※ 只今新年の俳句を発句中。
併せて季語検証中(その1をお読みください)
門松(かどまつ)
松飾、飾松、竹飾、飾竹、門飾、門の松、門の竹、立松、飾木門木、俵松、長押松
⇧ 極めて簡単な松飾り
① 歳神様を迎える
正月、家の門口に立てる松飾りのこと。
竹や梅などを添えて一対をなす手の込んだものもあれば、門柱に松ひと枝を添えた簡単なものもある。
正月には、歳神を迎え依代として、家々の門の前や玄関先に対として飾られる。神棚だけでなく家の内外の神前や、庭・井戸などの飾られる地方が有ります。秩父地方は、氏神、山の柿、井戸神、竈神・・等。
② 門松の謂われ
門松の謂れについては、いろいろ有ります。家々の穢れを隠すために立てるもの、”巨旦将”の来殺した時に立てた墓標だとか、家の裏の門前に鉾らを立てたのが変化したものその他多くの伝聞が有ります。
またこれらとは別に、民間信仰から見れば最もに納得することでしょう。神に常緑樹の枝を供えたり、木の梢を神の宿る所にしたことは、古来からの考えで、門松も歳神を迎える処とするものです。
門松の形式は、その地方によって異なりますが、門松に竹を添えるようになったのは鎌倉時代とか言われています。
③秩父地方の門松について
門松を立てるのは先ず、お迎え松から始まります。12月20日前後の良き日を選び、松の枝を取って来ます。当日山に入るのには朝アンコ餅を食べて入る。この時分はちょうど餅つきが始まるので燃料とする、セチギや、祭神の棚や門松の杭にする木も一緒に採ってきます。
注連縄や縄をなうのは、良い日を選んで夜なべ(夜業)に行う。松飾りは、大晦日や前日は飾りとして嫌われる。また29日は、クマツ(苦を待つ)と言って嫌われ28日か30日飾り付けを終わります。
大みそかには祭神が門松に下りて来きて宿り、除夜の鐘とともに家に入ってくると言いう。家長は、夕餉のそばやウドンを杭の頭に備え、神酒を振って祭神を迎え入れるのです。
④部落の神社&部落の境界入り口に大きな門松を立てる
部落の神社前の門松。
およそ3mほどの門松を神社並びに、部落の入り口に立てる。。部落は谷に沿って形成さていま末蕗等の(2~3ケ所)に立てます。部落に邪気が入らないような謂れであろう。
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みかんが美味しそうですね。
大きなみかんで夏みかんの様です。。。(笑)
昔と変わって、どこもインフラ工事が進んでいて、どこも舗装された綺麗な道です。
昔ながらの路地は減ってきていますね。
老朽化してきているところは心配もありますが、住みやすい街になってきています。
▲ おお寒い雪模様かな外覗く
ベランダの鉢そっと手を寄せ (縄)
丹精してきた鉢物、お風呂にでも入れて温まる・・・・
とは相成るまし。
出来るだけ日向の処へ・・・・・・。
ちらちらと雪も時々・・・
年末なんですね~ 所によって違う門松
どういうものか分かると 見るのも楽しくなりますね、
ベランダの鉢物が心配です。。。
正月の季語を調べていたら、懐かしき伝統行事の結びつく、
実際に手で触り、見て、試したことがらと結びつき私の頭から離れなくなってしまった。
ほんの頭の片隅をよぎるだけの季語でも、チョイト筆先で論じてみよう。
むかし体験し、手でさはった季語は愛おしい…。
初日、注連縄、鏡餅、屠蘇、像に、初嫁・・・・・など、少年時代に結び付く言葉、行事などなど沢山ありました。
・・・・・・が、しかしこれらの行事は今も続いているかと言えば疑問です。
時代の移り変わり、TV、電信・電話の発達、交通機関の発達であの懐かしいそれぞれの行事、少年時代髣髴としてきたことが、日本列島同じ色になりつつあります。
複雑から➡単純、同一。
昔の正月行事が懐かしく思い出深いと言う一面は拭い去ることは出来ません。
仰るように印刷された正月「謹賀新年」印刷紙が配布されるご時世です。
良いか悪いかはそっと置いといて、昭和を潜ってきた人間はどこかにその原点が身体に纏わりついていることは確かです。
▲ 松立てて空ほのぼのと明るい門 (夏目漱石)
処が変われば品代わる、品が変われば中味もネ、中味は何かと聞いたなら?
これが地方独特の文化、行事、方言、しきたり、伝統でありましょう。
この正月と言う行事は、やはり内容も濃い、それに地域によって色濃く内容が違っているようです。
わが故郷・秩父については本文の通りです,いろ色述べました。
▲ 正月や地方によってこれ程も
みんな違ってそれでいい文化 (縄)
仰るように、今はこれらの行事が田舎地方で続いているやらわかりませんが、
少年時代はこれらの準備が12月から始まった。
山入りも、お正月の準備をしますからと言って「山の神様」に手を合わせてから山入りをした。
松、くい打ちの木、榊などっ決められた樹木を取って肩に担いで山を下りました。
従って正月と言う行事は沢山あり、今でもこれらが頭をよぎります。
▲ 山入や小さな祠手を合わせ (縄)
ドンコさんの地方にもどんど焼きが今でも続いていますか。
季語調べをしていましたら、どんど焼きは地方によって「左義長」と言うところがあり色々ですね!!
▲ 左義長へ行く子行き交う藁の音 (中村)
🎵
もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月
🎵
門松立って角ごとに
祝う今日こそ楽しけれ・・・。
頭に浮かんだ歌を即興で並べて見ました。
誰でも、どなたでもそうですが子供の時は特に歌にあるように待ちどうしいものです。
従って、正月の思い出は各地方によって方式が異なるようですが、実に多彩で、日本列島の正月として準備が12月から始まります。
、
12月に入り、寒くなり此のところ行き情報が北の方角からやたらとやってきます。
今年の漢字「戦」ソ連のウクライナ侵攻こんなに長引く戦争とは思っていませんでした。
早く「平和」の2文字の来る日を・・・・。
門松は仰るように部落の入り口と末路の方に2~3か所大々的に、部落総出で立てます。
これを14日に外して田圃や河原で「どんど焼き」を致します。この時は子供たち総出で小滝上げをし餅を焼いたりして楽しみました。
最後に燃え残りの二又の部分を消化し自宅に持ち帰り、玄関に飾り、「災難除け」として入り口に飾ります。
今までは暖かでしたが、12月に入り寒くなりました。
此処に来て冬らしき、やっぱり時期が来ますと季節はそれなりに衣装が違ってきます。
此のところ天気用予報が日本列島を見ますと日本海側は白く、雪の予報で白く成りました。
ハイ我が家も町会から配布される「賀正」「謹賀新年」等の配布用紙です。
しかし裏のアパートも有りますので、
松と、輪飾り2対を奥戸園にて買い求め、玄関と、裏で入り口に飾ります。
1夜飾り、苦の付く日は嫌いますので、20日過ぎたら奥戸園に足を運ぼうかと思います。
▲ 門松や松と用紙のドッキング (縄)
たくさんありますね。
お正月という感じになりますね。
個人的な家だと玄関につけるものが多いと感じます。
今年もあと2週間ですね。
新年の季語・富士山・門松・・・と、ここのところ新年を迎えるのにふさわしい記事が続いていますね。
こちらに伺って、お陰様で、だんだんその気持ちが高まって来ました。
小生の住む街では先日門松を印刷したものが左右一対各戸に配布されてきました。
寒さも強まり、いよいよ今年もラストスパートに入りましたね。
たいへんお寒うございます。
なにかと気ぜわしいこの時期で、
門松の話題になって来ましたから、
そろそろ今年もという処まで来ました。
いつもありがとうございます。
きょうも元気にまいりましょう・・。
嫁ぐ前までは「 部落の神社前の門松」↑のように自分の山からとってきた松を飾っておりましたが、現在は?です。
毎朝、松にご飯などを供えておりました。
出来たら今でも飾りたい!と懐かしく思いだしました。
私もひと頃は手製の門松を立てていましたが
もうその気力もなくなってしまいました。
市販のしめ縄などをささやかに飾るだけです。
こちらも14日のどんど焼きで正月飾りを燃やす風習があります。
一対の若松、こんな飾り方もですね。ウラジロやユズリハ、この様式には出会ったことがありません。
焚火は禁止ですので、近くの小学校で<とんど1月○日>と回覧が回ります。
しめ飾りは、関東と関西だけでなく、それ以外の地方でも特徴があるでしょう。
1年が経つのが早いですね~・・・
新年を迎える準備をしなくてはいけませんね!
子どもの頃は祖父が山へいって男松と女松を切って来ていました。
藁をそぐってお飾りを造り、ウラジロを2枚、柏の葉っぱをつけ松に飾り付けていました。20年ぐらい前までは叔父がお飾りをつくって持って来てくれていました。
今ではお店で岡山飾りを買い求めますが、お店にお飾りがでると、祖父や養父や叔父たちの正月準備を思い出します。
29日にはお餅をついてもお飾りをつけてもいけない・・・それまでに・・・この事だけは頭に残っています!
寒い朝を迎えています。
今日は朝のウオーキングを日中に変更します。
もう早いもので、師走も半ば過ぎにかかり、クリスマスそしてお正月がもうすぐそこに来ています。
我が家の門松は、町会から頂く印刷されたものを
毎年玄関に貼っています。
新年を迎える準備ですね。
来年も健康でそして平和でありますようにと願います。