NHKラジオ深夜便から流れた卒業ソング
それは当時の思い出にグイグイ引き寄せられた「旅たちの丘」へと
=深夜便は1対1のような感覚に囚われる=
『 旅立ちの日に 』 お聴き下さい。
夜中の3時過ぎトイレに起きイヤホーンを耳に当てると懐かしい
卒業式ソングの数々が、耳元を撫ぜた。
仰げば尊しなど10曲を数え、最後に『旅立ち」(秩父市影森中学校、校長作詞、音楽先生作曲)
の歌が流れ、小・中学校時代にグイグイと引き込まれた。
局が終わったときに歌がここまでに唄われた理由、エピソードなどについて
アナウンサーが説明した。
この『旅たちの歌』について、学校が荒れていた時代に担任の先生が、
何とかしたい、そんな考えから生まれたうたです。
今では全国的に歌われていると言う。
秩父市立影森中学校の校長だった小嶋は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい!」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置かれていた。その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。
その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われた。この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。元々はこの1度きりのため作られたはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
作詞者の小嶋は2011年1月20日に80歳で死去したが、同年11月14日に『旅立ちの日に』が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者の坂本と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秩父ミューズパークから眺めた秩父市内と武甲山(右手三角の山)。
此処には吾高校の母校があり毎日学窓から武甲山を眺め、11時になると武甲山に
発破を掛けるサイレンが鳴り渡り、間もなく爆薬に火が放たれて、煙が上がり岩石が崩れ落ちた。
これが石灰岩・セメントの原料となり、秩父発展の礎を作った。
「旅たちの丘記念デッキ」
このモニュメントは、展望デッキとなっていて、メロディーが流れる。
通路を進み、先端のステージでは、誕生の舞台となった影森中学校の
生徒によるコーラスが流れます。
弓矢をイメージした鐘‥‥武甲山頂に向かって矢を放っモニメント。
秩父神社の女神と武甲山の男神は、一年の歳月を互いに想い続け、
秩父夜祭の晩だけ出会えるという伝説がある。
ふたりの神が想いあうように、大切な人への真直ぐな想いを矢に託す。
武甲山と羊山の芝さくら
「旅たちの日」を作曲した当時の思い出、インタビュー記事です。
(作曲者・坂本浩美)
コメ欄はopenです。
「旅立ちの日に」の記事をブログに書いたのは2009年3月、もう11年前です。
この歌がいつまでも中学生の卒業ソングとして歌い続けてほしい。
・旅立ちの日 秩父の山なみ 緑萌え
2009年3月23日のブログです。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/520c41e788a93afb7237535257bb03d3
素敵な歌詞に感動しました事が思い出されます。
大変なコロナ禍に来賓、在校生の出席無く職員、卒業生、父母の出席の中に加えて頂き
ようやく恵まれましたただ一人の孫の成長に拍手を送りました1年前が蘇りました。
羊山の芝さくらは、毎年ブログで拝見します。素晴らしい眺めです。「
羊山の芝さくら、初めて知りました。いつか行ってみたいな。
≫≫ブログに書いたのは2009年3月、もう11年前です。
早いですね!!11年前・・・・。
わが家の長男の中学校時代に、荒れていて、教室でガンガン鳴らす「ラジカセ事件」があったと記憶しています。この歌が出来た30年いやもっと早い時期のラジカセ事件でした。
歌を聴いていますと仰るように秩父連山、山並みが浮かんできます。
秩父盆地からグルリ眺めるとすり鉢状の山並み、武甲山を母はなる山(最近は石灰岩採取で無残な姿)
西を眺めれば、男性的なゴツゴツシタ両神山です。
今も歌われていますが11年前となれば盛んに歌い継がれた時期であったでありましょう。
有難うございました。
比企野さんのブログを拝見していますと、教えられること沢山、又秩父の事にも違った面から観察し、物語的に仕上げ・・・・・・・・学ぶこと多かれです。
今後とも宜しくお願いします。
、
「旅立ちの日に」が歌われること、秩父発祥なので力強く思います。
NHKラジオ深夜便を聴いていますと、深夜の物音しない暗闇で聴いていますから、1対1で語りかけるような状態ですのでフアンです。
山並みをバックにした歌です・・・ね。
秩父は山中で山の中です。
、
すっかり子供たちは大きくなり孫子の代で高校生が二人います。あと3人は社会人となり「旅たちの日」の歌を聴く機会も少なくなりました。
歌は世に連れ余は歌につれと言いますが、良い歌は歌い継がれるのですね。
、
私が田舎の中学校を巣立った時は、「秩父音頭」の歌と踊りでした。
社会人になって歌の一つも踊れないのは恥です・・・・、そこで「秩父音頭」の歌唱指導と、踊りを先生から教えて貰い卒業しました。
、
どちらもこの時季 コカリナで演奏してました。
私たちの世代 小学校の時から 蛍の光でした。
それもいいけど 新しいのもいいですね。
武甲山 見たことはないけれど 縄文人さんの故郷ということで
ウフフ 懐かしさを感じますよ。
あらかじめ録音していたを流したり
保護者や在校生の出席を制限したり取りやめたりと
卒業生にとっては淋しい限りですね。
昔は蛍の光、仰げば尊しが定番でしたが
時代の流れでしょうね。いい歌が生まれていますよね。