昭和を色濃く残す商店街(アーケード)
大きく変貌する立石再開発・文章と画像で残す
可豆思賀 7号
立石、冊子
冊子表題 ・可豆思賀 とは
「万葉集」に山辺赤人が真間の手児奈のことを詠んだ歌に見られる「かつしか」の表記から名づけられました。
(過勝鹿真間娘女墓時」から始まる歌には、「井短歌 東俗語云可豆思賀能麻乃互胡」と注が付けられています。この(注)によりますと「かつしか」というのはどうやら都人の呼びかたで、
東国「かづしか」と呼んでいたことが記されています。
◎ 京成高架・変わり行く風景
今まで見慣れた風景が大きく変貌する。京成電車・四つ木~青砥間の立体交差事業(2,2km)が本格化してきた。
踏切11ヶ所も消え電車が高架化される。
本班は、京成立石駅を西の端から東迄平面撮影し、駅にあり外観的に見えるものは大パノラマ化して映像に残し、
その多方向から撮影して保存に努めた。
立石駅は、大正12年に開業、1日の乗降客はおよそ4千人、京成全駅69駅の10位を占めています。
↑ バス大通りから商店街を撮る ↑ 踏み切り、標識などの配置場所を期した一覧表
↑ 京成立石駅を大パノラマ化した。
京成立石駅
◎ かって立石に縁日があった
バナナのたたき売り、金魚すくい、綿アメ等が裸電球の下で夜店に並びました。
昭和30年代~40年代には戦後の復興期・高度経済成長期には立石縁日も大盛況でした。
しかし世の中の推移発展、特に自動車の発達には目を見張るものがあり交通の妨害やら様々な影響で、
子供たちの楽しみであった縁日も昭和60年ころにはその幕を閉じた。
↑ 左ページ 縁日が出店した地域 ↑ 右ページ 喜多向き観音と縁日(発祥)
↑ 喜多向観音が縁日発祥処と言われます。
◎ 葛飾区役所の変遷
葛飾区は昭和7年に誕生して以来、区役所は一時的避難を除き、3回移転して現在の立石に所在します。
また立石再開発に伴い区役所も立石北口が最終候補地になりました。
この変遷を紐解いたのが区役所移転物語です。葛飾区は昭和7年当時葛飾区域が属した南かつしか群など
周縁の6郡20区分して、東京市に加わることとした。
初期の葛飾区庁舎
↑ 庁舎の移り変わりとその時の物語
現在の葛飾区役所
立石商店街(アーケード街)はシャッター街として、その商店力の機能を全く発揮していない。
これらの要因には数々のことが考えられますが、そのことはさておき今般見てきた考点からは1日も早い再開発が望まれます。
立石駅前周辺再開発という大きなポロジェクトは、京成線の高架が完成しその上にビルが出来る(駅ビル形式)
ことから高架事業の完成が待たれます。
何か感想を頂ければ幸甚です
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