「老輩」・重ねた歳を受け入れる
自分は『歳=老人」です。ハイ~左様でございますと、素直に迎え入れるのに時間を要した。
歳を取ると言うことは、肉体全体が衰えて、醜くなるのだから致し方ない。
自分自身を素直に理解し、納得し、ハイ私は「老人でございます」と
自身へ”老人の楔”を打ち込むにはチョイト時間を要した。
何故だろう・・!?自分を年老いた人間と自分に言い聞かせるのには、
若きときが在りバリバリとモリモリという時代がありこれを
”いつまでも保ちたいという欲望にかられる”のは人間の常だからです。
仕事を辞め、社会から離れ、非生産人間になる、
つまり「お年寄りの仲間入り」と言うことには~時間を要した。
自分をチョイト振り返ってみることにします。
63歳で仕事を退職した。その後自宅で家庭菜園をしたり、趣味(山登り・俳句等)
に明け暮れていた。・・・が・・・しかし、何となく惰性・ぬるま湯・社会のお荷物・・・・・
人間らしさの張り、生き甲斐を感じることが出来なかった。
そんな時、家内から新聞の折り込みの「葛飾区シルバーにて人材募集」
なるパンフレット示された。
考えた末、ここにお世話になることとなり、15年の勤務を終え、
80歳を境目に『仕事人生を卒業!!』区切りをつけた。
そこから1年後に大腸ガンを発症し切除し健康を取り戻し、現在に至っている。
鏡に向かい自分の顔を見つめた時、「老人でございます」と、本心で言えるようになったのは、
肉体的精神的に衰えと大病での健康の有難さ、人が変わりなく
日常生活ができる幸せ、健康こそが人の幸せであると考えるようになった。
生きている限りマイナスやプラスの面が降りかかることは皆同じ、
人生100年時代と言われますが、残された時間的な余裕があるわけではない。
そう考えると人生は考え方一つで変わるものかもしれない、
人生はなるようにしかならないと腹を据えて自分が与えられた条件の中で
精一杯生きることに大きな意味があるように思えてきた。
人生峠
やれやれと・・・
登り詰めたる
人生峠
いま下り坂 ゆったりと
そろり~そろりと~
歩んでいこう
一歩一歩!