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帝釈天に通ずる道、立石道 (中川の渡し)  その2

2016年07月06日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

中川を渡るに、4つの渡し? があった。
文政の頃=1820年代

 

[葛飾・柴又の文化と歴史を後世に]の講話を聞いた。
興味を抱いて、帝釈天へ通じる大昔の道を調べた。
 

江戸から帝釈天へ向かうルートは主に、2つあったことは既に述べた。

立石帝釈道を調べていると、いくつもの枝道になり、これが中川に突き当たる。

そして途切れる。そこには現在、橋が架かっている。

そこで考えられのが”渡し”である。


かまくら郷土資料館にて、下肥舟
当時の”渡し舟”はこのようなものだったのであろうか?

下流から①奥戸の渡し(本奥戸橋=奥戸街道)、②奥戸の渡し(スポーツセンターの隣の橋)

③諏訪の渡し「青砥側の福森稲荷神社内の道標~高砂1丁目(昔諏訪町と呼んだ)」

④曲金の渡し(高砂橋)であった。


【葛飾今昔街歩き・葛飾観光課発行、  東京府南葛飾郡全図地図、
HP/帝釈道~帝釈天に産湯を浸かりに行こう(2013,10,20)、
葛飾・柴又地域、文化的景観調査報告書を参照した】

  

昔の渡し跡を調べ、現在の佇まいを見る

①奥戸の渡し(本奥戸橋)


本奥戸橋西詰の角に地蔵尊の石像があります。


本奥戸橋東詰めの景観



②奥戸の渡し(スポーツセンターの隣)


現在の奥戸橋、真っ直ぐ行くと葛飾区役所


葛飾区総合スポーツセンター

 

③諏訪の渡し(青砥~高砂1丁目・以前は諏訪町の名前・・・で)



 福森稲荷神社境内の道標

 


高砂1丁目(旧諏訪町)八幡神社

 

④曲金の渡し(高砂橋)


高砂斜張橋
青戸2丁めから望む

 高砂橋から新中川(s38年完成)と旧諏訪町方面を望む
かすかに高砂諏訪橋が見える

 古地図(金町・高砂・鎌倉・柴又・奥戸)
佐倉道、岩槻街道,帝釈道(立石道・国分道)、
水路では、小岩用水、西井堀、東井堀は明確に分かります。

 

渡しのあった場所を訪ねて

現在の旧中川を見ます右岸左岸にコンクリートのカミソリ堤防が

構築されて、堤防下からは流域をも望むことができない。

当時を推察すれば、簡単に川岸まで降りることができ、そこに渡し舟が置いてあったのであろう。

付近を訪ねて、古老に聞いてみますと

「おじいさんが渡しがあったということを聞いたことがあります…と」言うくらいで

確固たる証言は得られませんでした。

無理もない、200年も前のことです。

 

次回は、”曲金の渡し”から高砂町を通り、帝釈天の参道に至ります。

 

 

 

コメント (14)
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