明日への言葉
妻の遺品に愛を込め「感謝離」 河崎啓一
雑誌を読み進めているうちに、
心臓にぐさりと突き刺さる記事に出会いました。
ラジオ深夜便4月号
雑誌ラジオ深夜便、62Pより転写UPした。
朝日新聞購読者はご、存知と思いますが・・・
「感謝離」ずっと夫婦・ エッセイ全文
妻が3月に亡くなった。世帯をもって62年、かけがえのないパートナーであった。
ともに暮らした老人ホームの収納棚に残された衣服の整理を始めた。つらいな。
「断捨離」という言葉が世に喧伝(けんでん)されてからずいぶん日がたつが、いまだに衰えを知らない。
なんのかんのと言っても、そう簡単に捨てられないからであろう。
寂しさを吹っ切らねばなるまい。妻の肌を守り、身を飾った衣装たちに「ありがとう」と、
一つ一つ頭を下げながら袋に移していった。「感謝離」という表現が頭をよぎった。うん、こいつはいい。
それにしても、よく着たもんだ。すっかり貫禄がついて古びている。ほら、このパジャマなんか襟が
すり切れているじゃないか。捨てるのは切ないが、私が天国に行ったら一緒に
新しいのを買いに行こう。新陳代謝だ。ああ、これは「代謝離」だ。
気持ちが晴れた。棚から袋へ運ぶ手の動きがリズミカルになった。
62年のパートナーだった、と考えたのは誤りだった。2人の間に終止符は存在しない。
これからもずっと夫婦だ。どこまでも。いずれ会える日が来る。
会えば、まず出かけよう、ショッピングに。
(2019年5月19日、朝日しんぶん投稿欄「男のひととき」
(神奈川県鎌倉市 河崎啓一 無職 89歳)
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