。スターリンのポスターに銃弾を撃ったということで長期拘束されたとか。プロパガンダが徹底しており、国際語であるロシア語が奨励され、ラトビア語では職に就くのも不利益な状況。だからバルト3国の人たちはロシア語が使える、とのこと。
そして、いまも隣国ウクライナとロシアで戦闘が行われており、意図せずに戦士にならざるを得ない人が出ていると思うと悲痛な気持ちになります。私たちはなぜ学習できないのか、と。

話は飛びますが、タリンでの女性ガイドさんもリトアニアの女性ガイドさんも、1989年8月23日に行われた人間の壁(3国約600万人のうち4分の1の人が参加したという)に加わったとのことでした。
人間の壁は3つの国の首都タリン、リガ、ビリニュスをつなぐ約200キロに及んだそうです。私はテレビニュースで見ていた記憶があります。
その後の90年代早々に3つの国は独立することになります。

ホテル着後に外のレストランで。相変わらず写真は1枚。


この旅の間に、メインディシュが鶏肉料理というケースが4回ありました。トホホ
1度は別メニューを頼みました。
メニュー表には4種類。そのうち下から2番目のハンバーグセット16ユーロ(約2600円)。
ビーフステーキ系も2種類あったのですが、前の旅のビーフステーキ以上のものは期待できそうもなくて(あの時は最高でした!)、がっかりしたくないので、下から2番目をチョイス。出てきたハンバーグセットをみた皆さんは「おいしそう」と言ってくださったのですが、ボリュームがありすぎで食べきれず。カリカリに揚がったフライドポテトを皆さんに食べてもらいました。
別メニューを追加してもそれほどの満足も得られないし、、、ということで以降は、チキンはメンバーさんに食べていただき、私は取り合せ野菜類だけを食べることにしました。ベジタリアンという人たちもいることだし、これでなんの不都合もありませんでした。






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10月13日夜にバルト3国、ポーランド旅から帰国(帰宅)しました。

2024-10-16 10:02:21 | 旅行・休養
日曜日帰宅。翌日はジム、火曜日は仕事と普通の生活に戻っていますが、10日間旅の振り返りを残しておきます。

空港集合時間は20時20分。時間に余裕をもって自宅を出発。スーツケースは前々日に宅急便で発送済みなので持ち物はデイバックだけ。前回と同じ空港なので、手荷物の受け取りも、ツアー受付にも慣れてはいます。というか、添乗員さんも各自に搭乗手続き書類一式を渡すと、各自でチェックイン済ませてきてね、という感じ。もし海外旅行ツアー参加が始めてだったら心細いだろうな~、と思ったりした。スーツケースを預けてきて、次は搭乗ゲートの番号と時間を各自に確認して、それぞれ自由行動。飛行機の出発は22時50分。

税関審査後はラウンじにいく。7月にもラウンジを使っているのですんなりと行けた。ひとり旅っぽい人に声を掛けたら、同じツアーだとわかって同席しておしゃべり。7月に南アフリカへ行ったと言ったら、彼女は先月(9月)に南アフリカに行ってきたそうだ。マイナーな旅先だと思っていたので、ビックリ! おどろくほど頻繁に海外旅行に行かれている方だとわかりました。
ま、ひとりでも話せるひとがわかると心強い。
ラウンジはアライアンス毎に違う。彼女は別の旅行会社のラウンジよりココがいいわ、とは言ったけれど、私は別会社のほうが品数豊富だった記憶が、、、。ま、口にはしませんでしたけれど。

航空会社はフィンエア。クロアチア進攻があってからロシアの上空が飛べなくて、目指すヘルシンキは北極海周りとなりました
約13時間。ヘルシンキから待ち時間約3時間。乗り継いで約30分でエストニアのタリンへ。
 

ヘルシンキ行きの13時間で2回の食事があります。写メは1枚だけ。コレは着陸1時間ほど前の朝食バージョンだったと思います。
途中映画鑑賞2本。字幕付きか日本語吹替じゃないとアウトなので選択が限られます💦
最後の1枚はタリン空港を出たところ。人口130万ほどの国なのでこじんまりとした空港でした。




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またまた細かい話(多人数と接している生活から)。

2024-10-04 07:21:48 | 私の雑感あれこれ
私が通っている近所のジムは、娘が小3の時スイミングスクールに通っていたから、30年以上前からある。そして今もそのころからのスイム&フィトネスのメンバーさんたちもいる。みなさん和気あいあい。
休憩時間はなかなかの賑わい。昨日は急遽インストラクターさんの事情でお休みになったプログラムがあったらしく、時間が空いたからと連れ立ってランチに行ってきた、とか。また戻ってきてから彼女たちヨガのプログラム、なんです。
70代前後の女性たちが隙間時間をテキパキと行動に移せるのも、毎日時間の決まった生活のローテーションに慣れているからだと感じた。

水中ウォーキング中の雑談。歩きながらも皆さんお話が尽きないタイプが多い。そんな光景の中話し相手なくウォーキングしている自分って、雑談不得意で声がかからないのかな、と思うこともないではない。ま、些細なことですけど。
で、以前からの知り合いで10歳年上の彼女が声をかけてきた。ジム企画の日帰り旅行に申し込んだという。
年に何回かジム所有のバスでの日帰り旅行の案内ポスターが貼ってある。
彼女曰く、同年輩の人を誘っても「ランチはいいけれど、バス旅行は行きたくない」と言われて、一緒に出掛ける相手が見つからなくなってきたので、ジムの旅行に参加するのは楽しみ、とのこと。
10歳年上(私の10年後)とはそういうものか~、と思った。健康を気遣い活発な行動派だったのに、と。
もう一人のこの企画に申し込んだという人は、ジムが集合場所だから駅まで行かなくてもいいので便利。ラクで知り合いばかりだから楽しい、と。
そっか~。と聞きながら、今日はるばる遠方まで出かける自分のことは話題に出していません。なんで好き好んでそんなところへ、と思われるかも、ですしね。
ひとそれぞれ。
私はジム通いのおかげでひざ痛が改善され、体力も並みぐらいはるだろぅ、と思えるようになりました。

昨夕、整形外科で欲しかったロキソニンテープを出してもらった。ほっ
旅行に行くのに、ひざ痛用のロキソニンテープが以前のものが少ししかなかった。最近はほぼ使っていないから、大丈夫だろうか。でも、シチリア旅でひざ痛に困った人のケースが思い出される。万端整えておくべき、ともう一人の自分が言う。
特に現在痛くはないのに、湿布薬を出してください、という医療のかかり方はいいのだろうか、と自問自答。夫は薬局で買えばいいじゃないか、という。薬局のよりお医者さんで出されるほうが鎮痛効果あるのでそちらにしたい。
迷って、迷って、出発日前日になって、実情を話せばいいのだ、と心を整理して医院に向かった。
「一番痛い時を10とすると、今は2ぐらいです。そんなに痛くはないのですが、旅行に出るので、、、、念のため、、、」と。
なんどもヒアルロン酸注射をしてもらったお医者さんです。「2だったら、ヒアルロン酸の注射の必要もないし、ほぼ治ったようなものですね」と軽く応えてくれて、処方箋を出してもらいました。
「現状そんなに痛くもないのに処方してもらいたい」と迷っていた問題の解決です。ほっ






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細かい話。

2024-10-03 07:50:48 | 私の雑感あれこれ
お化粧品はドラックストアで買っている。
久しぶりに先日行ったとき、Tポイントカードを忘れて、近日中なら後付けでもOKということでした。でも、それは面倒で放置してスルー。昨日はTポイントカードを持参した。(お財布がいっぱいになるので普段は入れていない)
で、ポイントを使いますか、と尋ねられて「ハイ」と言ったら1000ポイント以上たまっていたらしく、出費は4割引程少なくて済んだ。
ポイントカードを死蔵したままだと、日の目を見ないことになるのですね。
家人には、なんとミミッチイことを、と言われそうですが、なんか無駄にならなかったことがうれしいタイプです。ケチかな?苦笑

さて、アパートの隣人の雑草ぼうぼうの件は、連絡してまもなく大家さんがきれいにしてくださいました。
で、アパートの隣人もう一軒があって、以前はそこも雑草繁茂だったのですが、現在の入居者は熱心に菜園をしています。だから雑草の迷惑はありません。でも、我が家のつるバラのためのフェンスに、お隣さん側からつる豆を這わせるように育てているのです。
コレってどういうものか?
我が家のバラの枝が侵入することもあるので、お隣側に出て行った枝は遠慮なく切ってください、とは言っています。
で、我が家のフェンスがあるのをいいことに、自分で支柱を立てないで、つる豆を植えるのはアリなの? ちょっといい感じがしません。日本の方ではないからかしら、とつい思ってしまいます。
早い段階で気が付けばよかったのですが、葉っぱが繁繁と育っているのです。今年はいいけれど、来年は遠慮してください、という言い方があるかしら?何も言わないと、これからも続くと思うのです。一度そのお宅へ、越境で迷惑をかけるかも、と庭のハッサクを持参してあいさつに行ったとき、その1階のお宅の南側のコンクリート部分は所狭しとプランターを並べて、お花ではなく野菜を植えあったのに違和感を覚えたものです。今回、雑草の件の連絡先電話をチャックするために行ったら、そのプランター類はすっかり撤去されていました。コレって、大家さんから「景観上よろしくない」とか忠告があったのかしら、とも思ったりしました。ちょっとわかりません。

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