かつしかに菖蒲が多いわけ、その歴史。
(浮世絵で纏めてみました)
葛飾区の菖蒲発祥の地は、堀切菖蒲園辺り。
その元を正せば、曳舟川の『小高園』辺りが原点で曳き舟川が大きく係わっているようです。
堀切菖蒲園は、種類も豊富、手入れも良好、見て立派です。
近くの、水元公園に出向きました。
東京で一番広い水郷公園として都民に知られています。
堀切菖蒲園・江戸名所絵図が掲示されていた。
水元公園に掲載されていた、写真展からです。
同じく水元公園の写真展示から。
歌川広重
名所江戸百景「堀切の花菖蒲」
- 江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信、・歌川広重の浮世絵にに登場する。
日本にカメラの伝来は、1840年代、その後研究を重ねカメラの乾板が出来たのが、1870年代(明治3年)ですから、江戸時代は風景や人物を写するの葉、この浮世絵であったことが推測されます。これが唯一の方法であったのでしょう。
・ 戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
- 昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
- 墨田区向島あたりから多くの有芸人が、曳舟川の舟に乗り訪れたのでしょう。当時の曳舟川絵図を見てもその様子がわかります。
曳舟川江戸絵図から抜粋。
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