今日2月20日は、プロレタリア作家小林多喜二が虐殺された日である。1933年(昭和8年)89年前の今日である。享年28歳の若さであった。
多喜二を虐殺したのは治安維持法である。治安維持法は、神聖にして侵すべからずの天皇と皇室を守るための法律であったが、やがて国体の護持のためと言論弾圧が本法の主軸と変質してゆく。
2年前満州事変が起き(起こして)日本国内が騒然とし、やがて太平洋戦争へと突入する直前の、1933年は言論弾圧が激しさを増す時期であった。
多喜二の下半身は激しく殴られ両ももは黒くはれ上がり、睾丸は打ち砕かれ首は折られ上半身には殴打の跡が無数にあった。28歳の若者が、わずか半日で拷問の末死亡した。それだけでも凄い拷問であったことがわかるというものである。
10年ほど前に、多喜二の「蟹工船」が何故かブームになったことがある。蟹工船だけであるが、今の若者たちは作品として鑑賞しているだけなら、多喜二のメッセージは届かない。
多喜二はプロレタリア作家であるが、作品を通じて収奪される人々を描き告発してる。しかし、多喜二の北海道など北国の風景描写は、最も底辺で人々の生活を見ている人間の目である。多喜二の外にそのような人をあまり知らない。
彼が戦後を見られたら、高い評価を受ける文学者になっていたであろう。
安倍晋三が2017年に作り上げた共謀罪は、現代版の治安維持法である。治安維持法が、時を経て改定を重ねて、反体制者を拘束するようになるのであるが、共謀罪は権力者にとって都合のいい運用がなされることになる。
あの時代とは違うというのは、情報の速度や量であって、富の収奪は一層進んでいる。当時の網元や地主でさえも、現代の貧困層と富裕層の格差には及ばない。
格差社会を富の偏重と意識しない現代の若者が多くなれば、共謀罪はいくつでも変質する可能性を秘めている。多喜二を忘れない。