正確な情報を知らされていない、あるいは操作された情報しか持たされなければ、国民は的確な判断をすることが出来ない。
その最もよい例が、北朝鮮であり中国であるが、ロシアもそれとあまり変わらない。北朝鮮のサッカー中継は、自国の攻めているところだけを放送されるため、国民は歓喜する。中国では、不利な他国の意見や、政権に不都合な情報は報道されない。
ネットは良い例で、国外の情報は遮断され、自国内のネットしか持っていない。そのネット(微博)ですら相当数の人間を動員して、都合の悪い書き込みは削除している。
日本の番組も都合が悪ければ、北京ではいきなり遮断される。手動操作であろうが、これほどまでして国家は情報を操作したいのである。
ロシアでは報道の自由は保障されていることになっているが、プーチンのチェチェン政策を批判していた女性ルポライターは、プーチンの誕生日に自宅前で銃殺されている。それ以降の、報道は委縮したもので、今年は政権批判した女性バンドメンバーが投獄されている。
結果として、プーチンを称賛する報道しか、ロシアでは見ることが出来なくなっている。為政者にとって、こんなに美味しい話はない。
かつて報道は、「権力の番犬」と言われてはいたが、やがて日本もこのような「飼い犬」の世の中になっているのであろうか。
公務員など職員あるいはジャーナリストたちにとっては、非情な罰則が用意されているが、為政者に何も罰則も何も規定がない、拙速で文言すら矛盾する稚拙な法律が国会を通ることになる。
特定情報秘密保護法がまかり通るようになれば、この国は政権称賛一辺倒の報道で溢れることであろう。すでにその兆しが、NHK報道に見てとることが出来る。