地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中国昔は良かった (6) 緑亀東風4型

2018-01-05 22:49:00 | 中国の鉄道


 むかしむかし、「日本と中国の関係には不幸な時代があったものの、未来はきっと良い関係になる」と信じられていた頃、「国際化」の掛け声に踊ってみたくはなったけれども欧州やアメリカを旅行するほどの金を持っているわけではない多くの貧乏バックパッカーが、大阪・神戸 (たまに横浜) から「鑑真号」に乗って上海の国際客船ターミナルに到着すると、好んで転がり込んでいた「浦江飯店」という宿がありました。ここは1842年の南京条約によって上海が開港された最初期に建設され、世界中の有名人が泊まった由緒正しい「アスターハウス・ホテル」であったのを、毛沢東時代の革命精神とやらで外国船員用の安宿に改めたもので、病院のベッドが並んだドミトリーで寝泊まりしながら、多くのパッカーが中国やアジアの面白い場所について寝ても覚めても面白おかしく語り合うという、一種の梁山泊的世界が広がっていました。



 そんな浦江飯店、何だかんだで上海旧市街の超一等地に建っていますので、経済成長とともに元の豪華ホテルに再改装されて営業を続けていましたが、中国ではクラシックホテルというのは余り流行らないようで、かつての満鉄ヤマトホテルもどちらかと言えば安ホテルにカテゴライズされているようですし、浦江飯店も余りパッとしない存在感に終始していたようです。そしてついに、昨年の末に営業を終了したとか……。今後は、1990年代に社会主義化後最初の証券取引所が浦江飯店の一角で開設された誼もあってか、証券博物館に改装されるのだとか。
 したがって、建物そのものは残るものの、もうここに泊まることが出来ないとは、むかしバリバリのパッカーだったヲッサンにとって何とも哀しい話ではありませんか……。
 まぁ、今や支付宝や微信支付によるスマホ決済を使えない (=中国に口座を持っていない) 外国人は来なくて宜しい、と言わんばかりの国になっちまってますから、別にイイかと言えばそれまでですが……。
 こうしてまた一つ、楽しかった昔の中国の記憶が完全に過去のものになって行くのでありました。
 というわけで、全然記事の文面と一致しない内容で恐縮ですが、阿鼻叫喚の列車旅にもまれてパッカー宿に転がり込む……そんな昔の中国国鉄における最も慕わしい罐のひとつといえば東風4型「緑亀」ですので、何となく貼っておきます。とゆーか、いま現役の緑亀って、どれくらいあるのでしょう?

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