今日、何となくわがブログの編集㌻を見ると、「ブログ開設から7013日」という表示に気がついた。
ブログを始めたのは、2005年3月であるから、もう、19年、そうなるのであろうか。
ほぼ、月の7割以上の日々に書き続けてきたので、記事数は5000篇を超えているであろうか。
熟年の文化徒然雑記帳
徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。
と言うことで、ブログを書き始めた。
最初は、海外生活が長くて、結構苦労しながら世界中を歩いてきたので、面白い話もあって、海外の紀行や見聞録など世界の徒然雑記旅を書こうと思っていた。
しかし、既に、現役を引退して自由な生活に入っており、生活の場や趣味嗜好も広がっていたし、良く考えてみれば、60年以上にわたって、多方面に生きてきたので、思い出も多岐にわたっている。結局、思い出は二の次になって、ブログのタイトルのように、その都度の関心事を綴ることになった。
海外生活は、1972年初夏に、アメリカのビジネススクールへ入学するために、フィラデルフィアへの旅立ちから始まった。
その後、前後して、アメリカに2年、ブラジルに4年、オランダに3年、イギリスに5年住んで、ブラジルとイギリスには永住権も持っていた。
1993年に帰国するまでは、東京での勤務も海外関係の業務担当であり、年の過半は海外に行き来していたので、海外漬けの生活であった。
その後も頻繁に海外に出ていた。このブログが始まった2005年以降、特に、最近は海外には縁がなくなってしまったが、それでも、このブログで、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアへの旅紀行を書いていて、本にしようかと思ったこともある。
女学生節の「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」を、フィラデルフィアの大学を出てロンドンパリを股に掛けて、地で行った話や、
チャールズ皇太子(現英国王チャールズ三世)との会話やダイアナ妃との面会握手などを始め、思いも掛けなかったような遭遇や経験に驚きを感じながらの連続で、無我夢中で突っ走ってきた様な気がしている。
一泊以上した訪問国は、30カ国以上で、若かったから出来たようなもので、危険との隣合わせで、異国人との切った張ったの激しいビジネス戦争の連続、
鞄一つを持って、英語と日本語だけで徒手空拳、無手勝流で世界を歩いてきたのだが、今なら、出来ない。
ところで、海外紀行をブログに書こうと思ったのは、倉庫に、海外旅行で撮った膨大な写真が、ネガと共に、行李2杯に残っていて、それを整理しながら思い出を反芻しようと思ったからである。当時は、まだ、多少張り付いたり色褪せしてはいたが、デジタル化は可能であり、懐かしい写真が綺麗に再現できた。
しかし、20年経った今、倉庫に埋もれて取り出しようもなく、私も歳で、諦めざるを得ない。
それに、パソコンを使い始めた1990年代後半に、備忘録のつもりで記録し始めたヨーロッパ記録が、パソコンのパンクで、全部ダメになって消えてしまった。
まだ、60前後であったから、記憶は鮮明だったが、気が多くて記録も出来ず、歳に勝てなくなって、今や、万事休す。
一部、残っていた記録を起して、クラシックやシェイクスピア鑑賞の思い出を、このブログにも残したが、欧米のオペラハウスやコンサートホールに通いつめ、歴史遺産や名だたる博物館・美術館を行脚してきたので、写真と記録があれば、多少気の利いた欧米の文化文明論を書けたのにと思うと残念である。
さて、このブログで、比較的多い記事は、経済学や経営学に関するブックレビューや評論記事であるが、これは、大学や大学院で専攻した学問に対して、ずっと、興味を持って勉強し続けてきたと言うことにつきる。
多くの観劇記事は、私の趣味である。
色々あったが、もう一年で、満20年。
追記:写真は、良く訪れたロンドンのシャーロックホームズ・パブ。
ブログを始めたのは、2005年3月であるから、もう、19年、そうなるのであろうか。
ほぼ、月の7割以上の日々に書き続けてきたので、記事数は5000篇を超えているであろうか。
熟年の文化徒然雑記帳
徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。
と言うことで、ブログを書き始めた。
最初は、海外生活が長くて、結構苦労しながら世界中を歩いてきたので、面白い話もあって、海外の紀行や見聞録など世界の徒然雑記旅を書こうと思っていた。
しかし、既に、現役を引退して自由な生活に入っており、生活の場や趣味嗜好も広がっていたし、良く考えてみれば、60年以上にわたって、多方面に生きてきたので、思い出も多岐にわたっている。結局、思い出は二の次になって、ブログのタイトルのように、その都度の関心事を綴ることになった。
海外生活は、1972年初夏に、アメリカのビジネススクールへ入学するために、フィラデルフィアへの旅立ちから始まった。
その後、前後して、アメリカに2年、ブラジルに4年、オランダに3年、イギリスに5年住んで、ブラジルとイギリスには永住権も持っていた。
1993年に帰国するまでは、東京での勤務も海外関係の業務担当であり、年の過半は海外に行き来していたので、海外漬けの生活であった。
その後も頻繁に海外に出ていた。このブログが始まった2005年以降、特に、最近は海外には縁がなくなってしまったが、それでも、このブログで、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアへの旅紀行を書いていて、本にしようかと思ったこともある。
女学生節の「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」を、フィラデルフィアの大学を出てロンドンパリを股に掛けて、地で行った話や、
チャールズ皇太子(現英国王チャールズ三世)との会話やダイアナ妃との面会握手などを始め、思いも掛けなかったような遭遇や経験に驚きを感じながらの連続で、無我夢中で突っ走ってきた様な気がしている。
一泊以上した訪問国は、30カ国以上で、若かったから出来たようなもので、危険との隣合わせで、異国人との切った張ったの激しいビジネス戦争の連続、
鞄一つを持って、英語と日本語だけで徒手空拳、無手勝流で世界を歩いてきたのだが、今なら、出来ない。
ところで、海外紀行をブログに書こうと思ったのは、倉庫に、海外旅行で撮った膨大な写真が、ネガと共に、行李2杯に残っていて、それを整理しながら思い出を反芻しようと思ったからである。当時は、まだ、多少張り付いたり色褪せしてはいたが、デジタル化は可能であり、懐かしい写真が綺麗に再現できた。
しかし、20年経った今、倉庫に埋もれて取り出しようもなく、私も歳で、諦めざるを得ない。
それに、パソコンを使い始めた1990年代後半に、備忘録のつもりで記録し始めたヨーロッパ記録が、パソコンのパンクで、全部ダメになって消えてしまった。
まだ、60前後であったから、記憶は鮮明だったが、気が多くて記録も出来ず、歳に勝てなくなって、今や、万事休す。
一部、残っていた記録を起して、クラシックやシェイクスピア鑑賞の思い出を、このブログにも残したが、欧米のオペラハウスやコンサートホールに通いつめ、歴史遺産や名だたる博物館・美術館を行脚してきたので、写真と記録があれば、多少気の利いた欧米の文化文明論を書けたのにと思うと残念である。
さて、このブログで、比較的多い記事は、経済学や経営学に関するブックレビューや評論記事であるが、これは、大学や大学院で専攻した学問に対して、ずっと、興味を持って勉強し続けてきたと言うことにつきる。
多くの観劇記事は、私の趣味である。
色々あったが、もう一年で、満20年。
追記:写真は、良く訪れたロンドンのシャーロックホームズ・パブ。