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陸前浜街道(現・水戸街道)の新宿の宿場町(葛飾)

2016年07月22日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

 古地図から見た昔の新宿宿場町と今の街

甲州街道に新宿(しんじゅく)が有りますが、
葛飾・陸前浜街道(水戸街道)の宿は新宿(にいじゅく)と呼ぶ。

かつしか、いろはカルタ

 

    

江戸時代の新宿(にいじく)は宿場で、浜街道と佐倉の両街道の分岐点。
「枡形」の道の両側に中川屋、藤や、亀屋などの旅籠や茶店が立ち並んでいた。
甲州街道の「内藤新宿」より古い宿場町である

 

 
新宿・渡し・追分碑・地蔵尊付近概略図

                 ☆  成田街道(佐倉道)→市川の渡しを通り成田山へ参拝
     ☆  帝釈道(国分道)→柴又帝釈天へ参拝
は此処からが街道の起点

 

古地図から見た新宿の宿場

 

 

明治38年・南葛飾郡と呼ばれた当時絵図(狩野栄一氏から提供され地図) 
撮影技術が悪く地図の価値が、全くありません。申し訳ない。

 
新宿渡し名所絵図


嘘のようなホントの話

明治30年頃、常磐線の金町駅を設置する話が持ち上がった。
すると大反対する住民が沢山居ました。
反対する住民は、新宿渡しの関係者、宿場町の関係者であったと言う。

この町を人が通らなくなって、街がさびれてしまうと言う
ホントの話です。

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中川橋付近(新宿の渡しが有った場所)の現在の様子


中川橋東詰の様子(上3枚)

 

現在の新宿2丁目(宿場町)付近

「枡形」の道の両側に旅籠や茶店が立ち並んでいた。
街道の裏手には、宝蓮寺、浄心寺があり、
地図の上から見ると、大きな池が有ったことが伺える。

     
真っ直ぐは日枝神社、角から2軒目がお煎餅や                 保育園入り口

  
日枝神社

 


面影を残す金阿弥橋

 

 陸前浜街道(水戸道)と佐倉道の分岐

 

adumaya

正面に「右 なりたちば寺道」「左 水戸街道」とあり、
右側面に「さくらミち」、左側面に「安永六(1777)丁酉年八月吉日 
石橋供養塔」と刻んであります。

約5年の歳月をかけて、この付近に27箇所の石橋を架けたので、その供養のため不動尊と、供養塔を兼ねた道標を建てたのだと言います。葛飾区の指定文化財となっていました。

この付近には、水元からの用水路が流れており橋が無ければ、
行き来することはできない。
27ヶ所の橋はそんな状況から生まれたのであろう。


この場所が、水戸道と佐倉道の分岐点でした。交通量の激しい水戸街道を横切ると、これがと思うほどの狭い佐倉道が、ほぼ南方向へ続きます。  (旧・成田街道を歩くHPから)


残念なことに、ここのお蕎麦屋さんと、石標が取り払われて
空き地になっています。石標は博物館に保管されています)

 

  

地蔵尊付近・陸前浜街道と帝釈道の分岐

 


沢山の石像が有ります。1つ1つのそれぞれ建立の価値が有るのでしょう。
大きな松が有り日影となって、憩いの場所です。


                             帝釈道(国分道)の起点

 

 帝釈道(国分道)の道標を調べに行きましたら、
やはり
「枡形」の道の宿場を見ない訳にはいかなくなりました。

そんなことから、記事の分量が多くなりました。

 

 

コメント (4)
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