矢切りの怪談=物語
むかし、ある男が、矢切りの当たりの江戸川で、毎晩投げ網で魚をとっては、街に売りに行き、暮らしていました。
ある晩、いつものように、川に舟を浮かべて、網を投げ続けていましたが、どういうわけか、この日に限って、雑魚一匹も掛りません。
そうこうしっているうちに、日はとっぷりと暮れてしまい、気が付いた時は一寸先も見えないほど暗くなっていました。
そのうえなまぐさい風がふきはじめ、きゅうにぞくぞくと寒気がして来て、着物も水に浸かったようにずっしりと重くなりました。何とも言えない不気味な気配に包まれました。
そして人のうめき声に交じって、泣き叫ぶような声が聞こえてきました。
男は恐ろしさに、全身に冷汗が走り、体中の力が奪われて、舟の上にへたり込んでしまいました。
しばらくして男は気を取り直し、無我夢中で岸にたどり着き、這うようにして我が家にたどり着くなり、そこで気を失ってしまいました
おかみさんは、物音に驚いて、起きだしてみると、真っ青な顔で、目のうつろな顔色で、息のたえだえの夫を見つけました。
慌てて抱き起こし、酒を飲ませて火をたいて身体を温めてやると、夫もやっと気が付きました。
そしてふるえる手で、
「ここ・・・・・・・・、ここ・・・・・・・・・・。」
と胸のあたりを指さしました。
おかみさんが覗いてみると、大きな蛇が、胸にぐるぐると巻き付いているでは有りませんか。かま首をもたげて、いまにも飛びかかろうとしているのでした。
おどろいたおかみさんは、急いで奉書紙に”おはぐろ”をたっぷりしみこませて、蛇の首をしっかりとつかまえて引っ張ると、蛇はばらばらと四方に飛び散ってしまいました。
←江戸川
戦国時代、矢切りのあたりは、里見氏の家臣でや、お姫様、それにお付きの人達が、敵の目を逃れて、逃げてきた所だったのです。
道に迷い、一夜を泣き明かし、朝になるのを待って、固くに手をつないで、江戸川に次々と飛び込んで死んでいったのです。
この人達の怨念が、蛇となって矢切りの川を荒らすものに取りつき、この場所を守ろうとしたのではないでしょうか・・・・・・・・・・。
←里見公園の泣き石
この石には古戦場にまつわる悲しい伝説があります。
石棺の中の人である里見広次さんは、1564年の合戦で戦死しました。この時、十二、三歳になる広次の娘が亡き父を慕ってこの地にやってきましたが、合戦場の悲惨な有り様にショックを受けて、この石にもたれて泣き続けるうちに死んでしまったというんです。
http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/88e4b2a3faceb0ef6af0cdc15130c3fd
物語 終り
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
注1、”おはぐろ”とは、むかし結婚すると女の人が歯にぬったもの。
注2、地名については、戦国時代に起きた国府台合戦、里見方が矢が切れ負けたことから「やきれ」→「やきり」→「やぎり」となった説があるほか、矢の飛び交うことことを嫌い、矢を切る。(矢はもういらない)という説もある。
おことわり
物語の現場は、よくわかりません。
縄文人は、荒川の源流から都へ、筏で?下った来た者です。
しかし、ここ柴又周辺に住み続けて50年、足を運んで伝説や物語を画像でつなぎ合わせてみました。昔ばなしが、現実の風景とがマッチするように心がけました。
そうなんですブームと言う流行(?)のしゃは、そんなに長くは続かないのでしょう。
寅さんも草葉の陰。
歌謡曲、流行歌とて長くは続きません。
地元商店会、葛飾区では、振興策を探しています。
ヒキノさんは歩きの名手、小さいこと、奥に隠れているものまで探り出して映像、ブログにしますから、柴又のこともよく観察されています。
ブログにその土地の話しを残す。数十年後に貴重な記録(アーカイブ)になります。
テレビで柴又の衰退と振興策の映像が流れていました。ブームは一刻、何気なく地味に栄えていってほしいですね。
浅草界隈・・・東南アジア系観光客で一杯です。柴又も浅草に似た街です。
柴又の雰囲気・・・好きです。好きな人が訪れる。そんな街であってほしい。
民話のふるさとを訪ね、
老人・後期高齢者を楽しんで居ます。
民話が多いですね。
今我が地域では歴史マップを作るために公民館が
頑張っています。
私は民話を皆で探そうと提案しています。
10月9日全国砂留シンポジウムを開きますがその時
ゴントハチの民話をDVDで作り来訪者500人に無償提供
を考えています。
そうなんです、地名を解明しようと検索すれば、そこには必ず、謎解きのヒントが。
故郷に日向と日蔭と言う地名が。
そこには地を這うような、涙ぐましい物語。
日陰のは、太陽が日向と違い3分の1しか当たらない。したがって日向の3倍働かないと追いつかない・・・・・・・・・・・。
作物は出来ない、涙ぐましい努力。
ちょいとチョイト、どんこさん↑のところで綴りましたが、
昔話とて言い伝え、伝承、これを現実に見たり、確認したり、体験した人はいない。
枝葉をつけて、一層物語が深みを増せば物語にとってはラッキー、良いこととて、そんな志向にしました。
仕事から帰り、まずパソコンを広げ、どんなコメが入っているだろうか。
そして風呂に入り、夕餉の膳を囲みながら一杯、いや3倍の晩酌をしながら頭を巡らします。
そうなんです、どんこさんの意中の意、全くその通り。
2~3日前に原文を読み、現場がどこ、物語の真中は!?知らぬ存ぜぬ。
私の知る限りの想像力を発揮し、現場とつかず離れず、原文と物語を壊さぬように、そこに創造力を十二文に巡らせて、
縄文人の”矢切りの怪談”
パート2といった、あんばいでしょうか・・・・・・・。
昔ばなしとて、想像の世界。
縄文人パート2に、ご寛大のご処置を。
ハイハイ歌の文句ではありませんが、
♪連れて逃げてよ…・
矢切の渡しです。
ちょいとチョイト原文の、「矢切りの怪談」を
ちょいとひねったように、里見公園の、”夜泣き石”にむすびつけてえだはをひろげました。
昔ばなしですから、その原文だけでは、心もとないそんな感じで想像力を膨らませました。
”国府と言う地名”はあちこちにあったのでしょう。
私も転勤族、多摩府中に住み、3億円事件が発生したところ国分寺と言う所でした。
相当むかしの話ですが、仕事から帰ると警察の人が来て調べていきましたと、家内に聞きました。仕事の寮だったのでその寮の人全員が調べられたと、後から聞きました。
懐かしいような、思い出に残る3億円事件でした。
地名を紐解くとその背景には必ず何かがありますね。
「矢切り」なるほどと拝見いたしました。
それにしても縄文人さんの努力には頭が下がります。
おんんこさんの仰るとおり、現代の語り部・縄文人さんの想像力に拍手を送ります。
今回も楽しく読ませていただきました。
事実を元にして作家はもちろん、
伝承する人々がいろいろと想像やフィクションを加えて
膨らませているうちにどんどん面白く
魅力的になっていくのでしょうね。
語り部・縄文人さんの想像力、創造力も大したものです。
まずは・・・大丈夫でしたか? お見舞い申し上げます。
矢切の・・・・
私は つれてーにげてよ~ で知った程度でしたが
こんなおどろおどろしい物語が残ってるんですね。
こんな怖い昔話を読むとき 何故か母の声色で聞こえます。
地名の由来 検索しましたよ。
東京オリンピック 4年後 縄文人さんは地元だからまだまだ行けますね。
花のお江戸でも地盤が緩んでいるかもしれません
ご注意くださいね。
それにしてもよく調べられて歩かれて・・・素晴らしいです。興味深く読ませていただきました。
私の実家は以前「国府村」といいました。
小字は大塚といって大小多くの古墳があります。
そこで遊んでいた頃、何か背中が冷たくなるような感じを受けたような気がします
リオのオリンピックも終わりました。
是非見たいと思いますが・・・縄文人さん前回も見に行かれていたのですね~DB、私もちゃっかりコメントしていました。
嫌でも年齢を感じます
最近高齢の極みに達して、山歩きはやめました。
また会も解散しました。
そんなこととて、ネタキレの時があります、その時は「葛飾むかし話」を引っ張り出して、材料にします。
そうなんですね、地名はその背景には必ずなりかがありますね。
私も手元に、葛飾地名辞典なる冊子がありますが、
読み解くと面白い話がたくさんあります。
お早うございます。
最近日本列島に押し寄せる台風がおかしい。
いつも九州からでしたが、直に関東地方めがけて突進し、東北、北海道へ。
こう天気図が変わると、北海道でマンゴウが取れるかも(笑い)ハハハハハ・・・・。
4年後の東京オリンピック、ハイ行きたいものです。
我、生きているかな????
そういえば、前回の東京オリンピック、国立競技場の周辺をうろうろしていました。
係りの者が撮影したものです。
http://www.digibook.net/d/4f14ad57801b2c61e98730f5675c920f/
地名についての話はいろいろ謂れがあるんですね。
地名の由来を知っているのと知らないのとではその場所の
面白さが違います。面白い昔話ありがとうございます。
孫たちにも話して聞かせたいです。
大荒れの一日でしたが、今は外は静かで夜がふけようとしています。
今回の葛飾むかし話も、渾身の内容で本当にお見事。
楽しく読ませていただきました。
勉強熱心さを、少しでも見習いたいものです。
ところで、オリンピックも終わり、何か気が抜けてしまったのは、私だけでしょうか。
四年後は、必ず観戦に行きます。