日本は和の精神が、社会の安寧なり公序良俗、秩序を維持するために、非常に重要な役割をはたしていて、実際の生活でも、この慮りなり、他に配慮する思いやりの心が働いている。
これが、所謂、高いコンテクスト文化、すなわち、人間関係や社会習慣など、言語メッセージ以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーション社会を形成し、詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、「察しの文化」を生み出す基となっている。
良いか悪いかは別として、このあたりが、西欧や近縁の中華文明とも違うとして、ハンチントンが、日本文明を独立の7文明の一つとして考えたのかも知れない。
これとは、逆に、西欧では、恐らく、『旧約聖書・エジプト記・21章』にある「目には目を、歯には歯を・・・Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.」の精神に色濃く影響されている所為であろうか、和で、物事を解決しようと言うよりも、理詰めで物事を処理しようと言う傾向が強い様に思う。
日本のように、沈黙は金などと言う世界ではなく、むしろ、攻撃は最大の防御なりと言う世界である。
私は、イギリスの5年を含めてトータル14年、欧米文化圏で生活してきているので、この文化の落差を痛い程経験しており、元々、その傾向もあったのであろうが、物事をストレートに表現し過ぎて、割を食って生きているような気がしている。
それは、ともかく、欧米では、譲ると言うよりも、まず、どちらが優先権があるのかどうかと言うのが、秩序を維持する基本となっているような気がする。
その良い例は、交通規則で、私のバカな経験なのだが、オランダのハーグで、渋滞状態に嵌まり込んで、どうしても急がなければならなかったので、後ろを良く見て、車線を変えて隣の車線に入ったのだが、後ろから高速力で走ってきた車に当たられてしまった。
日本だったら、当然、私の車が車線変更しかかっているのが分かっており、徐行するのが当然だと思うのだが、オランダでは、いかなる理由があっても、高速車線がオールマイティの優先権を持っていて、前方不注意などなくて、低速車線から高速車線に車線を変えて事故を起こされた方が悪いのである。
ハイウエイでも、高速車線から低速車線に入る車は、確か、優先権があるので、車線変更の方向指示さえ出さなくても良い筈であった。
イギリスは、一寸違うが、しかし、いずれの時も、ここでは、後から追突する車が、悪いのである。
この優先権の凄さは、メイン道路の車が優先ではなく、結構、オランダには、細い田舎道の側道が横から出ていて、この側道からの進入が優先のケースが多くて、飛び出しが多いので、おちおち、メイン道路だからと安心して運転できないのである。
もう一つ、日本と違って、ヨーロッパでは、四つ角の交差点よりも、ラウンドアバウト、交差点が円形状の回る方式の道路が多くて、ここへの侵入の優先権もややこしいのである。
私は、オランダとイギリスを行き来して仕事をしていたので、結構、車を使っていたのだが、勿論、イギリスと大陸では、運転席の位置が右左違っている。
どっちがどっちだったか忘れてしまったが、一方の国は、ラウンドアバウトに進入する車が優先で、もう一方の国は、出る方が優先であり、これも、注意が必要であった。
偶にしか運転しないパリで、当時は信号のなかった凱旋門のラウンドアバウトに進入したことが2回ほどあるが、10列ほど円弧状に車が回っていて、入るのも出るのも地獄の恐怖、良く事故を起こさなかったものだと思っている。
あの頃の、日本の企業戦士は、怖いものなしで世界を駆けまわっていた。
確か、EU統一の交通ルールがなかった筈だが、私も若かったのか、その違いを良くわきまえずに、下手な運転で、運転席の位置の違う車に乗って、無謀にも、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、デンマークと、家族やお客さんを乗せて走ったものだと、今になって、冷や汗をかいている。
尤も、車だけはと思って、ベンツや、装甲車のような大型のボルボやアウディなど、当たられても被害の少なそうな車には乗っていた。
ところで、私が言いたかったのは、この欧米、時には、中国など外国の国の文化文明が、日本と大きく違っているので、外交でも貿易でも、上手く処するためには、勿論、平和国家としての姿勢は最も重要だが、この優先権を出来るだけ多く獲得して、押し出し強く攻撃型の姿勢を取らないとダメだと言うことである。
国連など、最高度の拠出金を出しながら、最早、戦後半世紀以上も経っているのに、安保理の常任理事国とは言え、国力さえ、あるいは、民度さえ劣る国の黄塵を拝して、安穏としているようでは、あまりにも悲し過ぎると言うことである。
色々問題はあろうが、安倍政権になってから、大分、対外姿勢は前向きになって来たとは思うが、それでも、昨今の日本の外交や国防などを観ていると、イライラすることが多すぎる。
今に始まったことではないが、あまりにも、日本の存在感が薄くて弱すぎると言うことである。
あの親米で通してきたサウジ・アラビアが、オバマのシリア攻撃に対する優柔不断に業を煮やして、安保理非常任理事国の席を蹴った、あの心意気が大切だと言うことである。
これが、所謂、高いコンテクスト文化、すなわち、人間関係や社会習慣など、言語メッセージ以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーション社会を形成し、詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、「察しの文化」を生み出す基となっている。
良いか悪いかは別として、このあたりが、西欧や近縁の中華文明とも違うとして、ハンチントンが、日本文明を独立の7文明の一つとして考えたのかも知れない。
これとは、逆に、西欧では、恐らく、『旧約聖書・エジプト記・21章』にある「目には目を、歯には歯を・・・Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.」の精神に色濃く影響されている所為であろうか、和で、物事を解決しようと言うよりも、理詰めで物事を処理しようと言う傾向が強い様に思う。
日本のように、沈黙は金などと言う世界ではなく、むしろ、攻撃は最大の防御なりと言う世界である。
私は、イギリスの5年を含めてトータル14年、欧米文化圏で生活してきているので、この文化の落差を痛い程経験しており、元々、その傾向もあったのであろうが、物事をストレートに表現し過ぎて、割を食って生きているような気がしている。
それは、ともかく、欧米では、譲ると言うよりも、まず、どちらが優先権があるのかどうかと言うのが、秩序を維持する基本となっているような気がする。
その良い例は、交通規則で、私のバカな経験なのだが、オランダのハーグで、渋滞状態に嵌まり込んで、どうしても急がなければならなかったので、後ろを良く見て、車線を変えて隣の車線に入ったのだが、後ろから高速力で走ってきた車に当たられてしまった。
日本だったら、当然、私の車が車線変更しかかっているのが分かっており、徐行するのが当然だと思うのだが、オランダでは、いかなる理由があっても、高速車線がオールマイティの優先権を持っていて、前方不注意などなくて、低速車線から高速車線に車線を変えて事故を起こされた方が悪いのである。
ハイウエイでも、高速車線から低速車線に入る車は、確か、優先権があるので、車線変更の方向指示さえ出さなくても良い筈であった。
イギリスは、一寸違うが、しかし、いずれの時も、ここでは、後から追突する車が、悪いのである。
この優先権の凄さは、メイン道路の車が優先ではなく、結構、オランダには、細い田舎道の側道が横から出ていて、この側道からの進入が優先のケースが多くて、飛び出しが多いので、おちおち、メイン道路だからと安心して運転できないのである。
もう一つ、日本と違って、ヨーロッパでは、四つ角の交差点よりも、ラウンドアバウト、交差点が円形状の回る方式の道路が多くて、ここへの侵入の優先権もややこしいのである。
私は、オランダとイギリスを行き来して仕事をしていたので、結構、車を使っていたのだが、勿論、イギリスと大陸では、運転席の位置が右左違っている。
どっちがどっちだったか忘れてしまったが、一方の国は、ラウンドアバウトに進入する車が優先で、もう一方の国は、出る方が優先であり、これも、注意が必要であった。
偶にしか運転しないパリで、当時は信号のなかった凱旋門のラウンドアバウトに進入したことが2回ほどあるが、10列ほど円弧状に車が回っていて、入るのも出るのも地獄の恐怖、良く事故を起こさなかったものだと思っている。
あの頃の、日本の企業戦士は、怖いものなしで世界を駆けまわっていた。
確か、EU統一の交通ルールがなかった筈だが、私も若かったのか、その違いを良くわきまえずに、下手な運転で、運転席の位置の違う車に乗って、無謀にも、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、デンマークと、家族やお客さんを乗せて走ったものだと、今になって、冷や汗をかいている。
尤も、車だけはと思って、ベンツや、装甲車のような大型のボルボやアウディなど、当たられても被害の少なそうな車には乗っていた。
ところで、私が言いたかったのは、この欧米、時には、中国など外国の国の文化文明が、日本と大きく違っているので、外交でも貿易でも、上手く処するためには、勿論、平和国家としての姿勢は最も重要だが、この優先権を出来るだけ多く獲得して、押し出し強く攻撃型の姿勢を取らないとダメだと言うことである。
国連など、最高度の拠出金を出しながら、最早、戦後半世紀以上も経っているのに、安保理の常任理事国とは言え、国力さえ、あるいは、民度さえ劣る国の黄塵を拝して、安穏としているようでは、あまりにも悲し過ぎると言うことである。
色々問題はあろうが、安倍政権になってから、大分、対外姿勢は前向きになって来たとは思うが、それでも、昨今の日本の外交や国防などを観ていると、イライラすることが多すぎる。
今に始まったことではないが、あまりにも、日本の存在感が薄くて弱すぎると言うことである。
あの親米で通してきたサウジ・アラビアが、オバマのシリア攻撃に対する優柔不断に業を煮やして、安保理非常任理事国の席を蹴った、あの心意気が大切だと言うことである。