昨日は韓国鉄道分断点のミカサを取り上げましたので、戦前の日本製SLつながりと、北京鉄シリーズを兼ねまして、中国鉄道博物館をご紹介しましょう。
中国鉄道博物館は、動力近代化の大波に洗われた中国の鉄道でここ10数年ほどの間に一気に消えていったSLの中でも特に歴史的な車両と、中国国産EL・DL・客貨車のうち代表的なものを陳列している巨大な施設です。案内によると、その設立目的は「中国の鉄道発展史を回顧することで青少年に科学技術の重要性を知らしめる」ことだとか。そして最大の特徴は、鉄道車両の試験走行を行うために設けられた環状鉄道に隣接しているのを生かし、全ての陳列車両が外界の鉄道網とつながったかたちで並べられていることです! (現在大宮に建設中の鉄道博物館もこのスタイルをとるようで何より ^^)
そこでいざ入館料20元を払って入館してみますと、すぐ眼前に飛び込んで来るのは2台の最高峰装飾ガマ「毛沢東号」と「朱徳号」! 言うまでもなく、中共が建国当初「革命の二聖人」を記念して極上の整備を加えた車両ですが、元をたどればどちらも満鉄ミカイ!! 両車の案内には「原産国・日本」と表示されています。それにしても他に人が誰もいない……入り口のオバチャン二人も本当にヒマそうで、久し振りに客が来た、と言わんばかりの表情でした (汗)。
まあそれも恐らく、歴史的な微妙さがあってのことでしょうか。韓国もそうですが、中国の鉄道が抱えている最大の悩みのひとつは、記念碑的な車両を前面に出そうとするほど、忘れたくても忘れられない「日本」の二文字が目立ってしまうこと。そして、鉄道網の拡大を長年自前では出来なかったことと、軍事施設としての位置づけが長らく続いたことが、中国(そして韓国)の鉄道趣味を最近まで未発達にとどめてきた大きな原因だったかと思われます。2枚目の画像の左側のSLも、日本のキューロクを標準軌用にしただけの車両! 右側の「国慶号」は中共政権成立後初の国産SLですが、これも満鉄ミカイの完璧なコピー! そう……現在の中国の鉄道は日本の技術にソ連風、あるいは自前のアレンジ(そして最近では欧米カナダ風もあります)を接ぎ木することによって成り立ってきたわけです。館内をたった一人歩いていると、そういう鉄道史が好むと好まざるとに関係なく分かるようになっています。
というわけで、余りにも垂涎ものの車両が大量に鎮座しているこの博物館(そして、来る5月に再オープンする瀋陽SL博物館)の来客が増えるのは恐らく、100%中国国産の技術による超メジャーな高速車両が現れて中国が日本に嫉妬する必要がなくなり、かつそんな車両が引退する??年後かと思われます。しかし、そういう車両も未だ存在しない以上、かなり長期的な話になりそうな気もします。
満鉄の遺産にただただ圧倒され、近代史の複雑さをも感じ取れてしまう中国鉄道博物館、下手な北京観光よりは全然オススメです。但し、北京市北東のとにかくマイナーな一隅にありますので、タクシーの運ちゃんも知らない可能性があります。ご用心、ご用心……。北京駅東側にあるバス発着所から「403路」のバスに乗り(北京駅真正面の通りにもバス停がありますが、ここは始発ではないので座れず、下手をすると約1時間立ちんぼです -_-;)、終点下車徒歩10分、というのが一番安くて分かりやすいアプローチです (^^
こちらも昨年北京を訪問した際にはこの鉄道博物館に出向き、往路は北京駅東から連接バスに揺られて環行鉄道まで行き、そこから徒歩でしたが、ここは確かにありきたりな観光地で気分を害するよりはずっと良い所ですね。
こちらが訪問した際も誰もいないという程ではありませんが、かなり巨大な建物内は人もまばらで、立地の悪さもあって訪問者も限られるのは惜しまれます。
ただ訪問する日本人は時折居る様で、こちらが退散する間際には機場から専用車で直接乗りつけたグループの記念撮影に協力する状況でしたが、同行していた中国人ガイドが初訪問といっていた有様でしたので、現地人でも知らない人は大勢いる感じですね。
あとここから退散する際には、環行鉄道から629路のバスで北西へ向かい、立水橋駅で城鉄13号線に乗り換えるルートを使いましたが、ここは5号線も建設中ですので、これが開通した暁には5号線試乗とセットでの訪問も面白い気がします。
こんにちは、コメントどうもありがとうございます。
学校が休みの期間でない限り、中国鉄道博物館を訪ねる参観者はひょっとすると中国人よりも日本人の方が多いかも知れませんね (苦笑)。入り口でも「いつものようにまた日本人が来た」という感じでしたし、団体でしたらそれこそ出入国のついでにすぐ立ち寄れる場所ですし……。
バスはとにかく年々遅くなり、かつ車両もつまらなくなったので、一刻も早く空港鉄道の途中に大山子駅がオープンしてもらいたいものです。
空港線は途中駅は三元橋しか作らないそうです。大山子駅ができたら私にとっても市内移動は格段に便利になるのですが残念です。途中駅をこまめに作って京順路の渋滞を緩和させようという意識は市当局にはないみたいですね。
おはようございます、コメントどうもありがとうございます~!
某掲示板などでの書き込みから、はいらーあるさんは朝陽区にお住まいなのだろうと察しておりましたが、まさに鉄道博物館の近くにお住まいですか! 環行鉄道に入線した怪しい試験車両のチェックにも最適、というわけですね……(^^
その留置線に放ったらかしのテンイネや専運車、ついに屋内に移設ですか!! 特にテンイネは作業員小屋にしておくには余りにも勿体ない車両ですので「本当に良かった……」と思う反面、屋外で撮影出来なくなってしまったのが惜しいですね~。まずは週末のレポートがはいらーあるさんの掲示板にアップされるのを楽しみにしております!
空港線……途中駅は三元橋だけって一体……(@o@)。あのニュータウンが爆発的に拡大中の沿線輸送をついでにやってしまおうという意識が何故働かないのか……香港だって東涌線の各駅停車と機場快車が共存共栄しているじゃないか……と思うにつけ、所詮はオリンピックにあたって「国門」を飾りたい、というだけの虚栄心に基づく鉄道なんだなぁ、とガックリ (まぁこれはこれで一刻も早い完成を望みますが)。計画性というものがないのだろうか、この国には……と思います (ボソッ)。
こんばんは、こちらこそはじめまして~! コメントどうもありがとうございます (^^
中学のときに成昆線ですか……。ご家族でツアーに参加されたのでしょうか、それともご両親のどちらかが中国からいらしたのでしょうか。とにかくまぁ……私の中学時代には全く考えられなかったことで、それだけ日本と中国は往来がしやすくなったことを感じます。私が中学生の頃は、日中友好時代の影響で中国の鉄道に興味を持っても、気楽に観光旅行など考えられず (そもそも親は金持ってませんし ^^;)、刊行後間もない写真集『中国鉄道の旅』(全5巻) のうち一部を僅かな小遣いでやっとゲットして、遥か遠すぎる鉄道に想像をめぐらせるのがせいぜいでしたから……。
毛沢東号は確かハルビン鉄路局所属だったと思いますが、隴海線天蘭段の通車典礼にも動員されたとは……。まぁああいう政治的なカマだからでしょうね。特に隴海線は今も昔も最重要路線のひとつですから、難工事の末に開通させたともなれば特に毛沢東を前面に出すのも当然の成り行きなのでしょう。
天蘭線は荒涼とした段々畑が果てしなく広がる中を蛇行しながら走るというとんでもない路線で、是非一乗をおすすめしますが、私は13年前に上海から西寧行き直快の硬座 (当時はもちろん空調なし) に延々と乗って、最後にこの区間をしみじみと眺めつつ蘭州で下車したっきりご無沙汰です (^^;
隴海線はもともと中国独力で (そして欧米借款などを受けながら) 建設が進んだ路線で (確か)、1930年代中頃の写真を見ても明らかに満鉄タイプと異なるアメリカ風の客車が用いられ、車体中央にでっかく「隴 海」と会社名が書かれていますが、日本が日中戦争の戦線拡大にしたがって華北交通・華中鉄道を設立して以来、必然的な成り行きとして満鉄型車両も入線したはずです。1990年に初めて中国を貧乏旅行した際にも、西安駅には如何にも満鉄っぽい車体の客車をゴロゴロ組み込んだ鈍行が停車していたものです (写真を撮っておけばよかったのですが、当時は貧乏学生&非撮り鉄につき、記録に残ってないです……-_-)。
まあともあれ、微妙で複雑極まりない中国鉄道史は趣味のテーマとして面白いこと間違いないと思いますので、まずは無事大学合格を果たされますよう。これから二次試験のシーズンですが、このブログの見過ぎには気をつけて下さいね (笑)。
北京市街地から行きはタクシーで行けば良いと思っていますが、帰りはどうすれば良いのでしょうか。
博物館からタクシーを呼ぶことは可能なのでしょうか。
お教え下さい。
本来であれば、挨拶なしの「教えて君」は無視するのが当ブログの方針ですが、敢えて少々。
中国鉄道博物館のような僻地に流しのタクシーは絶対に来ません。ただの観客のためにタクシーを呼ぶような国でもありません。
市街地図を眺めながら、対策を思い浮かべて自力救済出来ない限り、中国のような何事も不親切な国を個人で観光しようなどと思うべきではありません。念のため。