鐘楼再建賛歌碑
近くに幾つかの寺があります。
中でも,この寺は緑濃く、参道に咲く彼岸花や、除夜の鐘は多くの人でにぎわいます。
東京都葛飾区奥戸八丁目、宝蔵院
1963年11月3日
いわれは「宝蔵院昔話抜書帖」関谷宣雄編にかかれている。
宝暦の頃、国事につ勤むる男女この寺へ逃れしが捕史の襲うところとなりて、
当時の住職と共に討たれしという哀史伝われり。
寺鐘の失われしはその頃のことにして、爾来堂宇荒廃のまま時移り、
世は変わり、今日まで鐘桜建つことなし。
昭和の住職関谷宣雄師、鐘桜再建を発願して、
多歳浄財を得て、昭和三十八年春、和光の鐘桜の建立を見る。
往古迦賦色迦王悪龍の請に依って伽藍を建て、鐘を打ってその瞋心を息むという。
諸々の悪龍の瞋心ここに息むべし、時恰も新中川放水路開鑿に当たり、
宝蔵院はその流れの岸に臨めり。
晨夕の鐘声は水底に没せし農家、耕地のために、
また新しき供養の意味を持つと謂うべし。
井上靖
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