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2017年、ニューヨークタイムズ紙に掲載された映画製作者ハーヴェィ・ワインスタインによるセクハラ・性的暴行事件を告発した記事。映画は報道記者2人ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーが被害者へインタビューを行い、どのように事件と向き合っていったのかが描かれる。
ハーヴェィ・ワインスタインは「相手の意に反する性的な言動、その対応により仕事上で一定の不利益を与え、就業環境を悪化させる」というセクハラの定義そのもののような行動で、自らの地位と優位性を利用して、夢を抱き映画製作の現場に足を踏み入れた若者の夢を砕く。
更に彼は自分の資金力と地位を利用し、被害女性との間に口封じの為の「秘密保持契約」を締結する。謝罪の意などなく、何か声をあげようとすれば更に彼女たちが傷つくような示談書を百戦錬磨の弁護士達に依頼して自分の身の安全を完璧に作り上げるのだ。
加害者であるはずのワインスタインを守る「秘密保持契約」の存在が、被害者の彼女たちに消えない苦痛を残し、ワインスタインの性的暴行事件や隠ぺい工作を告発しようとする報道記者2人の前に立ちはだかる。
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映画の序盤、証言をした事で自分の身に不利益が及ぶ事を恐れた女性が「新聞社は私を法的に守ってくれるのか?」と記者に尋ね、「新聞社は法的なバックアップは出来ない」と聞くと、女性は証言をあきらめる場面がある。公正な立場で報道しなければならないという事なのだろうが、逆にこのやり取りにハッとさせられる。法のシステムの元で、被害者、加害者ともに平等に守られているのだろうかと考えさせられる。
映画は、必要以上に被害者女性の体験をセンセーショナルに描く事なく、スクープ記事を書き上げる記者2人の行動を追う。要所要所で彼女たちをリードし二人を守る上長達の存在が心強い。記者2人のメンターであっただろう上長の一人を貫禄たっぷりに演じるパトリシア・クラークソンが印象的だ。