1993年8月ノールワイのオスロで、アメリカのクリントン大統領の仲介でアラファトとラビンが停戦合意した。ちょうど30年前であるが、合意は次の二点となっている。
1.イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
2.イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。
この素晴らしい歴史的な合意で、3名はノーベル平和賞を授与されている。
ラビンは2年後の1995年テルアビブで催された平和集会に出席し、和平反対派のユダヤ人青年 に至近距離で射殺された。これを期にイスラエルは和平への道は閉ざされる。ヨルダン川西部地区は、パレスチナ人を数十カ所の狭い地域に封じ込めイスラエルが時間をかけながら、実効支配してしまっている。イスラエル全土がこうした状況になているのである。
イスラエルには、ユダヤ民族の強いつながりが世界各国にある。とりわけアメリカの政財界には太いパイプがある。今回のハマスのロケット弾攻撃を受けて、バイデンは原子力空母を派遣し武器抵抗など間髪入れに動きを示している。
このところのサウジアラビアの動きが、新聞記者の殺害を巡ってアメリカとの関係がぎくしゃくする一方で、中国と接近している。そして、イスラエルとの関係も修復されれつつある。
このままではハマスはもちろん、パレスチナが国際的に居場所を失うとの焦りか起こした今回の襲撃であろう。ユダヤ教の安息日と宗教的祝日に合わせて行われた今回の奇襲攻撃の特徴は、極貧のガサの壁の向こうでは、豊かな人々が音楽フェスティバルをやっていた。4000人ともいわれる観衆を襲い600名を殺害したと言われている。
恐らくそれを狙ったのであろう、人質を100名ほどガザ内に引き込んだ。イスラエルは十数名と言っているが、こんなことはかつてはなかったことである。人質を交渉に使うというのであるが、政権基盤の弱いネタニアフはどう出るか注目される。
音楽会場は悲惨な殺戮現場となっている。圧倒的な軍事力と経済力の差を埋めるために、ハマスは計画的に急襲をした。イスラエルのミサイル反撃はガザの人々を既に千人を超す勢いである。
この戦争で、最も利を得るのがプーチンである。石油の高騰もあるだろが、なによりアメリカのウクライナ支援が控えられるだろう。世界の目もウクライナから遠のく。
何とも仲介者のいないこの戦争は底知れない。
下の図の中で、パレスチナの実効支配地域は分断され、実際は分散した孤島のようでもある。自由な往来すらも制限されている。