反省する事が山ほど一杯
人生を振り返ってみました。そしてそれから・・・・・・・・・・。
自然界の草木と向き合う
花を咲かせ、実をつけ、虫や鳥や獣たちを呼び、
葉を茂らせ、人間の目を楽しませ、光合成で酸素を作ってくれ、
切り倒されると建材になり、和紙やチップになり、薪になり、炭になる。
燃え尽きると灰になり、最後に肥料になる。
ふだん何気なく見ている木々や草花だが、大したものである。
ここまで「生き尽くせ」と言われると
とても真似はできない、と思う。
自分自身に問うてみた。
少年、青年、中年、壮年、熟年、初老、老年と
区切りは だれもが同じよう年齢期を経て一生を終る。
少年~中年は、いわゆるがむしゃら時代で、
人生の行く末を大きく左右する。
がむしゃら本来の意味は、一つの目的に向かって、後先を考えず
振り向かずに夢中に行動する様です。
しかし、アッチがダメだからこっちへと舵を切る。
今、反省を込めて自分に言い聞かせるならば、
あまりにも寄り道、道草が多い人生であった。
電車は、レールの上をまっしぐらに走り大量の荷物や人間を搬送します。
人間もしかり、
『一つの道を、コツコツと究めた人は尊い』と言われます。
我れ、脱線もし、停車もした。
花を咲かせ、大きな果実を実らせることは出来なかった。
述べた樹木の立派さには到底至らないが、
ここまで「生き尽くし、人生の老年期に到達』できたことに
私を取り巻いてくれた社会の人達、親戚兄弟家族そして最大に尽くしてくれた家内
それぞれの皆さんに感謝の一語で一杯です。
これからの人生
一口で言えば、老年の仕事は、孤独(必ずどちらかが先に逝く)に耐えることだ。
逃げる方法はない。
三っ日三月、三年が経つごとに、心の苦しみは
少しずつ過酷でなくなっていくであろう。
、
妻に先立たれることや
友人に先立たれる場合のことやことの辛苦は、常に事前に、繰り返し繰り返し
予想することが大切であると言われている。
(それが出来る人は、神であり仏であろう)
そうすると、やってきた運命に対して心構えができている。
いよいよ別れるのだ、と嘆くよりも、何十年か楽しく付き
合ってもらって、有り難かった、と感謝すればいいのである。
別れに馴れることは容易なことではない。
人生必ず最終期(死)が待ち構えている。
別れは、心が締めつけられる。今まで歩けた人が歩けなくなり、
今まで見えていた眼が見えなくなり、今まで聞こえていた耳が聞こえなくなっている。
そして若い時と違って、それらの症状は、再び回復するという事は出来ない。
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