36人が死亡し33人が負傷した凄惨な京都アニメーション放火事件から、4年が経った。放火犯の全身やけどを負った青葉真司被告は、一命を取り留め容体も回復9月5日に初公判には間に合いそうである。
死亡が確実であると思われた青葉被告を救ったのは、4カ月間懸命の治療に当た近畿大学付属病院の上田敬博医師である。
通常で考えれば、36人も死に追いやった犯人には、この国では死刑しか待っていない。救うこともないだろうと、短絡しても不思議ではない。
上田医師は、「司法の場に立たせるところまでやればいい。救命しなければその先に進めない。」と述べている。
「とにかく「死に逃げ」だけはさせてはいけない。司法の場で裁きを受け、命を奪った人、被害に遭った人たちに対し、まず謝らせる。それをさせるために命をつなげたと今は思っています。」というのである。
「とにかく「死に逃げ」だけはさせてはいけない。司法の場で裁きを受け、命を奪った人、被害に遭った人たちに対し、まず謝らせる。それをさせるために命をつなげたと今は思っています。」というのである。
青葉被告からも、どうしてこんな自分を助けるのかととわれ、「みんなとおんなじや」と答えたという。
医師として死刑になるであろう病人を差別なく扱う理念は敬服するが、もう一つ日本には仇討の概念が根底にある。上田医師も法廷にだして被害者の無念を晴らさなければならないという、被疑者の声を耳にしている。
判決が意外と軽かった時に、放送は被害者にマイクを向けて、無念の言葉を強引に引き出す風景をよく目にする。
医師として死刑になるであろう病人を差別なく扱う理念は敬服するが、もう一つ日本には仇討の概念が根底にある。上田医師も法廷にだして被害者の無念を晴らさなければならないという、被疑者の声を耳にしている。
判決が意外と軽かった時に、放送は被害者にマイクを向けて、無念の言葉を強引に引き出す風景をよく目にする。
小学校に武器を持って押しいって何人もの子供を殺害した男がいた。自分では死にきれず、殺人をすれば死刑にしもらえるというのが犯行の理由であった。この実行犯に死刑判決が下され、上告はしなかった。死刑にどの様な意味があるのか。
上田医師は、「青葉被告に法廷に立ってもらい、被害者の声を聞き、いくつもの命を奪ったことを、生かされた命で奪われた命の尊さを気付いてくれれば治療の会があったというものだ。」と述べている。
法律には詳しくはないが、量刑は報復であってはならないし、あらゆる意味で犯罪者が犯罪の意味を知ることであり、社会的には犯罪の抑止力を持たすことである。重ければよいというものでもない。ましてや死刑などという、不可逆的で被告の人権を認めない量刑などあってはならない。
法律には詳しくはないが、量刑は報復であってはならないし、あらゆる意味で犯罪者が犯罪の意味を知ることであり、社会的には犯罪の抑止力を持たすことである。重ければよいというものでもない。ましてや死刑などという、不可逆的で被告の人権を認めない量刑などあってはならない。
この国の被害者は報復を願い、検察は職務的に無謬性を自認し、犯罪の証明のためなら何でもする、捏造さえするのである。袴田事件上告されいまだ結審することもない。
京アニ放火事件の青葉被告の言動に注目したいものである。