久しぶりに素晴らしい本を読むことができた。「よみがえる酪農のまち 足寄町放牧酪農物語」荒木和秋著 筑波書房 1,500円+税
やや視点を広げれば、日本の歩んできた近代化、経済政策の誤りが生んだ、地方行政の誤り、農業政策あるは食料というものを見下してきた今日の現状を鋭く指摘(著者は言葉では言及はしていないが)しているといえる。
日本の近代化は経済効率つまり利潤を追求することで成功したといい続けてきた。多くの人はその成功の享受を金銭という対価を得ることで、満足してきたのである。農村を”へき地”と呼び、”イナカモン”と田舎を蔑み、一次産業を見下してきた。そして自らの食料生産地域を過疎地にしてしまったことなど、失ったものも少なくはない。
核家族化によって、かつて家庭が持っていた、老年者の経験、壮年者の体力、若年者の意欲、女性のしなやかな感性で形成されていた容を崩壊させてしまった。それはわづかに農村に残ってはいたが、それすらも農村の近代化、経済効率化によって大きく変わりつつある。
農業の近代化、効率化に最もさらされたのが、畜産である。採卵鶏はつけっぱなしの明るい鶏舎の狭い中空で卵を200日ほど生み続けさせたれ、豚は狭いストールでたっぷりと穀物を給与され、乳牛もコンクリート床の閉塞空間で遺伝子組み換えの穀物を大量に食べさせられ、これらの家畜は発病寸前に追い込まれて生きている。都会の方々はそれらのことを全く知らずに、畜産食品を口にしている。
本書は穀物給与に疑問を持った多くの人達が、牛が外で自由に草を食べる放牧を主体にし、乳牛たちが自らの力で牛乳を出すように酪農家は仕向ける、そうした飼い方を追求する人たちの成功話の、いわばオムニバスといえる本である。牛の主たる食べ物は草である。しかし、穀物を与えれば沢山牛乳は出すが、病気にはなるし長く生きることができない。資金も沢山必要になる。結果、多くの頭数を飼うことになる。
放牧を主体にすることで、牛は健康になり手がかからなくなる。酪農家には自由な時間が増える。多くの自治体は、餌をたくさん購入し、多くの乳を出荷し、大きな施設を作る方が人・物。金の流れが盛んになるため、そうした酪農を推奨する。足寄町は町長をはじめとし、役場が放牧酪農のまちを大良く掲げることで、新規就農者が全国各地から集まってきた。
この20年ほどで、18組の若者が就農した。放牧酪農をすることで家庭を築き農村時間を享受している。過疎が進む田舎にこんなに若者たちが就農するのは、足寄町が農業の魅力や地方自治を経済の効率だけで考える、現行の国などの考え方に大きな歪があるからに他ならない。本書はそうした、農業の抱える問題、過疎地が抱える問題、経済最優先が抱える問題を根本から問いかえるものと言って良いであろう。