熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・十二月文楽「奥州安達原」

2015年12月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   平安時代の末期、源頼義・義家父子が、奥州で勢力を誇っていた安倍頼時等一族を、反乱や前九年の役で討伐するのだが、戦に敗れた息子の安倍貞任・宗任兄弟が、義家を討とうとするストーリーが主題の浄瑠璃が、今回の「奥州安達原」である。

   4年前に、この劇場で、「奥州安達原」が上演されたが、その時は、枝折戸外に締め出された悲痛な袖萩とその娘お君と父母との再会、その夫であり父である貞任との最後の分かれの物語であるメインの「環の宮明御殿の段」の前に、「外が浜の段」と「善知鳥文治住家の段」があって、南兵衛と偽って仮の姿の弟・宗任が、義家にまみえるべく、罪人となって都へ引かれて行く経緯までが語られている。
   今回は、代わって、「朱雀堤の段」が上演されて、京都七條の朱雀堤で盲目の物貰いに落ちぶれた袖萩とお君が、父親・平丈直方の切腹と言う一大事を知って、居合わせた儀仗の後を追うと言う話が展開されている。
   この「奥州安達原」では、他にも、能の「黒塚(安達原)」を脚色した「黒塚」の素晴らしい舞台がある。

   桂中納言則氏が来訪して、儀仗が、預かっていた宮の弟・環の宮が、安倍兄弟の陰謀で誘拐されて、期限内に探し出せなくなったので、切腹を申し渡す。
   雪の中を、父の身を案じた袖萩が、氏素性の分からぬ浪人と駆け落ちしたことを責められて勘当されているために、人目を忍びながら、お君に手を引かれて御殿に来る。、
   突っぱねる両親に必死に縋り付こうとする母娘の悲しくも哀切極まりない対面が、簡素な枝折戸を隔てて展開される。
   袖萩の夫が、書き物で安倍貞任と分かるのだが、敵であるから、尚更許せない丈。娘の変わり果てた姿と寄り添う幼い孫娘の哀れな姿を見て、激しい嗚咽を忍びながら、知らぬふりをしておろおろする母・浜夕。
   母に門付けとして歌を謡えと言われて、袖萩は、お君が手渡した三味線を爪弾き、歌祭文に託して、親不孝を詫び、子を持って初めて知った親心の有難さを切々とかきくどく。    寄り添ってじっと聞き入るお君が、何の望みもないけれど、一言言葉をかけてくださいと、枝折戸に縋り付いて祖父母に訴える。

   冷たく突き放された袖萩が、持病の癪が起こり倒れ伏すと、お君は、雪を口に含んで溶かせて母に含ませ、自分の着物を脱いで母に着せて背をさする。娘が、自分は温かいと言って裸同然で居るのに気付いた袖萩は、(わしがやうな不幸な者が、そなたのやうな孝行の子を持った、これも因果の内か)としっかりと抱きしめて泣き伏す、それを見て堪らなくなった浜夕は、せめてもと、垣根越しに打掛を投げ
   (さつきにから皆聞いてゐる、まゝならぬ世じゃな、町人の身の上なれば、若い者じゃもの淫奔もせいじゃ、そんなよい孫生んだ娘、ヤレでかしたと呼び入れて、婿よ舅と言ふべきに、抱きたうてならぬ初孫の顔もろくに得見ぬは、武士に連れ添ふ浅ましさと諦めて去んでくれ、ヨ、ヨ)
   儀仗に呼ばれて、(娘よ、孫よもうさらば、可哀の者や)と老いの足、見返り見返り、奥へ行く

   何回聴いても、このくだりが身に染みてたまらなく切ない。
   燕三の三味線に乗って文字久大夫の慟哭を地で行く名調子が肺腑を抉る迫力で、清十郎の袖萩、勘次郎のお君、簑次郎の浜夕が命の限りの悲哀を演じて感動的である。
   この日、住大夫が鑑賞されていたが、跡を継いで大きく羽ばたいた文字久大夫の浄瑠璃をどのように聴いておられたであろうか。

   さて、この後、突然、宗任が現れて、貞任の妻ならば、儀仗を討てと懐剣を渡す。義家が声をかけたので、宗任は覚悟を決めるが、逃がしてやる。
   儀仗は、責任を取って切腹し、袖萩もわが身を嘆き懐剣を胸に刺す。
   夫と娘を亡くした浜夕は嘆き悲しむ。
   二人の自害は仕方がないと現れた桂中納言を、義家が、貞任だと見破ったので、戦いを挑むが、義家は、それを止めて、袖萩との最後の別れを促す。
   瀕死の状態の袖萩が一目だけでも顔が見たいとお君とともに貞任に縋りつく。
   宗任も現れるが、義家は、二人に、後の戦いを約して別れる。

   この歌舞伎では、袖萩が、親の許さぬ契りを結んだ故に勘当されるのだが、これは、伊賀越道中双六の唐木政右衛門の妻であるお谷と同じケースで、封建思想では、侍の世界では許されぬ基本的な規律であったのであろうか。
   ここで、母の浜夕が、「町人の身の上なれば、若い者じゃもの淫奔もせいじゃ」と言っているのが面白い。
   浄瑠璃や歌舞伎の世界では、この武士と町人の恋を描いた和事の世界の違いが、例えば、近松門左衛門の心中物など、芝居を面白くしているようで、興味深い。
   
   さて、この舞台としては、格調の高い豪快な人形を遣った玉志の貞任が主役であり、文司の儀仗や幸助の宗任が、メインキャラクターなのであろうが、私には、清十郎の袖萩が、最も、印象に残っている。
   前には、勘十郎が、素晴らしい袖萩を遣っていて魅せてくれた。
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